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第16話 君は嵐

 この人はどうして、そう、突飛なんだろう。 「林原先生」  こんな寒い夜に、元から小さいのにもっと小さく丸まって、そんな冷え切った非常階段のところになんていないでよ。 「っ」  ねぇ、人んちピンポンダッシュしちゃうような悪い先生はいったい何してんの? そんな鼻先真っ赤にして、今にも泣きそうな顔しておいて、見つかったら逃げようとしないでよ。 「は、放してっ」 「とりあえず、中、入りませんか?」  細い手首を捕まえた。  何しに来たの?  お願いだから、怖がってよ。怖いから泣いてるんだって、言ってよ。そんな、無言で首を横に振り続けないで。 「こんなとこ、寒いでしょ?」 「…………やです」  ダダっ子のように首を横に振り続けたりしないで。 「林原先生」 「やっ、だ」  ノンケの貴方がここでそんなにふうに泣きながら、いやいやをする理由を勘違いしそうになるから。頼むから。お願いだ。こんなとこにいないで。まるで、最近ずっと避けていたことを寂しがってるみたいに思えちゃうじゃん。 「彼氏さん、いるから、中入るの、やです」  何それ。なんで、そんなことを涙声で言うの、ズルいでしょ。無理になっちゃうじゃん。 「や、放して」  ねぇ、せっかくあの日、キスするのを我慢したのに。 「や、っだ……大須賀っせっ……ンっ、っ」  何を勘違いしてるの? 居もしない相手にヤキモチでもやいているような口ぶりにたまらなくなる。 「んんんっ」  腹の奥が急に熱くなって、衝動のまま、ほっそい腕を引っ張り上げると冷たいコンクリートの壁に押し付けて、奪うようにキスをした。  奪うように、じゃなくて、奪ったんだ。この人のファーストキスを。 「ン、ふっ……ン、ぁ、あっ……っあふっ」  あの日、酔っ払って理性がお互いにほろほろに解けて溶けてても、我慢したのに。せっかくとっておいてあげたのに。 「あっふっ……んんんっ」  この人のファーストキスを。 「ン、ぁっ……あふっ」  なに、ピンポンダッシュって。 「眼鏡、買いに行ったんじゃなかった?」 「なんで、それ」 「あの後、仁科先生も来て、そう話してくれたんです」  壊れてしまった眼鏡を買いに行ったって。見えてないだろうから、歩くのも危なっかしかったけれど、臨時で来ていた特別教室の女性教諭がついて行ってくれるそうだからって。  それって、あの子、でしょ?  ほんわかカップルでお似合いじゃん。大野先生もそう言っていた。 「眼鏡、買わなかったの? あの子と一緒に」 「あの子……鈴木先生のこと、ですか?」  そう。その子のことだよ。同じ職場の人間に対しての言い方ができなかった。苛立ちが混ざって、少し嫌味に「その子」なんて呼び方になってしまった。 「行、きましたよ……お店で、鈴木先生に、眼鏡ないほうが絶対に良いって言われたんです。それで、そのほうが体育の時便利だ知って思って、コンタクトに……して……そしたら、コンビニに、大須賀先生がいたのを見つけて」 「コンビニ?」  キスで濡れた唇をきゅっと結んだ。 「綺麗な男の人と一緒にいました」  さっきだ。帰りに送ったら、コンビニに寄りたいって言ってた。買い物に付き合って、駅まで送って、帰ってきて、この人のことを考えて溜め息をついたところで、めちゃくちゃチャイムを鳴らされた。 「大須賀先生、は、ああいう人が好みなんだぁって思って」 「……」 「僕と全然違うって思って」  この人は自分が何を言っているのかわかってるんだろうか。わかってる? それは祐介にヤキモチをやいたとしか思えない口ぶりなんだ。  鈴木先生はどうしたわけ?  可愛いほわほわ系の女の子。あれは、良い感じになったでしょ。学校外、プライベートのような時間を一緒に共有して、いい雰囲気になって、次、今度はちゃんとしたデートのお誘いとかあったんじゃないの?  なのに、なんで、俺のうちに来て、ピンポン連打しておいて、隠れてんの? 「見つけなかったらよかったのにって、思ったんです。コンタクトなんかしてたから見つけちゃった。だから、外して」 「コンタクト?」 「う、ん」  ねぇ、先生。 「それで見えなくて迷子になった?」 「……違う。見えなくなったら、さっき見た、大須賀先生と綺麗な男の人の並んだところがずっと目に浮かんで。僕だってわかんないっ。気がついたら、ここにっ。やだったんです。邪魔、したくなっちゃった。せんせ、とあの綺麗な人がって思ったら、僕っ」  冷静になって考えましたか? 何か気が動転しているだけなのでは? 貴方、ノンケでしょう? 俺はどう頑張ったって、貴方にとっての恋愛対象である女性からは程遠いでしょ? 「僕、悪い先生っ、……ンっ、んん」  そんな全部を言葉にするのも放り出して、ただ、この人のキスを齧り取るように、唇を重ねて舌を差し込んだ。慌てて逃げようとする舌を絡めとって、歯を舌でなぞって、唾液が溢れるのもかまわず角度を変えて、拙い舌をまた犯すようにキスをする。  まさぐって、もっと深くに舌をねじ入れて。 「や、ですっ」  逃れようとするのを許さず。 「ンっ……な、で、キス、するんですか」  泣いてるのもかまわず。 「彼氏、さん、いる……のに」  俺を押し返そうとする腕を掴んで。 「そんなん、いないよ」 「ぇ、っ……んんんっ」  この人に襲い掛かるようにキスをした。 「ン、んっ……ン、あっ、っぷはっ」  呼吸をする間も与えてあげない、激しいキスを。 「ぁ、彼氏さん……いない、んですか?」  ようやく唇を離してあげたのに、どこかで勘違いをして抗っていたこの人がさ。その一言にふわりと柔らかくなる。ぎゅっと皺を寄せた眉間からほろほろに力が抜けていくから、止められなくなる。 「いない、んですか? 彼氏さん」  まるで、いないことに大喜びするように解けた唇は濡れて、柔らかくて。 「あ……いな、い?」 「いませんよ」  なんなの、その可愛い泣き顔。なんなの、その嬉しそうな顔。 「せんせ……」  ここで、泣きながら微笑むとかさ、ホント、反則でしょ。

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