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第47話 ニコニコ

 一人身の賃貸と、二人暮らしでの賃貸は色々さ、あるでしょ。  互いに一人暮らしだったら、別の小学校へ異動になっても、はい、了解です、で場所によっては引っ越しだってしたらいい。別に週末会うのにお互いに住んでる場所はそう重要な大問題じゃない。  でも二人だと、片方だけが異動だったりもするだろうし、ずっと同じ小学校勤務は普通ありえない。そのうちそれぞれ別々の小学校へ赴任になる。そういう時が厄介なんだ。  あ、持ち家の先生に訊いてみるっていうのもアリかもしれない。  持ち家の先生……仁科先生はそうだった。ご結婚されてて、もうお子さんも大きいんだけれど、たしか持ち家で一軒屋なんて面倒なだけだと、ぼやいてた。真四角な性格をしているこの人でも、庭の草むしりやらを面倒だったりするんだなぁって思ったのを覚えてるから。  そしたら、仁科先生に訊いてみようか?  いや、でもなんて?  今度同棲しようと思ってて、相手も教師なんですけど、新居の場所で困ってるんですよ。仁科先生はどうやってお住まいの場所をどうやって選んだんですか?  とか訊く? 訊いちゃう? いやぁ、ちょっと……。  真四角な真面目先生は「同棲」って単語ひとつに、いかがわしいと怒るかもしれない。  っていうか、そもそもまだ慶登にも――。 「大須賀せんせー! やっと見つけた! これ! これこれこれ! 見てください!」 「……大野先生、仁科先生」 「迷い犬ちゃんの名前公募のです」  大野先生が手を振って見せてくれた紙の束がバサバサと賑やかな音を立てた。 「そんなに集まったんですか?」  もっと少ないと誰もが予想していたみたいで、その多さに俺も仁科先生も大野先生も目を丸くする。  これだけの子どもが名前を考えてくれたことが嬉しかった。 「たくさん名前ありました。それで、これの集計を取らないとなんですが、イタタタ」 「大丈夫ですか? 仁科先生」  腰を押さえてる。そういえば今朝の朝ミーティングの時にも腰を押さえて、ゆっくりのっそり礼をしていた気がする。 「昨日、石油のポリタンクを持ち上げたら、どうやらやってしまったみたいで。イタタタ」 「石油……ポリタンク」 「えぇ、ストーブ用、のなんです。面倒だけれど、エアコンよりもしっかり温まるので」  たしかに、うちの実家も一軒家だけど寒いんだよな。なんでかさ。エアコンなんかじゃ用が足りなかったっけ。 「あと、草むしりとかもありますもんね、面倒だけど、でも二人でなら、楽しくなったりしますもんね」  あの日の雪かきみたいに、面倒なことも慶登を見てたら楽しくなる。 「え?」 「! あ! いえ! なんでもないです!」  つい、口走ってしまった。もちろん、いきなりの「草むしり」に仁科先生も大野先生もぽかんとしてる。そりゃそうだろ。急に、何を言い出した? って思うだろ。 「す、すみません」 「……大須賀先生は印象がずいぶん変わりましたね」 「え?」 「なんだかとても素敵になられたと思います」  今度、ぽかんとしたのは俺のほうだった。いつも真面目なキリリ顔ばかりだった仁科先生がふわりと微笑み、そんなことを言ったから。  変わった? 俺が? 印象? そんなに?  素敵って……。  本当はその変わった理由に心当たりはある。変わった自覚ならあった。だから余計に気恥ずかしくて、ぶつぶつ言いながら、廊下を歩いてた。 「……えぇ、たぶん、大丈夫です」 「すみませんっ、僕」 「いや、俺もそのことを今更になって把握したので、もっと早くにわかっていたら、すみません」 「いえっ、いえいえっ」 「それじゃあ、宜しくお願いします」 「……はい」  廊下で神妙な顔で慶登と若い男性教諭が話していた。  あれは、たしかに二年の担任だ。  慶登が深くお辞儀をして、その先生もお辞儀をしてその場を離れる。慶登からは見えないよう背中を向けたけれど、それだと俺には表情が丸見えだった。 「……」  やたらと重たい溜め息を吐いたのが丸見えになっていた。そしてその先生は会釈をして、俺の隣を通り過ぎた。 「……慶登? 何か、あった?」 「ぁ……保さん」  普段、学校では苗字にプラス「先生」って付けて呼んでいる。慶登はそれをすぐに忘れてしまうから、毎回慌てて苗字をくっつけて呼びなおすのに。 「どうかした?」 「……いえ、なんでもないです」  学校の廊下、今は人がいないけれど、いつどこから見られてるかもわからなくて、ちょこんと、控えめに白い指先が俺の服を引っ張っただけ。  ただそれだけ。  けどさ、なんでもないわけないでしょ。 「今の、二年の担任でしょ? なんで」 「あーあははは、えっと、色々と、その、あ! これ、もしかして、迷子ちゃんの名前ですか?」 「……えぇ」  少し元気がないように思えた。 「名前、すごーいこんなにあったんですか? うわぁ」 「あの、それで、これの集計を夕方一緒にできたらって思ったんです」 「え! はい! ぜひ! 僕、集計頑張ります!」  気のせいだったのかもしれない。  ニコニコと、子ども達が考えた名前一つ一つに目を通しながら、目元を細めて優しく微笑む慶登はとくに何も。 「うわぁ……」  何も、なくない。 「慶登」 「!」  なんか、あったんでしょ。学校の先生なんて、そう笑顔でばっかいられる仕事じゃない。どんな仕事も大変な部分があるように学校の先生にだって大変な部分はやっぱあって。あるから、年に何回も理由くっつけて、同じ境遇同士の中で思いっきりはっちゃけて発散してるんだろ。 「何かあったら言って」 「……」 「俺は必ず慶登の相談に乗るから、なんでも一緒にやるから」  声色が少ししょぼくれてた。 「た、保さんっ?」  だから、廊下だけど、片手でふわふわの猫っ毛を引き寄せた。 「何かあったら、ちゃんと」 「…………」 「言って欲しい」  抱え込むようにこの人の柔らかい猫っ毛をいつもみたいにくすぐったいほど引き寄せて、頼られるよう胸を張って深呼吸をした。

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