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それは甘い、恋の痛み。⑧
「ひ、聖」
「姉ちゃんも、隙がありすきんだよ! 俺のバイト代……姉ちゃんに全部渡そうって思ってたけど、決めた。引っ越そうぜ。あいつが知らない場所に」
家まで入って扉を閉めてそう言うと、姉ちゃんはプハッと吹きだした。
「なんだよ」
「や、聖が大きなごみ袋持って格好いいこと言うから笑っちゃった」
「……俺がゴミ出しに出なかったらどうなると思ってたんだ。バイト中だから帰らないといけねえし」
んだよ。御手洗に手を掴まれて焦っていたくせに。
いつも通りになりやがって。
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
「は?」
「あんたも恋人さんと一緒に住みたいみたいだし、私、やりたい仕事があるの。それ、目指すから引っ越そうかな」
ブーツを脱ぎながら、姉ちゃんは俺を見上げた。
「あんたが料理全くできないのはね、私が料理大好きだから。――調理師免許取りたいの、だから、知り合いのレストランで住みこみで働いて学校通うわ」
「は? 住み込みって」
「あんたの学費を、恋人さんが結納代で払ってくれたから、数年早く実行できることになったわ」
嬉しそうに笑う姉ちゃんが、ちょっと背伸びして俺の頭を撫でてくれた。
そんなに身長が高くない俺の頭を、背伸びして撫でてくれた。
……俺はこの人にどれだけ甘えてきたんだろうか。
今も、怖かっただろうに、傷ついただろうに、にっこりと包み込むように笑ってくれている。
「……姉ちゃん、俺の恋人が男でも俺は姉ちゃんの弟のままでいい?」
つまんねえ質問。
返ってくる言葉は分かっていた。
「当然じゃない。同性でも同性じゃなくても、誰かを好きになって一生一緒に居たい相手に出会えることって素敵なことだと思う」
帰って来ない親にもう希望を持つのを止めて、寄り添って生きてきた。
だから、姉ちゃんに失望されたり泣かれることだけは嫌だったけれど――俺を育ててくれた姉ちゃんだ。
流石だ。
「バイト戻らなくて良いの?」
「戻らないで良いわけねーよ。行くし!」
俺が何を言っても驚かず受けとめてくれる姉ちゃんを見て、御手洗がなんで姉ちゃんを選んだか分かった。
分かったけど、裏切ったんだから許してやれねえ。
コンビニの廃棄品が入ったごみ袋を持ったままズルズルと歩く。
俺の気持ちには賞味期限はない。
なのに、この胸の痛みは理由はなんだろう。
はやく拓馬に会いたい。
そう思ってしまうほど、どっと疲れてしまった。
好きというエネルギーだけでは、その好きが持続しないのが現実だ。
性別や家柄や地位や年齢や、――家族や夢や価値観。
様々な環境を乗り越えて、尚且つ性格も、気持ちも目指す距離も。
全部一致して初めて安心できる。
だから、――きっと一生安心できる位置なんて保障されない俺たちは常に痛みが絡みつく。
痛みが止んでも、きっとまた違う場所が痛む。
同じ場所がまた痛みだすかもしれない。
でも、それでも、俺はきっとこの恋を諦めることはできない。
拓馬さんの隣の、甘い幸せな居心地を知ってしまった。
……離れた時の虚無感を知ってしまった、から。
好き、だけでは生きていけないのに、失うことが一番怖いなんて。
恋愛は難しい。
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