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第4話 ゴッドなハンド

 ベビーなピンク、だった。 「新年明けましておめでとうございます。えー、昨日、雪対応にご協力くださった教諭の皆様、本当にありがとうございました。えー、今日から三学期が始まります。登校時間は雪の影響で予定より一時間遅らせてとなります。あと数名の先生方が今も校内の積雪除去、および、安全確認のため見回っています。また通学路見守り係りの方はすでに配置場所に向かっておりますが――」  陥没、してた。 「安全に充分配慮していただき……」  陥没してたけど、ローションヌルヌルでクルクルのカリカリってしたら、出てきた。  ――あっ……ンっ。  けど、あれはセックスでも、セックスの前戯でもなく。  ――出ます、か? 僕のっ、陥没乳首っ。  そうそう、陥没乳首改善マッサージ。  ――あ! っんんんっ。  ……だなんて、嘘でしょ? 嘘だよね?  っていうか、一昨日、付き合ってた相手を振った? 振られた? とりあえずビンタされて終わった、その相手が履いていたエッロい下着を同僚に見られて、その同僚が陥没乳首で。俺はそのエッロいパンツで脅され、その陥没乳首をマッサージさせられた。  セックス用ローションの存在すら知らない童貞処女な純朴先生に脅迫されて、乳首、触ったとか、嘘みたいだよね。  どんな冬休みラストだよ。ビンタのこととか今久しぶりに思い出したよ。  しかも、あれで性的なニュアンスが自分の中では全くないっていうのがさ、驚愕の事実だよね。マジで。  だって、素敵な笑みで「ありがとうございました!」って元気に帰っていったもの。大家さんがお昼すぎなら時間があるっていうから、洗濯物が乾燥し終わるのを待たずに帰ったもの。 「えー、昨日の雪かきもご苦労さまでした。大須賀先生」 「! ぁ、はい」  そうだった。今、校長に言われて思い出したけど、雪かきもしたんだっけ。 「それではまた、今年も宜しくお願い致します」  校長の挨拶がようやく終わった。  いつもながら長い話しだ。  今日からまた学校が始まる。普段ならそれだけの、普通の一日とさして変わらない日。新年だからと少し挨拶が多いっていうだけの一日。 「あの、仁科先生。林原先生を見かけなかったですか?」  一年の担任は四人。担任教諭は連絡が取り易いようデスクが各学年ごとに島状態になっている。俺が一年一組の担任、二組が隣のデスクで、今、ひっつめ髪の七三にしている真面目そうな女性教諭が仁科先生。もうお子さんもいる人で、ベテラン、一年の学年主任でもある。 「いえ……林原先生なら、校内の安全を確認する係りなので、まだ見回っていますよ」 「あ、林原先生ならさっきスコップ持って、うなだれながら、歩いてましたよ」  もう一人、純朴先生の現在地を教えてくれたのが大野先生。  俺の目の前のデスクで、元気ハツラツ、ジャージ姿でいることが多く、一見したら体育の選任教諭っぽい先生。男で、若くて、元気が。 「おーい! って声かけたんですけど、たぶん、雪かき忙しいのかも。めっちゃ降りましたもんね」  元気がハツラツとしすぎていて、俺はちょっと苦手なタイプ。能天気であまり真面目じゃない部分は似てるんだけどね。 「雪合戦できそうっすよね!」  ほら、こういう雪にはしゃいじゃう元気ハツラツなとこが苦手なんだ。  それと一年の担任は、もう一人。 「俺、ちょっと探してきます」 「ぇ? 林原先生をですか?」  純朴先生の林原慶登(はやしはらけいと)先生。  一年四組の担任で、小柄で猫っ毛がいつでもほわほわしていて、眼鏡が少しズリ下がる天然系。子どもには人気があると思った。ただ、俺は他の仁科先生、大野先生と同じように当たり障りなく、挨拶と一言二言話す程度……だったんだ。  暖房がしっかり効いていた職員室を出ると雪で冷え切った廊下の寒さに身が震える。  あの人、昨日だって雪かき係だったのに、なんでまたやってんの? 別に今日のは係りでもなんでもないでしょ。安全確認の見守りも、だなんて。 「……」  体育館の裏手、その手前に植物園がある。小さな植物園は柵が壊れかけ、冬のこの時期じゃただの枯れ木ばかりなんだけれど。  そこに林原先生が一人、ぽつんと立っていた。  昨日の雪かきで学んだようで、ダウンに長靴姿。そのダウンに顔の半分が隠れてしまうほどもこもこしている。  俺は、元気ハツラツでも、真面目でも、天然でもなく、普通の先生をしてる。ゲイってことは隠しつつ、プライベートは内緒のどこにでもいる先生。あまり頑張らないし、あまり張り切ったりもしない。 「林原先生」  声をかけると、思いきり飛び上がって、その際に手放したスコップが手前の雪の中にカキ氷を食べる時に似た音をさせながら埋もれた。  日はよく当たる場所だけれど、さすがにあの大雪が一気に溶けてしまうほどじゃなくて、溶けかかって、一晩かけてまた凍って。シャーベッド状になっている。  それとそのシャーベット雪が一面にあるからかなり寒い。 