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第24話 廊下安全歩行月間
晩飯どうするかな。今夜、うちに慶登来るっていうなら、唐揚げ? オムライス? あ、カレーか? 着替えは取りに戻るんだっけ? 職員室でそのこと話せないし、ちょっと忙しかったから、スマホで内緒のやり取りもできなかった。
「大須賀せんせー、お顔がなんかニヤニヤしてるー。あ、プリント全部配りましたー」
「はい。ありがとう。ニヤニヤしてる? はーい、席についてください。今から帰りの挨拶を始めます」
ニヤニヤなんて、してたかな。大きく頷く生徒には微笑みで誤魔化して、帰りの会を始める。
「今日は、プリントを四枚配りました。ありますか?」
「せんせいー、なんでニヤニヤしてるのー、こわいー」
「四枚ない人」
帰りの会が終わって、週末だから職員会議があって、そのあとは――。
「はい。プリント足りてない人はいないですね? 来週の給食当番は二学期の終わりが二班だったので、次は」
その後は、眼鏡を買って。
「また先生のお顔がこわーい」
「三班からです」
泊まり。
「はい! それでは、上履きを忘れず持って帰ってください。体育着も忘れないように。きりーつ!」
「あ。なんか、先生笑ってるー」
顔を引き締めて。
「なんかとっても嬉しそー」
「金曜日だからだー」
「きっとそうだー」
緩めないように。
「はい。挨拶するので、皆、ちゃんと、静かに……さようなら」
「「さよーならっ!」」
別に笑ったつもりもないし、ただのデートに嬉しそうにだってしてないよ。
「せんせー、さよーならー」
「はい、さようなら、あ、誰か、黄色帽忘れてるぞー」
「さよーならー、あ、それ、俺んのっ」
「はいはい。危ないからちゃんとして」
はぁい、そんな呑気な挨拶と、あっちこっちではしゃぐ声に混ざる「先生さようなら」に答えていた。
「あ、林原せんせー、さよーならー」
「さようならー」
四組も帰りの会が終わったところだったらしい。扉を勢い良くガラガラと大きな音を立てて開けたと思ったら、その次の瞬間には、子ども達が溢れ出して来た。
「林原せんせー、もうにやにやしちゃダメだよー」
「し、してません!」
小学一年生と同じ口調で呑気に楽しそうに、彼が「さようなら」をしていた。朗らかに笑うその人の左右を駆けていく生徒がからかっていた。走る度に大きなランドセルの中から賑やかな音をさせ、風のように廊下を、走っちゃいけないんだけど、今月、廊下安全歩行月間だし、そんな廊下を走っていく。
金曜日、皆が何かに急かされるように外へと駆けていく。
「大須賀先生」
「おーすがせんせーもさよーならー」
にこっと笑って、その子にも「さよーならー」と言って、視線がぶつかった。
「……ぁ」
「せんせー! 学童行くのー!」
「あ、はい! うん!」
学童へ向かう時は学年担任がついていくことになっている。当番制になっていて、一組二組、三組、四組の順番。昨日が三組の大野先生だったから、今日は……そっか。慶登が当番だ。
「いってらっしゃい」
「い、いってきます」
見送ると、耳まで真っ赤にしていた。
「廊下は駆けちゃダメですよー」
そう注意をしたら肩を竦めて。
「ひゃい!」
小さくおかしな声を上げていた。
職員会議が終わったのが六時。
誰もいない校舎、校庭、中庭、どこもかしこも昼間、生徒がいる時とはまるで別の場所みたいに思える。
一緒に帰るのはやっぱり少し控えたほうがいいかなと、俺が先に学校を後にした。駅で待ち合わせて、そこから眼鏡屋に行って、夕飯の買い物をして。
そうそう泊まるのはうちだから、着替えもとくにいらない。俺のを着たらいいし。いや、むしろ俺のを着てもらいたいっていうかさ。
「……はー」
息を吐くと真っ白だった。
「はー、はー」
子どもみたいに、一人で息を吐いてはその白さを確認してた。
少しはしゃいでるかもしれない。いや、子ども達にニヤニヤしてるってからかわれたし、少しどころじゃないんだろう。たぶん、けっこうはしゃいでる。
――金曜の夜だけど、飲みに行かない?
メッセージは祐介からだった。別れたけれど、これはなし崩しにセックスはたまにする関係性に、ってやつかな。付き合ってはいたけれど、身体の相性ありきで始まった関係だからどこかドライで。その時の俺にはそれが楽で心地良かった。そんなどこかセフレっぽい関係は別れも曖昧だった。向こうもビンタした時は腹が立ったからしたんだろうし、あの時は、たしかにあれで関係は終わったけど。
――ごめん。
――もしかして? つい? 次を落としたの?
ゲーム感覚に始めることもある。遊びで付き合い始めることも、まぁ。
俺が慶登を落とした? いや、どっちかっていうと。
――俺が落っこちた、かな。
あの人に落っこちた。と、返信したところで、校舎のほうから小さく、でも確かに悲鳴が聞こえた。
「あたた」
「…………慶登?」
「あっ……あの、すみません。たくさん待たせてしまいました」
「イヤ、それは別にいいんだけど……」
なんで、バケツに足、片方突っ込んでるわけ? 何してんの?
「え、へへへへ、眼鏡もコンタクトも今、してないので、あまり見えてなくて。日中はしてたんですけど、眼鏡買うのにしてたらダメだから。でも取るの苦手で」
それでなくても薄暗いから、足元なんてほとんど見えていないんだろう。生徒もいない。先生もたぶん教頭先生とかが数人残ってるくらいで、あとは最後の戸締りをしてくれる用務員くらい。
「……ほら」
「! あ、あのっ」
「危ないでしょ? まだバケツがあっちこっちにあるかもしれない」
「でも、手、繋いでたら」
手、あったかい。まさに子ども体温。
「廊下安全歩行月間です……」
「? は、はい」
「廊下を駆けてたことを誰にもバラされたくなかったら、おとなしく手を繋がれててください」
「お、脅し……」
「慶登の真似」
「ひゃわ!」
――なになに? それって、この前、珍しく律儀に操立ててたお相手?
そう、だから仕方がない。子どもににやけ顔をからかわれて、白い息を吐いて遊ぶなんてこともするくらいには、この人と過ごす二度目の週末にはしゃいでる。
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