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覆水盆に返らず。還らず。帰らず。⑩
「……帰宅なうだよ」
気まずげに吾妻さんは言ったのち、私の表情を気にする素振りで私を見た。
これぐらいの監禁で、私が傷つくと思っているなら可愛らしいですね。
食事さえもらえないゴミ屋敷で、式部と生きてきた日々に比べたら、待遇は良すぎなのに。
「……なんか言えよ」
そうです。吾妻さんは最初から可愛らしい方だったんです。
苦労も知らず、幸せそうな家庭で生まれ育ち、大変可愛らしい方でした。
「お弁当食べる? から揚げ弁当あるよ」
「……いらない」
吾妻さんは弁当をちらりと見た後、少し疲れた顔で私の方へ来るとそのまま抱きつくように倒れました。
「どうしたの!?」
「今日は疲れた」
短くそう言うと、目を閉じて甘えるように私に縋りつき、そのままずるずるとベッドへ倒れ込んでしまわれました。
「……大学のテストの結果が悪かったとか?」
「悪いぐらいで倒れるような人ではないですよ」
うろたえた暇さんにそう言うと、太腿に手を置かれた。
「テストぐらいで凹むか。あーあ。癒されたい」
それでも大学で何かきっとあったのでしょう。
弱った自分を見せたくないのか、うつ伏せで倒れ込んだまま起きようとはしなかった。
「……大丈夫ですか? あ、舐めた方がいいですか?」
「いやだ。お前、無駄に上手いからこんな時に無理やり起たせたくない」
「じゃあ俺、さきに弁当食べちゃうからね! ほら、花渡も食べちゃおう」
暇さんに促され、ベッドに転がる吾妻さんを見つつもお弁当を食べる。
可愛らしいままで育って、今も可愛いままで良かったのに。
何か大学であって凹んでいるのは明確なのだけど、一向に浮上する様子がない。
「大学にイジメなんてあるはずないですし」
「なんでそう思うの」
私の失言に吾妻さんは覇気の無い声で尋ねてくる。
「じゃあ苛められてるんですか?」
私の直球の質問に、吾妻さんは溜め息を吐く。
「友達に、吾妻はゲイだって噂が広がってるって言われただけ」
「噂……」
「超最悪。デートクラブのバイト現場見られたのかな」
「じゃあさっさと辞めてしまえばいいのでは?」
落ち込む吾妻さんに、本当に心からそう思うので言ってみた。
別にお金にも困っていない。
生粋のゲイではないのかもしれない。
だったら別に、そこまで執着する必要がないバイトだ。
「……最初は、花渡に怒られて面白かっただけだけど、今はちゃんと責任持ってやってんだよ」
「わかるー。俺も仕事中は相手の子まじで恋人のように愛してるし」
暇さんがいると話が進まない気がするので、二人っきりで話したかったのだが仕方ない。
「……花渡も前はもう少し怒ってくれてたのに、最近対応が塩だよね」
それは、私が社長に根回しし、吾妻さんにはハードな客をとらないように依頼したから、とは言えない。
彼が、セックスを強要してくるような相手や、外見や職業に難色を示すような相手が来ないのは、本家の立場だからだと知っていてほしいものだ。
「じゃあ私が恋人になったら、辞めてくれますか?」
「こ!?」
「ひゅーひゅー」
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