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覆水盆に返らず。還らず。帰らず。⑨
「親の七光で生きて行くには、弱いふりをしたほうが油断できるんです」
「そうですか」
「吾妻君も僕にはとても優しいし、恰好良いし、本当に恋人みたいに大切に扱ってくれるし……嬉しかったな」
それだけだった。
てっきり吾妻の客で、私を監禁してることも教えちゃうほど深い仲ゆえに牽制かと思ったが違う。この子は、吾妻さんを気に入っていて、自分を重ねて守ってあげようとしている。
もしくは――デートクラブ内の恋愛ごっこをこれからも楽しみたいから、問題を起こさせたくないのではないだろうか。
こちらに何か牽制する素振りもなく、ただただそれだけを言うと彼は扉から出て行った。
枕の下に鍵を仕込んでくれたのだけは感謝したい。
『とても優しいし、大切に扱ってくれるし』
その点は少し羨ましくもある。
彼は私が『祖父の愛人』だと興味を持ち『どう抱かれていたのか』と身体目的で近づいている。
否定しても良かったけれど、向こうが決めつけているのが少し腹が立ったので敢えてそのままで来たけれど、今回の事件の失態のせいで感情が迷子になっていた。
もう少し違った形で会っていたら対応が変わっていたかもしれないのに、三人で変なこともするし。
「花渡ー! たっだいまー! メシ買ってきたよ」
何も考えていないようで、本能や直感で行動するこの人もいるわけですしね。
「暇さん」
「何? あ、トイレ一緒に行こうか?」
「私は多分、吾妻さんが好きですよ」
牽制のつもりだったのだが、暇さんの反応は違った。
何故か目を潤ませて、へなへなとその場に座り込んだ。
「やべ。嬉しい」
「……なぜですか」
「俺、恋愛って苦手だからさ。二人の気持ちが全く分からなくて。もし花渡が本当に吾妻を傷つけたくてあんなことしたんなら、ホント、まじ、トラウマフラッシュバック!」
トラウマフラッシュバック……。
初めての言葉に面食らいつつも、一応、彼なりに色々心配してくれていたのだと思うと自然と頭が下がった。
「すいませんでした。貴方に気苦労をおかけしましたね」
「そーだよ。兄貴に聞いたんだろ? 俺なんてさ、ヤクザの紛争に紛れて生まれた子供だぜ? 敵対する組長の娘を『暇つぶし』に襲って出来た子ども。ね、やばいっしょ」
テーブルに買ってきた弁当を並べながら、けろっとトラウマを話すあたり、彼の闇も深そうだった。
「だから、愛の無いエッチはだめよ。どうしてもムラムラするならAVで抜きなさい。そのために俺は男優になったんだから」
「菩薩みたいな思考の方ですね。暇さんは」
「え、俺菩薩? 菩薩ってお地蔵さんみたいな感じ? まじ?」
明らかに私の発言に引いている暇さんの様子は、少し面白かったので否定も肯定もするのは止めておいた。
「優しい方ですねッって事です。褒め言葉だと理解してください」
「まじかよ。俺、超菩薩」
暇さんは、苦労されているはずなのに私とは正反対で眩しい方のように思えた。
はっきり言えば、健気でいじらしくとても素敵な方だと思う。
「そろそろ吾妻来ると思うんだけど、俺、隣の部屋でメシ喰おうかな。二人の方がいいでしょ?」
「……その判断は二人にお任せしますよ、私は雨の日の暴行について反省したいのでお二人には逆らいません」
「まじか。あーんってご飯食べさせてみようかな」
ピンポイントで、人が嫌がることを当てるのは天才的だった。
「あー! 大学から此処、遠すぎ」
「ほら、吾妻帰宅なうー!」
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