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第32話 びよーん、ぺたん
「あれ? 何かいいことありました?」
大野先生に、そう尋ねられて、少しびっくりして、少し答えに戸惑った。大野先生ってそういうのすごく鈍感そうだと思っていたし、そんなことを言われるとは思っていなかったから、答えを想定していなかった。
「…………何か、いいことあったように見えますか?」
「なんか、最近、いつもよりも楽しそうっていうか」
え、じゃあ、普段はあまり楽しそうじゃないってこと?
「ちょっと鼻歌歌ってたし。校歌」
えぇ、勤め先の小学校の校歌を鼻歌してたって、なんか愛校心すごい人っぽくて、なんか怖くない? 学校大好きっぽいじゃん。
「あ、あれ、林原先生」
「え?」
ふと、大野先生が視線をずらした先に慶登を見つけたらしく、職員室の窓のほうをスッと指差した。その指差した先を目で追っていくと、慶登が生徒たちとドッジボールをしてた。
楽しそうに新品眼鏡はあまりズレることがないはずなのに、動きすぎるんだ。大人なのに寒い中で子どもと同じようにはしゃいで駆け回って、ボールを――。
「あぁ、林原先生、当てられちゃった」
「……」
窓ガラスの向こう側の景色、ガラスで隔てられてて、声は聞こえないけど。
――あぁ! 当たっちゃったぁ。最後まで残りたかったんだけどなぁ。キャッチが……。
そんな感じかな。慶登が何を言ってるのか聞こえてくる気がした。
「林原先生はいつも元気っすよね」
「……」
「けど、なんか最近、一段と元気いっぱいな気がする」
「そうですか?」
「はい! なんか、そんな気がしますよー。あはは、めっちゃ応援頑張ってる」
また視線を慶登のいるグラウンドのほうへ向けると、顔を赤くして。ズリ下りてくる眼鏡を指で押し戻しては、また、一生懸命に声をかけていた。
砂糖菓子?
「できたー!」
ピンク色をした甘い甘いお菓子なのかもしれない。
「よぉし!」
にっこり微笑むほっぺたは餅なのかもしれない。
「いきますよー!」
ぺこん。
「わっ!」
ぺっこん。
「おぉ」
ぺっこーん。
「それ、好きですね」
「はい! 面白くないですか? この待機してる時のワクワクが」
「……」
いや、そんなにワクワクはしない、かな。大人だから。びよーんって飛ぶの知ってるし。
顔を上げた瞬間、勢いよく飛び上がったカエルの絵。そして、そのカエルを一生懸命に目で追いかけてるから頭もぴょんぴょん飛んでるみたい。猫っ毛がカエルと同時に跳ねている。
「何してるんですか! 僕のほっぺた突付かないでください!」
「んー? 今日は、カエルがほっぺたに当たらないなぁと思って」
だから代わりに突いてみた。
「当たり前です! そう何度もドジしません! ちゃんと見てますもん」
風呂上がり、乾かしたばかりの猫っ毛をふわふわにさせて、何してんだ。この先生は。
「これをですね、こうして」
「……」
「こうするわけです」
いや、知ってるし。っていうか、もうこれで二回目だからね。遊んでるのを眺めてるの。
「フンフンフゥゥゥン」
楽しそうに鼻歌混じりで。でさ、その鼻歌が、うちの小学校ので。
「あぁ、慶登のが移ったんだ」
だから、鼻歌が校歌だった。
「ほえ? 僕、何か移してしまいましたか? 風邪? インフル? いや、僕、インフルエンザ、なったことないし」
え? 嘘でしょ。インフルかかったことないって、ホント? けれど、この人ならありえそうだ。インフルなんてネガティブウイルスはこの人を嫌いかもしれない。
「林原先生」
「はい!」
「俺、嬉しそうらしいですよ」
「へ? 何か嬉しいことが?」
さぁ、無自覚だったけれどあったように見えたらしいよ?
「昼休み、ドッジボール楽しそうだった」
「! 見てたんですか?」
「三回。早々にアウトになったところを」
「ぎゃあああ! 全部見られてた!」
あれで全部? 全部、すごい俊足でアウトだったじゃん。
「は、恥ずかしいぃ」
ドッジボールが下手で、ほっぺたが餅みたいで。楽しそうにしている時の鼻歌が小学校の校歌。
「慶登、髪、濡れてる」
「え? あ! 忘れた! 風邪引いちゃう!」
風邪菌もインフルエンザも避けたくなるような元気な感じで。
「でも、まだ寝ない、でしょ?」
「あ……は、い」
でも、身体はエロくて、たまらない。
「また、あとでお風呂入るし」
「ぁっ」
湯上りほんのり色づく肌はとても敏感で。
「あっン……」
首筋にキスをひとつ落とすとスイッチが「ぽちっ」って入る。
「保、さんっ、あ、あの」
おずおずと服を捲り上げ、ピンクが濃い乳首を晒す。まだ隠れてもじもじしている小さな粒。
「乳首、出して欲しい、です」
とんでもないことをお願いする、それと、とてつもなく雪かきが下手な人に、俺のほうこそ何かのスイッチをすでに「ぽちっ」と押されている気がした。
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