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第45話 パートナー
「犬を飼っている学校、多くはないけど、少なくもないそうです」
「え? それどっちなんすか、仁科先生」
「……多くないけれど、少なくもないってことなんです」
大野先生がいつものようにあっけらかんとした口調でツッコミを入れて、それに渋い顔をした仁科先生が真面目に答えた。
「あ、大須賀先生、お疲れ様でーす」
「お疲れ様です」
その二人が授業を終えて職員室へと戻ってきた俺に挨拶をして、また会話が学校に迷い込んだ犬のことに戻る。言い出したのが慶登だった。それに賛同してくれたこの二人もあの犬のことに率先して関わってくれている。
「あの、仁科先生、大野先生、あの犬の名前を公募してみたらどうかって」
「お、いいですねぇ」
「でも、それでは飼い主が現れた時、あの犬が戸惑ってしまうのでは?」
「……えぇ、まぁ」
そうなんだ。あの「迷子ちゃん」が学校に迷い込んでから一週間になる。張り紙をしてはいるし、学校が迷い犬を保護していることを行政機関には伝えて、もしも特徴の合致する犬を探している人物が現れたら連絡を欲しいと頼んであった。もうちょうど一週間目になる。飼い主らしき人は現れたかと昨日、電話をしてみたところだった。
「でもでも、まだ飼い主さんから連絡ないんでしょ?」
そう。連絡はない。中型犬サイズ、耳は立ち耳、和犬のミックスで、顔の辺りは少し毛色が白っぽい。首輪は、なし。
そんな犬を探していますという連絡はまだどこにも届いていなかった。
「えぇ」
「一週間かぁ」
「すみません。大野先生にはずっとペット可だからと快く引き受けてもらったまま」
「あ! いや! 全然! 俺は全然一人でジョギングしなくていいから、けっこう楽しいんすよ。お利口さんだし。けど……俺、躾とか無理なんですよねぇ」
お利口さんだけれど、食い意地ははってるらしく、食事中に一生懸命におねだりをするらしい。お手にお座り、ちんちん、まで披露して、あの手この手で食べてるものをねだるものだから。
「そのぉ、ついあげちゃって。なので、俺的には大歓迎なんすけど、健康面を考えるとオススメできないんすよ。我が家」
「躾、下手そうな感じしますもんね」
「やだー! 仁科先生厳しい!」
「事実を言ったまでです」
涼しげな顔で言ってのけられ机の上に不貞腐れて寝そべった大野先生を、ちゃんとしてくださいとまるで小さい子を相手しているかのように仁科先生が叱っていた。
でも、たしかにずっと大野先生に預けておくわけにはいかないとは思う。
「俺、ちょっと、林原先生にも相談してみます」
「えぇ、そうですね。そしたら、あとで、また学年ミーティングしましょう」
「ありがとうございます」
一礼をして職員室を出た。
学校で飼えないかと言い出したのは俺と慶登だった。どちらもマンション暮らしで、どちらの家もペット不可。だから大野先生にはかなり助けてもらっている。
「あ……こんにちは」
廊下へ出て慶登を探そうと歩いていくと、前から鈴木先生が来た。
「こんにちは」
ほとんど、彼女と話したことがなかったな。そっか、今日が本当にラストだったっけ。色紙も渡して、この前、職員室で別れの挨拶も終えていた。手には少し大きい紙袋をぶら下げている。たぶん荷物整理をしていたんだろう。
「あ、あのっ」
「……はい」
「これ、林原先生に渡していただけますか?」
手渡されたのはアニマルセラピーの本だった。やっぱり彼女も詳しいらしい。慶登も大学でそういうの学んだことがあるって言っていた。
「学校で、あのワンコちゃんを飼うのなら、色々問題もあると思うんですが、たとえば、飼い主のこととか」
犬はパートナーシップを強く願う動物だから、不特定多数の人の中、パートナーを家族を決めずにいるのは情緒の安定にあまり良くない。固定の、しっかりとした家族がいるべきだ。
「大変かもですけれど、でも、たぶん、大丈夫です。大須賀先生がいれば、きっと」
「俺ですか?」
「はい!」
ほとんど貴方と話したことないのに? なんでそんなこと。
「百人力なんだそうです」
「……はい?」
俺、そこまで怪力キャラに見える? 背はあるけど、そこまで頑丈でもないし、マッチョでもないでしょ。でも、そんなふうに俺のことを話すあの人を想像した。
「林原先生が言ってました。大須賀先生がいると元気になる、なんでもできる気がするって」
「……」
「自分を笑顔にしてくれるって」
「…………俺は」
笑顔にしてくれるのはあの人だ。なんでもできる気にさせてくれるのも、あの人だ。
「俺はなんにもできないし、してこなかったですよ」
「……」
怖がりで、適当で、痛いのも悲しいのも大嫌い。
「んー、でも、私が思うに、案外、人間ってそういうもんですよ」
「……」
「自分で、俺はこれができる! あれもできちゃう、こーんなこともできちゃう、すごいだろう? カッコいいだろう? あーっはっはっは!」
ほわほわ可愛い系だと思っていた人が、けっこう大きな胸を張り出し、両手を腰に添え、背中を反らせて、大笑いをした。豪快で高らかなその声が学校の廊下に、少し慌ててしまうほど響き渡る。
「……そんな人、怪しくないですか?」
「……」
「むしろ、そういう人のほうが、やべぇです」
特別教室の先生、だっけ。
「なので、そのままで良いと思います。そのままで、林原先生の隣に、あ、でもちょっとだけ、ちょびーっとだけ勇気を持つともっとナイスかもです」
「……」
「長い間になりましたがお世話になりました。林原先生のこと宜しくお願いします」
「あ、あの! 鈴木先生は林原先生のこと」
それはまるで学校の先生へ向ける言葉じゃないように感じられた。
「……好きですよ? ハムスターとか、リスみたいで、可愛いいですもん」
まるで、彼女は可愛い弟を恋人に託すかのようにお辞儀をして、軽やかな足取りで廊下を歩いていく。途中、また誰かを見つけたのか、声をかけながら手を振って、あっという間にどこかに行ってしまった。
「じゃあ、皆、素敵な名前を考えてあげてね?」
「はーい」
――そのままで良いと思います。
「何がいいかなぁ。迷子ちゃん」
「ワオン!」
「あ、せんせー、僕、思いついた。まいご、だから、まごちゃんってどう?」
「ぁ、可愛いね。でも男の子なんだ。マゴ君、かな」
「じゃあタマゴクン!」
――そのままで、林原先生の隣に。
「タマゴクンもいいと思う。あとは何かあるかなぁ」
「うーん、じゃあスバル号は?」
「カッコいいね。他には他には、あっ!」
――ちょびーっとだけ勇気を持つともっとナイスかもです。
「大須賀せんせー!」
「ワンワンワン!」
――林原先生の隣に。
「散歩、待ってたんですよー!」
――元気になる、なんでもできる気がするって。自分を笑顔にしてくれるって
「早くー!」
こっちへ手を振る君を見ながら、胸の内、スッと何かが着地して、胸に、力強く息づくのを感じた。
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