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第2話 秘密のパンツ

「うち、もうすぐだから。寒いでしょ?」 「い、いいいいえ」  いや、言いながら震えすぎて、歯がガチガチ鳴ってるからね。  寒くないわけない。  雪が降った翌日、青空だからってあっちこっちに雪が積もっているんだから、冷蔵庫の中にいるようなもんだ。雪かきの最中は暑いとコートを脱いでたって、シャーベットアイスと化した泥雪を全身にかけられたら、暑さなんて一瞬で冷める。今日は休日なのにも関わらず、学校の先生らしい白いシャツにニットベスト、スラックスに長靴っていう格好だった林原先生はびしょ濡れで、いくらでも身体の熱を奪っていく保冷材のようなシャツに肩を竦めてる。こんな泥だらけじゃあとコートを着れないっていっても、これじゃ凍え死ぬでしょ。 「俺の羽織って」 「え! いえ! そんなとんでもない! 僕、今、泥だらけなのでっ」 「俺のは安物のダウンだから」  汚れるかもしれないと、今すぐにでもゴミ箱に捨ててかまわないような着古したダウンを着てきて正解だった。 「気にしないで」 「……でも」 「いいから。あ、うち、あのマンション」  新築三階建ての三階、角部屋。そこを指差した。 「い、いいんですか? あの、僕」 「鍵、あの状態じゃすぐに見つからないでしょ? 鍵屋さんを呼ぶにしても、大家さんに連絡するにしても、すぐには無理だし。何より、連絡する前に凍え死んじゃうでしょ」 「……あの……ありがとうございます」  真っ赤な鼻に真っ赤はほっぺた。色が白いから余計に赤くなりやすいんだろうな。 「どうぞ」 「す、すみません。お邪魔します」  林原先生がおずおずと玄関先でお辞儀をした。 「あの、すみません、雪、長靴の中に入っちゃったんです。だから、その」  靴下が濡れてるらしい。ちょっと冷めたいだろうけど、靴下をそこで脱いでもらった。林原先生はまた頭を下げて、靴下を脱ぎ、部屋に上がる。いつから雪が長靴の中に入っていたのか、靴の形で氷になった雪をくっ付けたびしょ濡れの靴下も悲惨だけれど、真っ赤になるほどかじかんだ爪先は見ていて可哀想なほどだった。  だから、とりあえずバスルームへ案内して、シャワーのお湯を出しっぱなしにした。少しずつシャワーに湯気が立ち込めて、まだ顎を鳴らすほど冷え切った彼だけを残して、バスルーム扉を閉めた。洗濯機の中に汚れた服を放り込んでくれてかまわないと、まだ震えているだろう彼に告げる。  洗濯までは、と遠慮している彼に、自分のも洗うからそのついでだと扉越しに伝えた。 「ありがとうございます。あの中に……」 「あぁ、出しちゃっていいです。それで、中に放っておいてください」 「え、でも」  そうだった。昨日の洗濯物が、翌日雪が降ったら乾かないと思って、洗濯乾燥までしてたんだっけ。洗濯機の中には昨日洗った服がそのまままだ残ってる。あのメールを見て学校へと向かったから、中に……入った……ま。 「まっ、待って!」 「わ! ご、ごめんなさい! あ、あの、出してと言ってた、からっ」 「ま……」  洗濯機の中には、昨日別れたあいつの――。 「! わぁぁぁぁぁぁ!」 「ご、ごめん」  慌てて飛び込んだら、もうすでに全裸になっていた林原先生が叫びながらその場にしゃがんで。俺は慌ててまた扉を閉めた。 「ごめん。それ。先生の着てた服、床に置いておいてください」  あぁ、しまった。  あいつは勝手に洗濯とかするから。下着。あいつのって、すごいんだった。 「……は、はい」 「あー、洗濯機の中はそのままでいいんで」 「はい……」  一番に目に入ったのは全裸で男物のきわどい下着に目を丸くした林原先生だった。 「……びっくりした」  二番目に視界に飛び込んできたのは、全裸の林原先生の白い肌と……。  昨日、セックスして、すっきりさっぱり、風呂から上がったところで「雪すごいから帰ったほうがいいんじゃない」発言でのビンタ、からの別れ話、そして、朝起き抜けの雪かき労働ですっかり忘れてた。  相手は色々慣れてる年上。エロい下着が好きらしくて。まぁ、あの純朴先生には衝撃的だろうな。 「あ、あの、お風呂、ありがとうございました」  この純朴先生にはさ。 「……いえ、コーヒー飲みます? シャワーじゃあったまらないでしょ?」 