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覆水盆に返らず。還らず。帰らず。

Side:式部。 くしゃ。 小さく上から、崩れ落ちた。 腐った木の部分から。 くしゃっと、崩れ落ちた。 (とうとう、どこか腐ってた部分か落ちたな) だから早く修繕しようって兄貴に言ったのに。 きっと今日は兄貴は帰らない。 じいさんの命日は、じいさんの好きなごちそう並べて、じいさんの思い出を語りながら、私たちだけは忘れないであげようって誓ったのに。 でもまあそれで良いんじゃねえかなって思う。 私は異質だから。 同じ女の子たちの輪に入るのが、吐きそうなほど嫌い。 担任の先生に、それは式部さんが人を見下すからでしょって注意されたんだけど、女同士の連れションとか、コイバナとか、集団行動必須とか、共感しないといけない他愛ない雑談とか、糞面倒だった。 『ああ、それは私たちのIQが高いかららしいですよ』 兄貴は簡単に言ってのけた。 『俺たちは人の三倍ほどIQが高いらしいです。ですが残念ながらIQ=頭が良いってわけじゃなく、大きな障害になる場合もありますので、その時は教えてくださいね』 はっきり言ってのけた。 そういえば、一度見た本の内容は、ページ数から文字の配列まで覚えてる。 教科書も、写真を撮ったように、何ページの何行目とか頭の中からペラペラ本をめくるみたいに記憶から探せたな。 異質だから、兄貴や私は異質な場所へ売られたってわけか。 頭がいい私たちは、借金してばかりのろくでもない親に育てられた。 育てられた記憶はないが、兄と共に眠る家があったのは記憶がある。 頭が悪い親だったので、私が正論を言うと殴ったり蹴ってきたり、口で勝てない分、暴力が日常茶飯事。 兄は、私をかばうけど蹴られても殴られても、無表情。 それが不気味だったのか、私たちは親と会話をしないまま大人になって行った。 『まあ大学ぐらい出ておかないと、生きにくいでしょうから大学費用は稼ごうかと思います』 『この妖しいピンクのビルでかよ』 男専用の、高級デートクラブ。 そこに売られた。 が、面接で落とされたら、紹介料持ってバックれた親は良いが、私らは路頭に迷う。 ピンク色のテナントビル、性別不明な着物の社長、そして兄。 悲しいとか怒りとか、そんな感情よりも、生きるのは煩わしいと思った瞬間だった。 『……君達、未成年じゃないのかな?』 ロビーのソファで待っていた私たちに話しかけたのは杖をついたご老人だった。 『まあ、そうっすね』 『親に売られたので、ここが未成年不可とか知らなかったので』 おろおろと、視線を彷徨わせたじいさんは、私と兄貴を交互に見た。 『詳しく話を聞くから、うちにおいで』と。 じいさんの過去を私たちは知らない。 ただじいさんは私たちとは比べ物にならないぐらい裕福で、そして穏やかな人だった。 多くは語らないけれど、私たちを引き取ったせいで親戚から距離を置かれても私たちを本当の子のように育ててくれた。 私達異質な兄妹を招き入れた土御門御殿が、今、崩れようとしている。 兄貴はそのまま、連絡もなしに5日、崩れて行く土御門御殿に帰って来なかった。

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