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第34話 ハッピーな水曜日
バレンタイン、ねぇ……別に、だったのに。
「えー、そろそろ三学期も半ばに差し掛かります。」
そのバレンタインを三日後に控えた水曜日。水曜だけは授業が早く終わるから、長い全体的な会議はそこで行われる。普段よく行っている学年会議なら真面目な仁科先生を中心に有意義なものになるんだけど、この水曜の長ったらしい会議はちょっと苦手だった。
午後授業がないだけで少しワクワクするのは何も生徒だけじゃない。学校の先生だってもちろん多少なりともワクワクしてる。
つまりは、はよ終われ、と思わなくもない、なんて、あくびを噛み殺しながら考えていた。
たぶん大野先生も似た感じ。
仁科先生は……微動だにしない。あ、でも瞬きした。生きている。なんて。
それで、慶登は。
一生懸命にメモを取っていた。三学期半ば、気を引き締めて、学年が一つ上になることを意識した、意識付けさせられるような学校指導を心がけましょう、ってたぶん、そのノートに一生懸命に書いているんだろう。手元はここからじゃ確認できないけれど、少しダルそうな三組担任大野先生の隣で頑張ってるのが見えた。
「えーと、それとですね、今週末はバレンタインです」
一組、二組と三組、四組、その順番で二つずつ向かい合わせでデスクの島ができている。ちょうど俺の席から、今、会議で演説している校長の間、視線の線上に慶登がいるんだけど。
「えー、学校内へチョコレート等、お菓子の持ち込みは禁止となっております」
耳、真っ赤すぎ。
「何かトラブル等が起きないよう、各先生のほうで充分注意のほう、宜しくお願い致します」
それと、そわそわしすぎ。
「えー、それでは会議のほうを」
水曜の早終わりにワクワクするのは生徒だけじゃない。今週末のバレンタインにそわそわするのは生徒だけじゃない。
大人だって、先生だって、早く帰れたら嬉しいし、バレンタインには少しそわそわしたりするでしょ。しれっとスルーがちっともできない慶登を眺めながら、笑いそうになるのをどうにかこうにか堪えていた。
神隠し? ついさっき、会議が終わる直前までは職員室にいたよね? 斜め前に座ってたよね?
どこに消えるわけ? 他の先生に声をかけられた瞬間、たったの数秒で見失った。
「うーん、去年の教材箱、去年の教材箱」
もう少し探してもいなかったら、校内放送かけようかと思ったじゃん。なんでこんな誰も来ないような倉庫に一人でいるかな。
「何か探してます? 林原先生?」
「ひゃぁぁっ」
ねぇ、先生?
「お、大須賀先生っ!」
背後からそっと忍び寄る男の気配なんてこの人がわかるわけもなく。ふぅって吐息かけられて、思いっきり可愛い声を上げた。
「もう学校閉まりますよ?」
水曜なんですけど? 生徒も先生も用務員さんだって、みーんな早く帰りたい水曜なんですってば。
「あ、去年の教材なんですけど、仁科先生が、算数の教材で去年描いた絵があるから、もし使うならどうぞって、去年の教材箱にあるって教えていただいたんですけど……」
俺もこの人も今年からの新任だから、去年のことがさっぱりだった。倉庫の中には以前作った教材が箱に入って並んでいる。普段は使わないようなものばかり。運動会や卒業式、入学式とかでしか使うことのないものもここに納められている。
「あ、これじゃないですか?」
「ほへ?」
なんとも奇妙な声を出すこの人ちょうど頭の上辺り、手を伸ばすと俺はギリギリ届くところに一つ去年度のラベルが貼られた箱があった。ちゃんと仁科先生のサインも入ってる。背の高くないこの人には少しとりにくい場所だった。代わりに手を伸ばし取ってあげると頭上を見上げて、ぽかんと饅頭一つくらいなら余裕で入りそうなほど口を開けていた。
これもけっこう有効的なんだけど、女性相手だと物を軽々と取ってあげるっていうとてもお手軽だけれど、けっこう効果抜群の萌え仕草。
「ほ、ほえぇぇ」
でも、まぁ、この人にはこういうの無効だけど。そして、やっぱり声が奇妙だけど。
「……って、これ、絵です?」
「絵、です、かね?」
「絵、なんでしょうね」
「絵……え、えぇ」
少し仁科先生は難解な絵のセンスを持っているらしい。中身を見るとなんと斬新な画風の絵が出現した。結構さ、小学校の先生ってオールマイティーというか、なんでもそつなくこなすんだ。音楽から図工、算数国語に体育、教えることは山ほどあって、高校や中学みたいに教科ごとの担当教員がいるわけじゃないから。
もちろん、仁科先生もそうなんだけど。まぁ、図工に関しては教科担任がいるから、ね。それにしても斬新な絵だけどね。
林原先生もそう思ったらしく「ふむむむ」と唸りながら見つめてる。
「なんか、意外ですね! 仁科先生ってもっとシュシュッと描かれるのかと」
「たしかに」
「ほへぇ」
「それ、可愛いですね」
「へ?」
返事? なんというか、感嘆の声が面白くて可愛い。
「……っ、あ、ありがとうございます」
ただそれだけだったけれど、真っ赤になって天然先生がはにかんで、一瞬、ここが学校だって忘れそうになった。
「さっき、顔真っ赤だった」
「へ?」
「校長がバレンタインの話をした時」
「……ぁ」
「俺にくれるのかなぁって思っちゃいました」
くれなかったら、けっこうしっかりと落ち込むけどね。甘いものはお好きですか、と訊かれたし。チョコ、バレンタインの。
「な、内緒、です」
「内緒?」
今も真っ赤だった。真っ赤になって俯いて、きゅっと真一文字に結んだ唇はバレンタインのことを頑なに秘密にするんだって示してる。それが。
「ズルい」
「っ、ン」
それがたまらなく、可愛くて、うなじにキスがしたくなる。
「ンっ」
耳朶を甘噛みしたくなる。
「ぁ、のっ、たも、大須賀先生」
唇にもキスをしたくなる。
「ン……っ、ん、ふっ」
キスを終えると、しっとりと濡れた吐息を零して、真っ赤になった。
「だめ、です。ここ学校」
「だって、先生がバレンタインのこと隠して意地悪をするので」
「あっ……」
こんな寂れて整然と箱ばかりが並ぶ殺風景な場所には不似合いな蕩けた声が聞きたくなるから、キスをして。
「ぁっン、ぁ、ダメ、乳首、触っちゃ」
「俺も意地悪をしようかなって」
手を服の内側へと忍び込ませた。
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