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第39話 バレンタインデー

「保さんは、たくさんチョコもらってそうです」  寝たと思ってた。  一緒に風呂に入って、さすがにチョコレートを全部食べたのはいただけなかったんだろう。あまり腹も減らなくて、湯上りの温まった身体は睡魔に勝てず、二人して布団の中に転がったから。  慶登は寝つきいいほうだから、もう寝たんだと。 「……俺?」 「……モテそうです」  寝たと思っていた慶登は俺の懐にもぐりこんだまま、そう呟いた。もぞもぞと動く度に、フワフワの猫っ毛が顎をくすぐるのがこそばゆくて気持ちイイ。 「女性からたんまりチョコレートをもらって、その中のいくつもが本命チョコレートで。チョコレートが両手にいっぱいで、下駄箱あけるとチョコレートの雪崩が発生して、紙袋一つじゃ足りなくて。紙袋さえ破けてチョコレートの雪崩がそこでも発生っていう」 「俺、どんだけ?」  言いながら、俺の足を爪先で撫でてる。眠いんだろう。その触れる爪先が温かい。本当に猫みたいに全身が柔らかくて温かい。 「だから、本当は今日もたくさんもらってるかもしれないって」 「あぁ、たしかにもらった」 「え!」  思いきり顔を上げると、顎だけじゃなく唇もくすぐったい。 「赤鉛筆と鉛筆」 「…………」  まるで運動会の参加賞だ。でも、この仕事をしていて一番使うことが多くて、一番ありがたいかもしれないプレゼント。 「それって、仁科先生じゃないですか!」  ぷぅ、と頬を膨らませて上半身を起こした慶登の髪はもうしっかり寝癖予備軍と見受けられる異端児的な髪がふわりふわりと揺れていた。 「モテないよ」 「……」 「それと、バレンタインは嫌いな日だった」  チョコレートの雪崩は二回どころか一回も起きないし、紙袋だって必要ない。少女漫画みたいにモテ男子イベントは一つも発生しない。 「大体、その日は学校をサボってた」 「えぇぇっ?」 「ね、慶登、髪がくすぐったいから暴れない」  本当にくすぐったいんだよ。ふわふわしてるからって少し強めに、腕の中に閉じ込めるように抱き締めた。 「バレンタインは、好きな人をかっさらわれる日だったから」 「……」 「そう知ったのは小学生の時」  その日は皆がそわそわしてる。女子も男子も、どこか集中力に欠けていて、そのわりに休み時間になると急に教室に緊張感が張り詰める。  そして、いよいよ放課後。 「好きだったクラスメイトに、クラスで一番可愛いって言われてた女子がチョコレートを渡した」  もちろん男子のほうは受け取った。すごく嬉しそうにしてた。毎日一緒に帰っていたはずなのに、その日からそいつはそのチョコを渡した女子と一緒に帰るようになった。 「まぁ、別にあいつにしてみたら裏切りでもなんでもない。俺はただの友だちだから」 「……」 「好きな子、優先するでしょ」  けれど、そんなのはその年一回だけ、なわけはなく。 「次に好きになった奴は、もう好きな子がいた」  ――なぁ、保、あのさ、お前の席の前の子、誰かにチョコ、あげたりすんの?  バレンタインの少し前のことだった。こっそりと、そわそわしながら、まるで国家機密でも打ち明けるみたいに、いつも一緒にやってたゲームの隠しキャラを見つけたと教えてくれるみたいに、そっと訊かれた。好きな奴に好きな子の相談をされることほど、やるせないことはなくて、きっとあの時の俺はおかしな顔をしてたと思う。 「バレンタインは、好きな奴に笑顔で振られる日」  だから、もう高校からはその日だけは学校に行かなかった。どうせ次に学校へ行った時にそれを味わうんだけど、あのチョコレートの甘い香りがどこかしらから幸せそうに漂う中では味わいたくなかった。イヤだった。 「だから」 「僕! あげました!」  がばりと起き上がり、布団の中に一気に寒い空気が押し寄せる。 「ちょっと、あんまり、美味しくなかったけど、チョコレートを好きな子にあげました!」  甘い甘いチョコレートの香りは人を笑顔にさせる。誰だって美味しくて甘い物を食べたら、表情が朗らかになる。それなのに、自分は切なくて悲しくて、苦しくなるのがイヤだった。  でも、今年、今までで一番、飛び切り甘いのを食べた。 「保さんにっ」 「……」 「ですよね!」  今、その飛び切り甘いのが腕の中で暴れてる。くすぐったい猫っ毛をふわふわ揺らしながら、大きな声で、鼻の穴を大きく広げて、鼻息荒く。 「あぁ、もらった」  寒いから、ぎゅっと抱き締めて、また懐の中へと閉じ込めた。  くすぐったいんだってば。暴れないようにって何度も注意したのに、全く聞かない。 「もらった……」  ノンケは、恋愛対象外だった。  この人はそんなのを、この鼻息で吹き飛ばした。 「ありがとう」 「いえいえぇ、えへへへへ」  くすぐったいって言ってるのに。 「あ、そうだ。俺もバレンタインにって用意してたんだ」 「え! チョコ! うわぁ! 僕初めていただきます! チョコレート」 「は? もらったことないの?」 「ありませんよー。って保さんもないじゃないですか」 「…………」 「……もらったこと、あるんですか?」  モテたことは、ない。けど、もらったことはない、とは……言ってない。 「ひ、ひどい、嘘つきだ。学校の先生なのに嘘ついた」 「いや、学校の先生なのに人を脅して乳首いじらせたじゃん」 「いじ! あれは! マッサージです!」 「イヤ、俺、全然、前戯だったよ」  何そのびっくり顔。 「だって、俺、ゲイだもん」  あんな可愛いピンクな乳首目の前にして、いじらないわけないじゃん。 「んひゃああああああ」 「いや、そんな信じられないみたいな顔されても」 「ひゃあああああああ」  おかしな叫び声。 「ちくばん……」 「地区番? 四丁目ですよ?」 「知ってるよ。そうじゃなくて、乳首の絆創膏でちくばん」 「おぉ、なるほど」 「ってさ……何、この変な会話」  俺はけっこう切ないバレンタインの話をしてたはずなんだけど。 「だって」  慶登がぎゅぅぅっと抱きついた。くっつくとふわふわの猫っ毛がくすぐったいって。 「…………僕が来年も再来年もあげます。チョコレート」 「ウイスキーボンボン?」 「……いえ、今度は一緒に食べられる甘いのにします」  すごくくすぐったくて。 「僕はかっさらわれないので」  足先に慶登の足が擦り寄る。程よく温かいその体温は気持ち良くて触れられると、すごくくすぐったくて、自然と微笑みながら、目を閉じた。  目を閉じると、柔らかい猫っ毛のせいか、とても優しい夢を見れる気がした。 「ずっとここに、います」  そして、二人でしこたま食べた甘いチョコレートの香りがどこかしらから漂っていた。

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