「い、いえ! そんなっ」 「コーヒー、嫌いです?」 「いえ……」 「砂糖とミルク、入れる?」  少し申し訳なさそうに唇をきゅっと結んでから、もうマグに注がれている二杯分のコーヒーを見てコクンと頷いた。  砂糖とミルク、両方を入れたコーヒーを彼の目の前に置いて、自分はブラックのまま手に持って、一口飲んだ。  彼はその様子をじっと見つめて、湯気立つ甘いコーヒーを両手でしっかり持って、ふぅ、と息を吹きかける。 「さっきの洗濯物、すみません、変なものを見せてしまった」 「え? ぁ、いえ」  顔を上げて、そして、小さく首を横に振って、また視線を甘いコーヒーへ。この先生なら口硬そうだし、別にプライベートのことまでとやかく言われたくないから、まぁ、なんとか、なるかな。 「あ、あの、こちらこそ、その、見ちゃい……ました、よね」  耳が真っ赤だった。寒さで赤くなったのじゃなく、恥ずかしさで真っ赤になっている。  俺がこの純朴先生に見せてしまったのは、あやとりですか? ってくらいにきわどい黒の紐状でしかない男物の下着。  そして、その純朴先生が俺に見せたのは。っていうか見ちゃったのは。 「あの、僕の……」 「……」  普通、男同士なんだ、別に裸くらいであんなふうに慌ててしゃがみ込むことなんてない。 「僕の……」  小さな子どものようにマグカップを両手で持って、膝を抱えていた林原先生が呟いて、さっきまで凍りかけていた足のつま先をきゅっと丸めた。 「見ちゃいましたよねっ!」 「あー、まぁ……」  見ちゃったよね。まぁ、けっこうしっかりと。 「……恥ずかしい」  小さな、消え入りそうな声。消えてしまいたそうに膝を抱えた腕の中に顔を隠して丸まってる。 「見ちゃいましたけど、別に……」 「あ、あの! その、場所が場所ですが、変なことしてたわけじゃないんです! そのっ」  白い肌、のぺっと薄い胸のとこにさ。 「助けてください! あの! こんなこと、誰にも相談できなくてっ」  この純朴先生のさ。 「え? あの、先生? お、落ち着いて」 「見て、いただいてもいいですか?」 「は?」 「僕っ」  乳首に。 「僕っ」  乳首に絆創膏がって。 「僕の乳首」  ちょっと衝撃的でしょ? そんなとこ、あんま貼らないじゃない?  普通、貼らないでしょ? 乳首に絆創膏。だってこの人、ついさっきまで雪かきしながら「うんとこしょどっこいしょ」って言ってたしね。  だから、なんでそんなとこ、どうした? って、やっぱり思うでしょ?  思っちゃうでしょ?  なぁんにも知らない初心の塊みたいな先生が乳首に絆創膏貼ってたらさ。 「僕、乳首がへんてこ、なんです」  ぺりりと剥がされた秘密のお札。 「ほら! 普通はここ出てますよね? 出て! ますよね!」  ほらって、言われても……ねぇ。テンション高いな。 「僕の……へんてこ」  ぺりりと剥がされて露になった。 「あー、けど、これは、なんていうか、治るっていうか。ちゃんと出るっていうか」 「マッサージですよね! してます……ちゃんとしてるんです。くるくるくるって」  林原先生が顔を上げると、目尻が濡れて光っていた。え? あの、乳首、くるくるいじりながら上目遣いで涙目って、あのね。 「あの、実践しなくても大丈夫ですよ」 「でも、出ないんです。出てきてくれないんです」  なんかすごいね。出るっていう単語のパワー。 「あー……えっと、いじり方? かな?」 「いじり方! ご存知なんですか?」 「は?」 「あのっ、お願いです! 教えてください! ……こんなこと、こんなこと言いたくないんです」  小一時間前まではただの純朴先生だった。 「さっきの黒い紐、パンツですよね」  パンツって、なんかすごいな。パンツって呼ぶだけで色気壊滅的になくなるな。 「パンツですよね! 僕見ました!」  一番に目に飛び込んできたのは、この純朴先生の、同じ小学校教諭の、全裸。 「あのパンツは秘密のパンツですよね! そして僕の秘密、見ましたよね!」  秘密のパンツって、なにそれ。なんか急にメルヘン。  二番目に、目に飛び込んできたのは、その純朴小学校教諭の林原先生の白い肌と、乳首だった。 「大須賀先生!」  白い肌にはとても目立つ衝撃的なほどにピンク色をした、陥没乳首が、あった。

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