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第14話 雪崩発生注意報
別にあの人が誰と親しく話そうが関係ない。別に気にしないし。
「あ、あぁ! 若い女の子! 特別教室の代理教員ですよ~。ほら、いつもの先生が二週間だったかなぁ、入院するらしくて、その代理で派遣されてるんです。え! もしかして! 大須賀先生ってああいう感じのほわほわ系がっ」
別に。
「……いえ、そういうわけじゃなくて」
訊く人を間違えた。でも女性チェックとかしてるのって大野先生くらいだから。仁科先生に伺うのもなぁって思ったんだけど。
「大須賀先生なら、もっと、こう、シュッとした感じの美人系が好みかなぁって」
そこは笑顔でスルーした。シュッとした感じも、美人系も何もないんですよ。恋愛対象は男だから。
特別教室の代理教員、ね。そしたら、たしかにあの人とは関わりがある。相談窓口役をやってるから。他にも特別教室の教員いるけどね。三人いるけどね。なのに、わざわざ学校の中探してまで、あの人に尋ねなくてもいいとは、思うけどね。って、俺は関係ないでしょ。
特別教室のことにはほとんど関わっていないんだから。別に、俺は。
内心、そんなことを呟きながら、ふと視線を逸らした時だった。
職員室の扉、半開きになっていたそこの隙間から、ちょうど、林原先生が通ったのが見えた。大きなダンボールを抱えて。ほぼ前なんてダンボールのせいで見えてない状態で。まるでダンボールがふらふらと浮いて、ひとりでに移動しているみたいに見えた。それがどうして、あの人だってわかったかっていえば、あの柔らかい猫っ毛がそのダンボールから見えたからで。でもそれでしか確認できないくらい、前があまり見えてないってことだから。
「ったく」
「え? 大須賀先生?」
思わずした舌打ちに大野先生が目を丸くしてたけど、それにかまうことなく、急いで職員室を出て、ダンボールを抱えてるあの人を呼び止めた。
「林原先生!」
「……」
振り返るのもままならないじゃないか。
「何してんですか。危ないでしょ」
「ぁ……大須賀先生」
「前見えてます? そこ階段」
「わ、わかってますよ」
「……」
「ほら、貸して」
「大丈夫! だ、大丈夫ですってば!」
いいから、そう小さく言うと、ダンボールを俺がいない側へと持ち変えてまで、ムキになって渡そうとしない。
珍しく、少しご機嫌斜めみたいだ。
「でも、危ないから、一緒に行きますよ」
「……平気、です」
「中身なんなんです?」
「……けん玉です」
「あぁ」
二月三月で日本の懐かしい遊びを授業で取り入れるんだっけ。
「って、それなら結構な重さじゃないですか」
「へっ、平気ですってば! 僕、案外力持ちなんですっ」
「……」
どうやら、絶対に自分で運びたいらしい。案外、頑固なんだ。膨れっ面のまま、よろよろしているくせに、それでもへの字の口からは「手伝って」の一言は言うつもりがないらしい。
「備品庫?」
「……はい」
「じゃあ、階段脇の扉ね。逆、こっち」
「へ? あ」
階段上を上がっていったら教材関係の倉庫だよ。備品関係はこっちの倉庫。そう教えると、への字の口が一瞬だけ開いて、またすぐにきゅっと硬く閉じてしまう。
「……どうかしましたか?」
「……別に」
純朴先生らしからぬ、ひねくれた口調。
「すみません。最近、マッサージ、手伝えなくて」
「! そ、そういうことじゃなくてっ僕はっ」
「ほらっ、あっぶないな……前、ちゃんと見て」
腕を引いて引き止めなかったら、きっとぶつかってた。目の前にはポスターなんだろう。筒状のダンボールが棚から飛び出していた。当たったってたいしたことないだろうけど、備品庫の中は埃をかぶった箱がしっかり積み上がってる。崩れて雪崩にでもなったら大変だから。
「見、見てますっ!」
「……ご機嫌斜めですね」
「こ、これはっ」
「……じゃあ、来週くらいなら、時間作れますよ」
陥没乳首マッサージ、でしょ? ノンケのこの人にとってはさ。
「い、いいですっ! 大丈夫ですっ! もう、ちゃんと自分でやりますっ」
ノンケ、なんだから。
「だから、マッサージ、しなくて」
ノンケなんだから、この人にとってはただのマッサージ。あの晩は酒の勢いでノリがそういう感じで、雰囲気に流されて、あそこまでしたけど。
「今まで、その色々と」
彼女が欲しいって……言ってたっけ。
「だから、えっと……」
「林原先生はまだ恋愛経験があまりないからわからないかもですが、あの人、脈ありかもですよ?」
「え?」
「ほら、この前の、特別教室の代理教員」
ほわほわ可愛い系? ああいう感じの人と猫っ毛がほわほわな貴方なら、すごくお似合いだと思う。ちょうどいいでしょ。歳も外見も良い感じなんじゃない?
「なんですか……それ」
「なんですかって、そういうことです。彼女、そういうの気にしないと思いますよ。あー、でもむしろ一緒にマッサージって笑顔で手伝ってくれるかも。寛容そうな女性でしたし。よかったじゃないですか。そのダンボール上の棚に置きます?」
これは、ちょっと最低だった。
そして、そんな最低な言い方をしてしまった自分に、ダンボールを上げる手伝いをしながら、飽きれて苦笑いが零れた。
「脈ありかもですよって、どういう意味……ですか?」
「どういうって。欲しいって言ってたでしょ? 彼女」
「じゃ、じゃあ、それじゃ良くないって、言ったら、またしてくれるんですか?」
「林原先生?」
備品庫は薄暗い。それに埃っぽい。
「っ、なんでもないですっ、ごめんなさいっ」
「え、あの、林原先生っ」
涙目だった。声が震えてた。ごめんと謝ってこの場を立ち去ろうとするこの人を慌てて捕まえていた。
「っ」
ここでする会話じゃない。ここですることじゃない。でも――。
「……なら……さしく、しないでくださいっ」
「先生! あぶっ」
だから、言ったじゃん。ねぇ、薄暗くて危ないから前をちゃんと見ろってさ。なのにこの人は。天然ドジッ子の本領なんてここでは発揮しなくていいっつうのに。じたばた暴れたりするから、こんなでかい箱を上の棚に置くこともないだろうに、わざわざ上に置こうとしたりして。それを手伝った俺の懐でじたばた暴れないでよ。
ねぇ、何してんの?
「っつぅ……イッ!」
ホント何してんの?
「! 大須賀先生っ」
暴れたこの人に戸惑って、棚から手を放したところでダンボールが傾いた。大人が両手でしっかり抱えたって前が見えなくなるほどの大きな箱だったから、その中で百以上もあるけん玉に重さが耐えられなくなっていた。ガタガタと大きな音を立てて、崩れたダンボールから零れるように雪崩が起きた。
俺は咄嗟に手でこの人のことをかばったけれど。
「大須賀先生!」
「イッ…………ったい」
この人はいつもずるずると下がってくる眼鏡をその雪崩の中で落っことして、この人を守ろうとした俺は。
「大須賀先生、手がっ」
「っ」
この人のその眼鏡の上に手をついて、掌を切ってしまった。
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