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第8話 新年会
さすがに学校内で「今夜どうですか? 乳首マッサージ手伝ってもらいたいんですけど」なんて会話をできるわけがなく、やりとりは最初に交換した連絡先でこっそりと交わされていた。
「…………」
今日は、なし、かもね。
昼休み、資料倉庫の中、埃っぽいそこで、そっとスマホを確認した。
連絡がないし、一昨日やったから。
継続的にやったほうがいいというアドバイスを信じて、三日に一回、たまに二日に一回、あの人のうちに招かれる。なんか、それもすごいなぁと、冷静に考えると思うんだけど。定期的にうちに招かれて、そこで乳首をいじらされるってさ。
そんな乳首マッサージの、一昨日のお誘いの時のが。
――今日はすごく寒いですね。あんこうを買ったのでお鍋、ご一緒しませんか?
ってさ。ほぼ、それってただのお誘いになってるけど。でもあの人はそこまで気がつかないだろう。天然だし。
っていうかさ、あんこう鍋って言ったって、あんなに買うことないでしょ。何人前作る気ですか? ってくらいに買っていた。餃子もそうだけど、よく食べるんだよね。あの人。普段、無駄にあたふたバタバタしてるからカロリー消費がハンパじゃないとか? でも、あの薄っぺらい腹にどんだけ……。
――ぁっ、大須賀先生っ。
「……」
「あ! こんなところにいた! 大須賀センセー」
びっくりした。やたらと声の大きな大野先生に呼ばれて、飛び上がって、手を棚に少しぶつけたじゃん。資料倉庫なんて人滅多に来ないし。
「大野先生」
「今日、少し時間変更ありましたので、お知らせに回ってるんですよ。六年生の担任がちょっとだけ用事があるそうで、お店に尋ねたら三十分くらいの時間のずれは可能ってことだったので」
「……」
無言でいると、向こうもしばらく無言だった。
「新年、会?」
大野先生がコクンと頷いて、なんとなぁく思い出すような、思い出さないような。
あ、でもなんとなく思い出してきた。忘年会もやったんだから、新年会はいらない気もするけど、って思った記憶がある。
「新年会、今週の土曜でしたっけ? っていうか、明日?」
「えー? 忘れてたんすか? もー、悲しいなぁ、俺、幹事で頑張ったのにぃ」
大野先生が頬を膨らまして、いじけてみせた。いじけても、決して可愛いわけではなく、頬を膨らませた後、ドタキャンをするつもりなのでは! なんていうから、大丈夫だと答えた。社会人にあるまじきことしないっつうの。別に用事もないし、予定も入れていない。
「そしたら、時間、三十分遅れで」
「……」
「六時半ですから!」
その新年会の開始時間すら、記憶が曖昧な俺に、元気な声で集合時間を知らせると、次の人への連絡だと急いでこの場を走り去っていった。
その後ろ姿を眺めながら、あの人、林原先生は真面目だから新年会のこと忘れたりしないだろうし、あれのお誘いじみた連絡が来ないのは、そのせいかもしれないって思った。マッサージは明日、新年会の後かなって考えていた。
忘年会は十一月の終わりだった。少し早いけれど、十二月はきっと学期末で忙しいからって、その時期の開催になったんだけど、その時もこの人はどこにいたんだっけ。
その忘年会では、林原先生は本当にただの純朴先生で、ただの同じ一年生担任教諭で、新人、そんな程度の認識だった。
「忘年会の時は、大野先生と一緒にいたんです」
「……へぇ」
あの騒がしい中にいたのか。他の静かな先生方に混ざってゆっくりのんびり酒を飲んでたのかと思った。あ、でもそうかもね。変なところで漢気溢れちゃう林原先生だから。
それなら、むしろ気がつかないかもしれない。ノリが違うから俺はのんびり組の中に混ざっていた。
「なんか、こっちこっちーって大野先生に呼ばれて」
「あはは、呼びそう」
「でも、楽しかったですよ。お祭りみたいで。忘年会も新年会もって、なんか、先生って仕事は賑やかで楽しいですよね。あ! あと夏の納涼会」
教職って、真面目な仕事だからなのか、こういう賑やかなのってけっこう好きな人多いよね。前の学校もそうだった。納涼会に忘年会、もちろん新年会もあって。お花見なんかもあったりする。臨海学校同行組なんかはそこでもまた飲んだり。まぁ、へべれけにはなれないけど、でも、酒飲んでストレス発散くらいしたいんだろうね。
「あはは、めちゃくちゃ一気飲みしてる。大丈夫かなぁ、大野先生」
今、まさにストレス発散とばかりにはっちゃけている大野先生にこの人が笑った。
今回は。その楽しく賑やかな大野先生の隣ではなく、俺の隣に座っている。
ちょこんと座り、頼んだチューハイのジョッキにたまに口をつけては、近くにある枝豆と、唐揚げ、ポテトを順番に食べている。
「レモンチューハイ?」
「はい。大須賀先生は?」
「ウイスキーの水割り」
「うわぁ、大人ですね」
「レモン好きですね」
答え方がからかってる口調だったと口をへの字にした。
「ウイスキー飲みます?」
「うーん、なんか、お酒っぽい匂いだからやめておきます」
「レモンチューハイもお酒でしょ?」
「レベルが違いますよ」
何? レベル分けがあるの? って尋ねると林原先生流お酒の大人レベル指標を教えてくれた。一番レベルが高いのが日本酒で一番低いのがカルーアミルク。日本酒のその上位ランクはわからないけど、カルーアミルクは納得しながら聞いていると、ちょうど運ばれてきた湯豆腐を一つ、林原先生が口に運んだ。
「はふっ、っふっ……」
「熱かったんですか?」
「はふ、ふっ」
「大丈夫?」
熱くて、慌てて、手をバタバタさせるとことかさ、子どもみたいなんだよね。
「はっ、っ」
「ほら、お茶」
「はふっ、っ、んんんんっ」
慌てすぎて、差し出された飲み物が何かを確認もせずに、飲んじゃうドジっ子なのに。
「うわっ、もぉ! これ、お酒じゃないですかっ、うぅぅぅ、美味しくないっ」
「美味いのに」
そっちだって酒でしょ? 可愛いアルコールだけど。チューハイだなんて。間違えて口に含んだウイスキーの不味さにものすごく険しい顔をして。
「チューハイのほうがいいです」
どうにかこうに熱々の豆腐を飲み込むと、真っ赤な舌を少しだけ出した。
「そ? レモンだっけ? 一口ちょうだい?」
「どうぞ」
甘くはないけれど、ほとんどレモンの炭酸水。別に不美味いとは思わないけれど。
「こっちのほうが断然美味しいです」
「ごちそうさまです」
「いえいえ」
可愛いアルコールをたしなむ可愛い系純朴先生。
「ごちそうになったのは、酒のことじゃなくて、間接キス」
「!」
その純朴先生をからかう、可愛い悪戯。
「なので、ごちそうさま」
悪戯をした俺は悪い先生。
あ、でも違うかも。俺のことを脅してるから、悪い先生はそっちかな。
「真っ赤」
「大須賀せ」
「ちょっとー! 林原先生! 大須賀先生!」
「は、はいっ!」
真面目な林原先生が肩を竦めて、短くはっきりと返事をした。酔っ払いの大野先生が一年担任組―! なんて叫んで、それに対抗するように他の学年担任のお祭りタイプが叫んでた。
そんな酔っ払いに真面目に答えるこの人が背筋を伸ばす。俺は隣で、そんな元気で素直な先生だけれど、そのシャツの下では、今日も絆創膏をしてるのかなぁなんてことを考えてた。
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