39 / 132
四、脅迫したいな。⑰
後悔。
敬愛。
別れ。
人が何を言ってもいい。
どんな噂をされても気にしない。
帰る場所、温かい家、待っていてくれる人。
それだけで私は満足だったのに。
何を彼に期待して、何を一人で怒り、なんで彼を傷つけようとしたのか。
先代の痛みを分かっていてくれたかと勘違いしていた。
このとてつもなく広くてさびしい屋敷で、先代が唯一貴方の訪問を嬉しそうにしていたのを、私だけが知っている。私だけが覚えている。
だから大切にしたかったのに、この人は私をどうしたいのか分からず、振り回してくる。
大切にしないといけなかったのに。
なのに、貴方は、先代の命日さえ気にしない。
「うっ」
ひっくと嗚咽が響くたびに、愚かな私の胸は痛くなる。
締めつけられて、抉るように消えてしまいたくなる。
「……吾妻さん」
手を伸ばして拘束を取ろうとすると、大きく身体をのけぞらせ怯えるように身を捩った。
その目は、明らかに私を怖がっていた。
「吾妻――! でてこーい!」
その日は雨で、門は固く閉ざされていた。
だから暇さんが来たのに気付かなかった。
呼び鈴を押したのかもしれないが、雨では音が響かなかったのかもしれない。
そんな安易な思考は、次の瞬間吹っ飛ばされた。
手入れはしていたけれど、気を抜くと林になってしまいそうな庭の中をライトが照らす。
縁側に急いで出てみれば、木々をなぎ倒し、手入れした庭の中を高級外車が突っ込んできていた。
石や岩、置物をなぎ倒し車が止まった。
「吾妻――!」
転がるように下りてきた暇さんは、縁側で呆然と見ていた俺を見上げる。
「……お前、吾妻に何したの?」
手の持った携帯画面は未だ通話中。
受話器越しに吾妻さんの嗚咽が響いているのかもしれない。
「それは私の台詞です。大切な庭でしたのに」
「人の心より大切なものなんて、ないよ」
雨で濡れた身体で縁側の扉を開けて、濡れた足で廊下に入ってきた。
「吾妻は、まだ大学生だ。30過ぎたおっさんは社会に揉まれていない子どもを苛めたら駄目だよ」
飄々と、おっとりしたいつもの口調で言う。
刑事が、人質を取った犯人に優しい口調で話かけるあのシーンによく似ている。
俺を激情させないようにと、穏やかに静かに。
もっと怒って殴りつけたりするのかと思っていた。
「殴らないよ」
「は?」
「俺、世界で一番暴力が嫌いな男だから」
にかっと笑うが、雨でびしょびしょの靴のまま、私の部屋へ入って行った。
「……世界一暴力が嫌いな男、ねえ」
人のうちの庭をこんなに荒らしといて、説得力が感じられない。
暴力が嫌いだから、こんな形でしか怒りを表せないのかもしれない。
「あーずま。大丈夫? うわ、超えっろ」
襖越しに、暇さんの声が響いた。
「泣かないでよ。抜いても良い? エロい声出さないでよー。もうずっと電話越しに聞かされて俺、やばいよ。触ってみる?」
下品なジョークを交えながら優しい口調であやすように言っていた。
「う、そつき……」
泣き疲れて掠れた吾妻さんの声に、暇さんはククっと笑う。
「嘘かどうか、一緒に寝て確認してみようよ」
ともだちにシェアしよう!