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第41話 それはつまり恋ってやつ

 バレンタインが終わると、店はあっちもこっちもホワイトデーだと、ディスプレイを忙しく取り替える。 「いらっしゃいませー」  美味そうなクッキー。しかもでかいな。これ。  買ったら喜ぶかも。まだ待ち合わせまで時間あるし。時計を見れば、慶登と待ち合わせた時間よりも三十分早かった。本屋に寄りたかったんだ。駅ビルの上階にある大きい本屋で、学校の授業で使う何か良さそうな製作がないかなって。  そう思って早く来たんだけど、その駅ビルに入ってすぐ、人の行き来が一番多そうな場所に並ぶ季節物の商品。そこにまんまと引っ掛かってしまった。  慶登の小さな顔くらいならすっぽり隠れそうな、いくらでも食べていられそうなクッキーにふと足止めされた。  慶登が食べたら、なんか毛足の長いリスが冬眠前の食料確保に頑張ってるみたいで見てて楽しそうだと思った。口のとこにナッツとかくっつけてさ。もぐもぐしながら、猫っ毛がふわふわに揺れて。すぐにピンクになるほっぺたをまん丸に――。 「……ぁ」  慶登のことを考えながら、ふと、顔を上げた。 「……うわぁ」  そこに前に付き合っていた祐介がいて、俺の笑顔に「ないわぁ」って声が聞こえてきそうなほどドン引きした顔をしていた。  いや、俺も「ない」と思うけどね。ホワイトデーのプレゼントを眺めながらにやにやしてたら。 「……なんだよ、祐介」 「……」 「何?」 「締まりのない笑顔」  横目で、冷たい視線で、ぼそりと、綺麗系の祐介でもそういう声出るんだ? ってくらいに低い声で呟かれた。 「なんだよ、じゃないわぁ、なぁに、ニヤニヤしちゃって」 「いや、あれは」 「すごいとこで会うもんだねぇ。何? バレンタインデーのお返し?」 「……まぁ」 「……ふーん」  興味なさそうな返事をして、目の前にあるディスプレイされたお菓子の箱からぶら下がっている花の形をしたチャームを指で突付いて揺らした。 「…………っぷ」 「なんだよ」 「いやぁ、だってさ、おっきなクッキー見ながらニヤニヤしてる元彼見つけたら笑うでしょ」  笑うな。たしかに、笑う。「うわぁ、何ニヤついてんの? 幸せ丸出し? 丸見えですけど?」ってなるわな。  そして、気が付く。幸せ丸出しで、丸見えってことに。 「やだ、今度は困り顔した」 「あのなっ」 「もっと、ツーンってして、スーッてして、シュッとしてたのに」  クスクス笑いながら、色っぽい仕草でそのチャームを揺らして眺めてる。と思ったら、隣の棚に並ぶコスメの見定めを始めた。 「……どんな人?」 「え?」 「今、付き合ってる人。この前、保のうちにお邪魔した時、まだ、だった人でしょ?」 「……」  黙っていると、話したくないわけね、と理解したのか笑って、試供品の小さなチューブ型のハンドクリームを少しだけ手に塗った。 「これ、良い感じ」 「……」 「その相手さ」 「……」 「……やっぱ、いいや」  祐介はそれを買うことなく棚に戻すと、しっとりした指先で俺の頬を一瞬撫でた。 「学校の先生って健やかで、優しくて、朗らか」  ビルの出入り口だからたまに冷たい風が外から吹き込んでくる。その風に肩を竦めて、乱れた柔らかい黒髪を細い指で耳にかけなおす。 「けど、保は全然そうじゃなくて、そういうのがギャップって感じで萌えたのに」 「……」 「なんか、つまんなーい。萌えない」  まるで子どもが飽きて玩具を手から放すように、退屈だと口をへの字にした。 「こんな保、初めて見た。まるで別人なんだもん。健やかで、優しくて、朗らかな保なんて知らない」 「……」 「それじゃあね。デートに浮かれるセンセ」 「……」  細身で美人で、頬のラインもすっきりしている祐介は晴れやかに笑うと、その頬をきめ細かく整えた指で突付いた。 「ニコニコセンセ?」  からかい半分でそんなことを言って、質感が気に入ったと自分用にそのハンドクリームを買いにレジへと向かった。  気が付けばもう待ち合わせの時間だった。デートは待ち合わせで、っていうのが慶登にはなぜかあるようで。 