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第46話 エリア
ゲイバーは、まぁ、けっこう通ってたかな。相手見つけるのに一番合理的だからね。
薄暗く、はしゃいだ声も語り合う声も全部男の低いものばかり。その中で、見た目が気に入った相手を――。
「何? なんなの?」
相手を見つけて声をかけて、少し話して、気が合うかどうかを確認して、あと、今夜する気なのかどうかも確認して、全部が合えば、そのまま。
「なんで、雪が降るから帰れとか、何? 保んちの辺りはイエティでも出るわけ? っていうくらいに適当なことを言った奴が、何? なんで、その別れた男を呼び出すかな」
「イエティって?」
「しかも自分は連絡先をもう消しちゃったからって、マスター経由で訊かないでくれる? あと、イエティって雪男のこと。小学生男子とかウハウハ言いながらそういうの読んでるんじゃないの? イエティとか、都市伝説みたいなの、って、何! そのハテナ顔!」
「いや……今の小学生はイエティじゃなくてモンスターのことにウハウハだからさ」
ここで祐介とは知り合った。俺はその時フリーで、週一、週末に酒を飲みつつ、もしも良さそうな相手がいたらって思ってた。祐介は同棲してた男と別れたばかりだった。お互いに外見も気に入って、会話も弾んだから、そのままホテルへ一緒に向かった。
「…………それで? 今の恋人に操を立てて、過去の男の連絡も一切合財捨てた奴が、元彼に何の用?」
「…………」
「俺、暇じゃないんだけど? 何?」
「…………あのさ」
「はいはい」
「同棲って……どう?」
同棲、してただろ? 祐介は。けっこう長かったって言っていた気がする。二年は一緒に暮らしてたって。
祐介が目を丸くして、たぶん五秒ほどフリーズしたかと思ったら、ウイスキーのロックを二杯頼んだ。一杯目は一気飲み。その空になったグラスをマスターに手渡して、カウンターに残ったもう一つのグラスを手に取った。
「……っぷ、あははははは」
そしていきなり腹を抱えて笑ってる。
「何かと思ったら、真っ赤になりながら同棲って……どう? って、どうなわけ? あのさ、ちょっと、保って、そんな面白い奴だったっけ」
「な、こっちは本当に質問してんだぞ」
「だってぇ」
「わかんないんだよ、したこと、ねぇんだから」
同棲は誰ともしなかった。教師っていう職業柄、あそこの学校の先生は同性と暮らしてるってなるのもあまり宜しくないから。障子に耳ありってやつだ。学校の先生をしていて一番厄介なのは言うことを聞かない生徒じゃなくて、保護者だ。口うるさい保護者が一番厄介。
それに、自分のエリアに他人を招き入れるのは少し躊躇する。
「先生なのに、お口が悪いですこと」
「茶化すなよ」
「…………同棲、ねぇ」
祐介は遠くへ視線を投げて、何かを思って目を細めた。
「してたよ……」
俺が出会った時の祐介は悲しんだり、寂しそうにはしていなかったけれど、会えば、雰囲気良く気持ちイイことができたけど、でも、どんなに夜遅くても、どんなにセックスが盛り上がっても夜中四時頃には帰ってた。猫がいるから心配なんだって言っていた。三毛の普通の猫だったけれど。
「俺さ、いつも朝方帰ってたでしょ?」
「? あぁ」
「あれね、うちにいた猫がそのくらいの時間になると鳴くからだったんだ」
拾ってきた猫だったけれど、同棲していた相手にべったりでその時間になるといつも鳴いていた。鳴くとベッドに猫を招いて、二人と一匹でまた眠る。温かくて、ふわふわしてて、とても好きな時間だった。
「同棲って、好きだったものが嫌いになること」
「……」
「同棲って、一つ増えて、いつか三つくらい何かが減ること、かな」
ずっと手に持っていたグラスの中、氷が溶けて琥珀色のアルコールの中でゆらゆら揺れて浮かんでる。
「あの朝方の時間帯が大好きだった。鍋をたくさん食べるようになった。電気代が増えた。水道代も」
けれど、相手がいなくなると、一人と一匹で眠っている朝四時のベッドの上に寂しさがひどく降り積もっていく。鍋をしても楽しくなくて、電気代も水道代も減って、そして、また寂しさが膨らんでいく。
「何? 保、今の彼と同棲するの?」
「……」
「珍しい。頑なにしなかったでしょ? 俺の前に付き合ってた、歯ブラシを置いていった子、一緒に暮らしたいって言われたのを断ったら、好きじゃないんだって言われて面倒で別れたんじゃなかったっけ?」
そうだよ。そこまで踏み込ませるのはイヤだったから断ったんだ。
「でも、今の彼とはしたいんだ?」
「……まぁ」
理由は色々ある。きっかけはあの迷い犬だった。けれど、きっとそれよりも前からだ。
「そっかぁ」
慶登と一緒にいたいと思ったのは、きっともっと前から。
「したい、って思ってる。慶登、とは」
「ふーん。同棲って、楽しいことばっかじゃないよ? 好きなものが嫌いになるっていうの、時間だけじゃなくて、物だけでもない。相手のことも、だよ」
「……」
慶登のことを――。
「俺は今まで誰かを自分のエリアに入れたくなかった。怖かったから。でも、慶登は違うんだ」
「……」
「俺のエリアじゃなくて、慶登のエリアじゃなくて」
侵入するとか、入れてもらうとか、入れてあげるとか、そういうのじゃない。
――大須賀せんせー!
「一緒にいたいって、思ったんだ」
とてもシンプルに、とても単純に、ただ、それを思った。
「慶登と」
あの笑顔の隣にいられたらと。
「…………同棲ってさぁ」
また一つ、ウイスキーの中の氷が溶けて、小さくなって、琥珀の上を気持ち良さそうに泳いでた。
学校からそう遠くなくて、ペット可のとこ、ねぇ。いや、学校は数年で異動になるかもしれないから、そう場所にはこだわらなくていいかもしれない。自転車で通えるような距離ってくらいにしておけば。
ベッドは一つ? 二つ? 慶登のことだから、婚前はどうのとか言い出したりして。っていうか、「婚前」ってなんだ、婚前って。
(酔った……)
アルコールのせいもあって、細かい字が並ぶ不動産のフリーペーパーを読んでいたら、電車の中でくらくらしてきた。ふと、視線を上げて、そして、そもそも慶登にまだ訊いてないじゃんって、勢いで取ってきた「シェアハウスなら駅チカがイチバン」って書かれた冊子に視線を向けた。
ポケットの中で振動したスマホを見ると、慶登からのメッセージが画面にぽつんと浮かぶように表示されている。
――おやすみなさい。保さん。
俺はそのメッセージに「おやすみ」って返しただけだった。ニコニコ微笑みながら、そう返しただけ。
一緒に住んでたら、そこで気がつけたのに。
ちゃんと一緒にいたら「おやすみなさい」と告げる声色でわかったのに。
俺はまだわからなくて。ただ、おやすみって、ほろ酔い気分で返しただけだった。
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