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第18話 だって、だもん
帰りません、って言ってなかったっけ?
「……林原先生」
もしかして、帰りません、っていうのは一緒にいますってことじゃなくて、トイレに行ってから帰りますので、今は帰りません、って意味?
「大丈夫ですか? 腹、痛いですか?」
俺は前者の意味で捉えたんだけど。でも、相手はあの純朴先生だ。出かける前、お風呂の前、寝る前、しっかりおトイレには行かねばなりませぬ、とか言い出しそうな、あの人だから。
「林原先生?」
この人なら後者の場合もありえるなぁって。
うちにあがるなり純朴先生がこもったまま出てこなくなったトイレの扉の前に座り込んで、ぼんやりと考えていた。
「だ、だ、だ、だ大丈夫です!」
いや、そんなどもってたら大丈夫じゃないでしょ。
「出てこられそうですか? 心配なので、とりあえず体調がどうなのかだけ教えてもらえます? 下痢嘔吐だったら、薬持ってきますから言ってください。ただ落ち着いて用を足したいだけなら、部屋のほうにいますから」
「ひゃわぁ、ぁ、あ、えっと、すみません、今、はい! で、出ます!」
中で何をそんなに暴れることがあるのかと思うくらい、扉の向こうのこの人の慌てた様子が物音だけで簡単に想像できた。そして、ようやく出てきたと思ったら、うちのトイレってサウナになりましたっけ? ってくらいに真っ赤な顔をしている。
「大丈夫です? 冷えすぎた?」
「いえ! えっと、おトイレありがとうございました」
「……平気?」
「へ、平気です」
本当に? そう尋ねながら、真っ赤になった頬に手の甲で触れると、また飛び上がって、そして俯いて視線をあっちこっちとせわしなく泳がせる。
「……あ、あの」
「ん? 何?」
「あの、えっと、おトイレ、ありがとうございました」
「いえいえ」
「その」
このしどろもどろ具合はきっとまた何かあるんだろう。困った顔をしているから。でも、仕方ない。この人にしてみたら、男と、なんて何もかもわからないだろ?
「もう、痛くないんだよね? お腹」
「へ? いえ、お腹は最初から」
「じゃあ」
もしかしたら、何をされるのか、何をするのかも、わかってないかもしれない。
「あっ」
待てないし、今すぐに、食べてしまいたいけれど、でも待ってあげたいと思えるんだ。この人なら。
「あっ、あのっ」
「やっぱり、帰る?」
「え?」
壁に寄りかかって腕を組んだ。抱き締めたくてウズウズしていたから、そうやって腕をしまっておかないと襲い掛かりそうなんだ。
「待ってるよ。さっきはああ言ったけど」
「あ、いえ、あの」
実は、襲い掛かりたくてたまらないけれど、それを我慢できるくらいに 大事にしたいと思ってるらしくてさ。
「何するかわかってないでしょ」
「っ」
首筋に手を添えると、真っ赤な顔をして俺を見上げる。
「男同士でどうやってするのか、って……」
「ひゃぁっ」
その首筋にキスを一つ落としてみた。触れてたら、この人が身じろいだ瞬間を掌で感じ取れるだろうから。ちょっとでも怖さを感じたら、すぐにやめてあげられるように。そう思って、キスを首筋に、うなじに、頬に、瞼に落とした。
「っ、ン」
甘くとろりとした声に煽られる。だから、まだこの人は怖がってない。声は心地良さそうに零れてる。
まだ止めずに続きを、その首筋にキスを繰り返して、そして、服の中に手を。
「あわー!」
甘い、艶めいた空気が一瞬で吹き飛んだ。色気ゼロの大絶叫。
そして、まっかっかのまま唇をきゅっと結んだ、なんともいえない愛らしいけど変な顔。
「あ、あ、あ、えっと、や、やっぱり、あの、ほ、本日はお暇しようかと」
「……」
「も、もう、おトイレまでお借りしていただきまして、誠にありがとう、ございまして」
ねぇ、先生だよね? 日本語おかしくなってるけど、でも、小学校教諭、だよね? もしかして雪かき下手で純朴な、本当は宇宙人だったとか?
「なので、もう、本日は帰宅しようかと」
でも、そこに嫌悪も、恐怖も混ざってない。あるのは気恥ずかしそうに真っ赤になったほっぺたと、困ったとうろたえた瞳。そうだ。この人は一筋縄じゃいかないし、ちょっとの油断もならない相手だって。
「帰宅なんて、なし、だよ」
怖がったら止めるつもりでいた。けれど、怖がってないのなら、止めないでも、いいでしょ?
「は、はきゃあああああ! ちょー、ちょちょちょ、ちょーっとっとっと」
コケーコッコッコ、みたいになってる。
え? 純朴な宇宙人じゃなくて、もしかして、にわとり?
「ふぎゃあああああああ!」
でも、にわとりでも宇宙人でも、なんでもいいよ。
「っ!」
一生懸命に服の、とくにズボンの前を頑なにぎゅっと握って離さない。それならばと、完全防御の構えを崩そうと、脇に手をずぼっと入れた。
さすが敏感ボディ。
くすぐったさに身をよじってくれた。そして、ズボンの前を。
「見、見ないで! ください!」
ズボンの前が。
「あの、お漏らしじゃないんです! その、なんか、おトイレ借りて、そのトイレの前にはもうすでに、濡れちゃってて、えっと」
スラックスの一部分だけ少し色が濃くなってた。そして、それをこれ以上暴かれてしまわないようにって、一生懸命に手でベルトをぎゅっと握ったりして。
なるほど。トイレに篭もってたのはこの沁みをどうしたものかと考えていたからか。
「えっと……だから……その」
「気持ちよかった?」
「っ、はい。あの、ごめんなさい」
「なんで、謝るの」
「だ、だって!」
そこでバッと勢いよく顔を上げるから、バチッと音がしそうなほど視線がぶつかって、そして、またこの人が俯いて、ズボンの前をニットベストの裾で隠してしまう。
「だって……やばい、んでしょう? こんなにしちゃうの」
「……ぇ?」
片手でニットの裾を、そんなにしたら伸びちゃうくらいに引っ張って、もう片方の手でぎゅっと結んで震えてる口元を押さえてる。
目には涙が溜まってた。
「だって、大須賀先生、言ってたもん」
もん、って……あんたはもう。
「か、かうぱ、多いんでしょう? 僕」
かうぱ、って……。
「ぁ、あの時、酔っ払って、え、えっちなことをした時、かうぱ、すごいって言われました!」
「……」
「ヤバイって」
あぁ、そうだった。この人は一筋縄じゃいかない人だった。
「だから、またたくさん、かうぱ、出しちゃったから、引かれて、嫌われたらどうしようって、思って」
「……」
「だって、濡れちゃったんだもんっ」
そうだった。気がついたら、もう、襲い掛かりたくてたまらないけど、それだって我慢できるくらいに嵌ってて。でも、やっぱりもう世界中を敵にしてもかまわないから、この人を独り占めしたいと思うくらい、今、めちゃくちゃ抱きたくてたまらない。
この人は、宇宙人よりもずっと、やばい、純朴先生だったって、思い出した。
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