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第3話
透さんは、黙って頭をなでてきた。
「続きはベッドでしようか」
「えっ?」
サーッと血の気が引く。
「怖いこととか痛いこととか、しないから」
冗談じゃない。そんな状況にわざわざ飛び込んで、無事に帰してもらえるはずがない。
……と、ここで、重大なことに気付いた。
外は大雪。電車は計画運休。
漫画喫茶もホテルも全部満室なのは、会社を出る前に片っ端から電話をかけて、確認済み。
タクシーは当然つかまらない。
頭をなで続ける透さんをやんわりかわしつつ聞く。
「続きってなんですか……?」
「全身可愛がりたい」
「む、りですよ」
焦って拒否すると、透さんはちょっと悲しそうな顔をしたあと、「そっか」と言って立ち上がった。
洗面所へ向かい、手を洗う。
俺はそろそろとズボンを履いて、またその場に座った。
「透さんは、その……恋愛対象が男なんですか?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、なんで?」
「いま手持ちのカードで、晴斗が甘えてきてくれる可能性が最も高い方法を考えた。お金か体かでいったら、体かなと」
……?
全然言ってる意味は分からないけど、それなら、甘えてみせればそれで満足してくれるのか?
「分かりました。一緒に寝ます。でもその代わり、透さんからは何もしないでください」
透さんはこちらを振り返り、驚いた顔をした。
「なんもなしに甘えてきてくれんの?」
「え? はい。そうです」
透さんは、さらに目を丸くした。
何にそんなに驚いているんだ?
「ただ寝るだけって、お前に何のメリットもないじゃん」
その一言で、気づいた。
もしかしたら、本当にこのひとは、損得抜きの純粋な接し方をされたことがないのかも知れない。
身を守るためとはいえ、甘えるフリをしようとしている状況に、少し罪悪感を覚えた。
セミダブルのベッドに入った。
緊張気味に縮こまっていると、透さんがやってきて、ヘアゴムをといた。
はらりと落ちる前髪。
ゴムは手首に通したまま、俺の横にもぐりこんできた。
「へへ、あったかい」
そう言って手を伸ばしかけた手を、引っ込めた。何もしないでと言ったからだ。
「透さん、人間関係ド下手くそなんですね。打ち解けたくて男のモンくわえるひとなんか、生まれて初めて見ました」
ご所望通り、鎖骨のあたりに顔を埋めてみる。
「いいですよ、背中に手回すくらいなら」
「いいの?」
「はい」
おそるおそる触れてきた手が、遠慮がちに俺を抱きしめた。
「オレさ。恋愛的に男には興味ないんだけど……その、そういう方法でひとを繋ぎ止めてたことがあって」
「どういうことですか?」
透さんが腕をゆるめようとしている気配を察して、俺は、あえて体を寄せた。
「高校んときの先輩が、すごい可愛がって面倒見てくれててさ。ファミレスでだらだらしゃべったり、勉強教えてもらったり。で、ゲームしようってなって初めて先輩の家に行ったら、まあ、そういうことを求められた。断ったら、そのあとしばらく無視されてさ。辛かったから、何日かあとに、自分からしますって言った」
「それで、セフレ的なもんになったってことですか?」
「まあ、そう言ってしまえばそうなんだけど。そのときはそんな風には思わなかったかな。挿れて、何時間か腰振ってれば、そのあと何日かはいままで通り仲良くしてくれるから」
本当に、ロクでもない関係だ。
「でも結局その先輩に彼女ができたら全部終わりで、あ、そんなもんかって思って。それ以来、めんどくさい人間関係は全部放棄して、深く関わらないようにしてたら、愛想ゼロの相澤透のできあがり」
自嘲気味に笑う透さんは、するりと腕をほどいて、仰向けに姿勢を変えた。
「寝よ? ごめんな。きょうのことは忘れてほんとに」
「分かりました。おやすみなさい」
沈黙が訪れる。
これでいいんだ。
俺が罪悪感を抱く必要はひとつもないし、透さんも、体で繋ぎ止めるような人間関係を味わわなくて済む。
「……また来ますよ。それに、話なら全然聞きます。変な迫り方してこなくても。普通に。話せて楽しかったのは本当なんで」
「そっか。ありがとな」
寝返りを打ち、こちらに背を向ける。
「あの……?」
「ごめん、これ以上近寄んないで。約束守れなそう」
その声は、完全に他人をシャットアウトしていた。
「透さん。こっち向いてください」
「やだ。お前の顔見たら、また間違えるもん」
「何を間違えるんですか?」
「友達のなり方。せっかくそういうの抜きでいいって言ってくれてんのに、結局自分からぶち壊したら意味ないだろ」
ひどい罪悪感にみまわれた。
中途半端に優しさを見せたせいで、言いたくもないであろう過去の話をさせたうえに、古傷をえぐるような傷つけ方をしてしまった気がする。
「透さん、すみませんでした。白状すると、ちょっと甘えたフリでもしたら許してもらえるかと思って、一緒に寝るなんて言いました」
「お前が謝ることないだろ」
「お願いだからこっち向いて」
言葉遣いも忘れて語気を強めて言うと、ゆっくりとした動きでこちらに寝返りを打った。
表情からは、何も読み取れない。
「透さん、教えてください。続きはベッドって言ったのは、全身気持ちよくしたら俺を繋ぎ止められると思ったんですか?」
「そう」
「じゃあ、そうじゃなくても友達になるって言ってるのに、間違えそうになっちゃう理由はなんなんですか?」
しばらくじっと黙ったあと、降参したようにはあっとため息をついて、目を閉じた。
「……エッチしてもっともっとって言ってもらえないと、晴斗が消えてっちゃうような気がした。倒錯してんのは分かってるよ」
目の前にいるのは、冷静沈着・合理主義者の相澤課長ではなかった。
ただの、不器用なひと。
「それ、他のひとにもするんですか?」
「え?」
「他にも何人も、透さんと友達になりたそうなひとがいたら、みんなとするんですか?」
「……んと、分かんない。基本めんどくさいし、浅い付き合いしかしてないし……でも、晴斗くらい仲良くなりたいと思うひとがいて求められたら」
「それはダメですよ」
思わず言葉をさえぎってしまった。
口を半開きにした透さんは、形の良い眉を寄せて、困ったような顔をする。
「すいません、年下なのに生意気なこと言って。でもそれはダメです。そんなに自分を安売りしないでください。俺は普通にうれしかったですよ、素で話してくれたの。急にあんなことされた方がびっくりしました」
「ごめん」
素直に謝罪を口にした上司は、それでも、どこか戸惑っているようだった。
まあ、それはそうだ。
長年思い込んできたものが、ちょっと他人に言われたくらいで変わるわけがない。
俺は、ふうっと小さくため息をついて言った。
「キスするくらいならいいですよ。さすがにケツ掘られるのは無理ですけど、それで安心して仲良くしてくれるんなら。ちゃんと友達になりましょうよ。あと、他のひとにはこんなことしないって約束してください」
透さんは、大きく目を見開いた。
何かを言おうとして、何度か迷い、言い淀む。
じっと答えを待っていると、透さんは、ぼそっとつぶやいた。
「ここで、『キスなんかしなくても平気、仲良くしよう』とか言えたらよかったんだけどな。オレ、だっさ」
頭の後ろに手が回ったと思ったら、噛み付くようなキスをされた。
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