「ニコニコって……」  多少なりとも健やかで、優しくて、朗らかな、そういうの自分には縁遠ものになっていたのに。  思わずマフラーで顔を隠しながら、待ち合わせをした場所へと向かった。 「保さん!」  ブンブンと手を振って、それこそニコニコ笑顔で。 「……待った?」 「ちっともです!」 「ホント?」  鼻を摘んだら冷たかった。そして、鼻を摘んだ瞬間、ぶひっと可愛い鳴き声をあげる。 「けっこう待ったでしょ? 鼻、冷たいし、赤い。今日はどこに行きたいんだっけ?」  それにまた自然と顔が綻んだ。 「保さん、マフラーが……」  崩れて落っこちかけた俺のマフラーを直してくれた白い指。 「血、出てる」  その白い指の先に赤が見えた。掴んで確かめるとささくれになってる箇所にぷっくりと血が固まっている。 「へ? ぁ、す、すみません! マフラーに血が付いちゃってないかな」 「そうじゃなくて。痛いでしょ。絆創膏、コンビニに買いに行こう。持ってないから。っていうか、まさかまた水槽の掃除一人でやったとか?」 「……いえ」 「手伝うから、そういう時はちゃんと言って」 「あ、あの」 「あ、けど、そしたら軟膏もいるか。ワセリン、もらったんだっけ? この前の、あれ指につけなよ」  今、持ってないのなら、薬局に先に寄ろうか。どうせこの人のことだ。あとで、なんて言ってるとそのままにしそうだから。水仕事だってなんだって、笑顔で引き受けるような人だから。 「あの……保さん」  コートの袖をクンと引っ張られた。 「す、すみません。あの」  寒いから? さっきよりも真っ赤になって俯いて、そして――。 「あの、なんだか、急に、なんですが、やっぱり、おうちデートにしませんか?」  そう言って、すぐに俯いてしまった。その耳さえも、真っ赤だった。 「あっ、あぁぁぁぁぁ」  イく瞬間、きゅぅんと切なげに慶登が締め付けて、その心地にゴム越しなのに身震いしてしまうほど。  はぁ、はぁと達した後に乱れた呼吸だけが二人分、昼間の日差しの中しっとりと部屋に響いてる。 「ン……ぁっン」  抜くと、甘い声をあげて慶登が俺の枕に顔を埋めた。 「なんで、急に?」  デート。行きたいところがあるんだって、誘ったのは慶登だったのに。尋ねると恥ずかしそうに目を反らして、重くないようにと手を付いていた俺の手首に額を擦り付けた。 「さっき、手のこと心配してくれたの嬉しくて、とっても好きですって思って、そ、そしたら、その」 「……」 「したくなっちゃったんです。でも、あれですよね! ささくれとか、カッコ悪い。保さん指綺麗ですよね。そだ。今度ハンドクリームいいの教えてください。僕、なんか安いの買うからかなぁ。保さん、いつもいい匂いするし」  しないよ。いい匂いなんてしない。 「僕も、手とか、綺麗に」 「綺麗じゃん」 「……ぇ」 「慶登の手、綺麗だと思うけど.でも、痛いのはあんまりいただけないから、ワセリン塗りな。けど」  そのささくれのところにくるりと巻きつけた絆創膏にキスをした。掌にも、水仕事にいつも頑張っている指先にも。 「綺麗だと思うよ。慶登の手」  頑張ってる姿は綺麗だと、思った。愛しいと、思った。 「…………あ、あの」 「?」 「あとで、あの、学校の製作に何か使えそうなものはないか、一緒に本屋さんで探していただきたいんです」  偶然。実は俺もそう思ってたんだ。それを探しに行こうと思ったら途中ででかいクッキーがあって、慶登にあげたら喜びそうだなって。 「あとで?」 「はい。それで、あの」  ふわりと頬を撫でてくれる手は温かくて、思わず目を瞑って静かに頭を傾けてしまいたくなる。 「あの、もう一回、しませんか?」 「……」 「その、とっても好きですって思って」  したくなっちゃった? そう尋ねると、コクンと小さく頷いた。  ――それじゃあね。デートに浮かれるセンセ。  浮かれるさ。だって、さ。  そうだ、あのクッキーもついでに買おう。きっと喜ぶ。慶登のことばかり考えているほど、俺は――。 「ダメ、ですか?」 「ダメなわけないじゃん「  俺は――。

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