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第12話 残熱
高校三年だった。
初めて、クラスメイトと付き合った。これが男女だったら、ちょっと奥手、なほうだったと思う。
でも、俺が付き合った相手は男だったから。
最初は悪ふざけの延長だった。じゃれ合いから始まった。
キスをしたのは夏だった。夏期講習の帰り道、アイスを食べてたら、溶けて、濡れた唇が甘かった。
キスをしたら、止まらなくなった。
セックスをするまで、そう間はなかった。
抱いたのは俺で、抱かれたのがそのクラスメイト。
溺れるように、知らないことを貪るように、気持ちイイことにお互いにのめり込んで、隙あればセックス、セックス、セックス。
好きだった。俺はただのクラスメイトの頃から、そいつのことが好きだった。
そのクラスメイトは、俺を好きになってくれた。そもそもの恋愛対象は女だった。だから、きっとどこか無理はしていたんだろう。
――保、俺、やっぱり。
そう言われたのは大学に入ってすぐ、一ヶ月も経たないうちだった。
よくある話。
ノンケだったクラスメイトがノンケに戻っただけのこと。高校よりもずっと広い世界、高校の頃よりもずっと増える出会い。その中で見つけた「普通の恋愛」だった。そのほうがノンケなんだから、そりゃ心地良いだろ。
――俺、やっぱり、ごめん。
「ごめん、って何?」なんて訊いた俺が馬鹿だったんだ。あそこで「うん、わかった」と頷くだけにしておけばよかったのに。なんで返ってくる言葉まで予想しなかったのかと、今でも思うよ。
やっぱり、のあとに続く言葉をあいつは思いやりで言わずにいたのに、なんでそれを聞きたがったのかと。
そんなのさ、「やっぱり普通に女の子がいいんだ」って言われるとなんでわからなかったのか。
俺はあいつのことをとても好きだったんだろう。もうそれからノンケは最初から対象外に設定した。
やっぱり女に戻るんだからって。
「あ、大須賀先生……」
朝、職員用の下駄箱で林原先生とばったり出くわした。
紺色のダッフルコートにダークブラウンの猫っ毛をふわふわにさせて、鼻先が寒さで赤くて、少し眼鏡がズリ下がってて、隙だらけに思える新任教師の林原先生。
「おはようございます」
「ぁ」
この人は、ノンケ。
「あ、あのっ、大須賀先生っ」
「さっむいですねぇ。また週末雪マークが出てたけど、今度も降るのかな」
「あのっ」
「まだ前の雪が溶け切ってないのに降っちゃったら、雪かきしんどいですよね」
そう、まだ前の雪は泥が付いて黒くなっているけれど、道端にしっかり残っている。まだ溶けきってない。そのくらい最近の出来事だった。
「鍵もまだ見つかってないでしょ?」
そのくらい、まだ日が経ってない。この人と秘密を共有するようになってまだ日は浅いのに。
「雪に埋もれたまんまですもんね」
もうこんなに近くに来てた。
それはまるであれみたいだ。キスをしたら止まらなくなって、どんどんどんどん、知らないから、熱に当てられるとさ、のぼせて、溺れてしまうんだ。
「あ! 大須賀せんせー! 林原せんせー!」
「大野先生」
「おはようございます! あの! この前はっ」
「あー、もしかして、謝罪周りしてるんですか?」
大野先生が半泣きで駆け寄ってきてくれて、俺はほっとしてた。さすがに林原先生でも大野先生がいれば話をやめるだろうからって。
朝からこの前の新年会で迷惑をかけたと教師面々に挨拶をして回ってるらしい。俺は、まぁ大変だったけど、でも、仕事柄きっちりしてないといけないから、ああいう時、反動で弾けちゃうんですよねぇって笑った。
「おおずがぜんぜい! でんじ!」
「あははは、天使なんだか、電磁なんだか。理科?」
「天使ですよぉ、天使」
仕方ないでしょ。
「だって、酔ってたから」
アルコールはさ、理性をほろほろに薄めて溶かして、どこかにやってしまうから。
「気にしてないですよ。酒の席のことですから」
そんなふうに理性が溶けてしまえば、初めてのことに溺れるのはいとも簡単でしょ。
「ね? 林原先生」
「……」
ただ、何もかもが初めての純朴先生の場合はそれで許されても、一度、それで失敗して痛い思いをしているはずなのに、また我慢できなかった俺は、ただの馬鹿だけれど。
「あー! 大須賀せんせー! さよーならー!」
「さようなら。気をつけて」
「はぁい!」
四組の教室から飛び出してきた男の子が元気良く廊下を駆けていく。ランドセルの中がお祭りみたいにガッシャンガッシャンと賑やかな音を立てていて、まだ一年生の背中には大きすぎるせいか、そのうち中身がクラッカーみたいにぱぁんと弾けて飛び出してきそうだった。
「「あ! 廊下は走らない」」
注意の声がダブってしまった。
「はぁい、さよーならー」
林原先生と。
「す、すみません。彼、元気なんだけど、元気が良すぎるっていうか。一組は落ち着いてますよね」
「そうですか? けっこうヤンチャな子もいますよ」
「いえいえ、朝礼の時とか、一番に整列し終わってるし。やっぱり先生がしっかりしてるからかなぁ。僕はまだまだで」
「……そんなこと」
「……あ、あのっ」
「あー! 林原せんせー! せんせー! あのね、図書返すの忘れちゃって」
「え? あ、返したい?」
「うん!」
慌てて腰を屈めて、純朴先生が図書室が閉まっていたから返したい本を返せず困っていた女の子と目線を合わせた。
「じゃあ、一緒に返しに行こうか」
「うんっ」
優しいほがらかな先生。
俺は少しのんびりとしていて上手にそつなく教師を「こなす」学校の先生。
それと、ノンケとゲイ。
同僚で歳が近いし、同性だから、今までどおり、仕事もあのことも手伝いをしてあげる。この前のことは酔った勢い。アルコールのせいで、大人の対応をしましょうってこと。
「あ、大須賀先生、お疲れ様でーす」
「大野先生、お疲れ様です」
「そだ、三年生、明日学級閉鎖らしいです」
「あー、ですよね。インフル来てましたもんね」
職員室に戻ると学級閉鎖の連絡をメールで送信するための文章を教頭が作っていたところだった。保健医もその場に立ち会っていて、学級閉鎖になるクラスの確認をしていた。
俺は、あとは宿題の丸付けを今のうちにしておこうかな。うちもインフルの生徒が三人いたから、今のうちにプリント返却できるのはしておいたほうがいいだろうし。
そう思って椅子に座ったところだった。
スマホにメッセージが来た。
――お仕事中にすみません。あの、今日、夜はお時間ありますか?
「……」
林原先生からだった。
「あ、プリントの丸付けですか? 最近、職員会議とかで忙しくて、俺、ちょっと溜めちゃったんですよねぇ」
大野先生がふぅと一息入れた。
「えぇ、プリントの丸付け、しないとなので」
だから、断った。
――すみませんっ! 今晩はちょっと仕事やってから帰りたいので!
マッサージなら手伝うけれど、まだ残ってたんだ。この手に、指に、耳に、あの晩の純朴先生の熱が、まだ残っていたから、今日はまだ、ただのマッサージ、がしてあげられないから、断った。
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