「すみませんっ」 「……」 「あ、もう朝会終わっちゃいましたよね。一年生のことで何か、連絡とかありましたか? すみません。雪かき手伝ってて」 「……」 「あ! そうだ! お借りした洋服! お返しするの明日でも大丈夫ですか? まだ、その」 「……落ち込んでます?」  猫っ毛に元気がなかった。別に注視してたわけじゃないけど、俺が知っている純朴先生は、ほら頭のてっぺんの毛がさ、ほわほわほわって、いつだってそよ風程度の小さな風一つにも揺れているイメージだったから。  ぺたんとなっていた。  だから、その髪に指先で触れようと、手を。 「うわぁぁぁぁ!」 「この手!」  もう、なんなんだこの人。  肩を落として小さくなったダウンモコモコ星人だったくせに。人の手をむんずと掴んで、いきなり叫ばないでよ。  ガラにもなく叫んじゃったじゃん。 「この手、ゴッドハンドなんですかっ!」 「は、はぁぁ?」  何、ゴッドハンドって。怪しすぎて、よくそんな命名できたなとこの人に驚くんだけど。そのセンスに。 「また! 乳首が! 陥没したんです!」 「はい? 林原先生?」 「だから乳首がまた陥没して、この手がゴッドハンドなんですかって!」  いや、そんなでかい声で言いなおさないでよ。ここ一応屋外であと二十分もしたら小学生がわらわら通ったりもし始めるから。 「知ってましたよ! 持続的にマッサージしないといけないって! わかってました!」 「林原先生、声のトーンを少し」 「わかってたんです! でも……でも、だって、また痛くなっちゃんたんですもん」  つい、一昨日まで、いや、長期休暇の間、同僚のことなんて思い出さなかったから、冬休み前まではただの同僚でしかなかった人。  ただの純朴先生だった。 「ゴッドハンドの、この指……」 「は、はい?」  むんず、と掴まれた指。ねぇ、ちょっとぶんぶんされると、痛いんですけど。 「この指は何か魔法が使えるんですか?」 「はい?」 「だって、昨日、してもらった時は、なんか、くすぐったくて、ヒリヒリなんてしなかったんです! でも、夜には乳首引っ込んじゃったので、出そうと思って同じようにクルクルしてみたのにちっとも出てきてくれないし。硬くもならないし」  まぁ、もう、わかってる。乳首が引っ込んじゃうとか出てこない出てくる、硬くならない、どうのこうのをこの人は性的要素ゼロで、純朴先生として話してるって、わかってますよ。うん。そうね、出ないかもね。 「何が違うんでしょう……僕」  大きな声で陥没乳首って叫んだかと思えば、ズビって鼻を鳴してしょげるから、思わず笑ってしまった。っぷ、って噴き出した。 「先生ってば!」 「あー、いえ、あの、昨日、ローション使ったでしょ?」 「はい! ローションちゃんと使いました! もちろん! ヌルヌルする感じの、ハンドクリームですけど。それだって……あ! もしかして、あのローションに何か秘密が! そしたら、メーカーを教えていただけますか? 僕! 買います!」  それちょっと、じゃない? っていうかメーカーって。ナチュラルすぎて面白いんだけど、この会話そのものが。しかもその会話を学校の植物園でやっているっていう謎ね。 「いや、そうじゃなくて、あれ、アダルトグッズなんですよ。俺の場合なら男同士の時に使うんです。って、林原先生、やっぱわかってなかった」 「?」 「俺、男性が恋愛対象なんです。ゲイ。だから、乳首いじるの上手なのかもですよ? ノンケじゃないんで」 「!」  びっくりされてしまった。  けど、たぶん昨日と今日の貴方のほうが確実にびっくり人間だから。 「俺、それをばらされたくなかったら、って、脅されてるんでしょ?」 「! そう! いうことだったんですか? はい! でも! 僕、脅してました!」  ここだけ聞いてたら、いや、今この一連の会話を保護者さんが聞いたら、卒倒するよね。乳首だ、ローションだ、脅すだ、脅さないだと、 「また、脅されれば付き合いますよ?」 「で、でも」  別に脅迫者さんが脅迫してこないなら手伝う必要はないんだけどさ。まぁ、なんだか楽しかったから。 「で、では、あのっ」  ちょっと、むんずと掴まれた指は痛いけど。 「あの先生の秘密を内緒にする代わりに」  俯くと眼鏡がずるっと下がったこの人は見ていて飽きない。 「また僕の陥没乳首、マッサージ、してもらえませんか? あ、今日、ちょっと学校が終わった後にやることあるので、その後、お付き合いいただけたらと」 「え? 今日ですか?」 「ダダ、ダメでしたかっ?」 「っぷ、いえ、大丈夫」  脅してるこの人のほうが都合を俺に訊いちゃうような感じが面白くて。 「そしたら、ぜひ! あの、パンツのこと、秘密にしますので、僕のこと、助けてください!」 「はい、いいですよ」 「ちょ! なんで笑ってるんですか!」 「っぷ、あはは」  だから、また脅されてもいいかなぁと思ったんだ。

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