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本当のことを言っても支障はない。それでも本当のことを言わなかったのは、怒りの矛先が佳孝に向かないようにするためだった。
去年の冬、佳孝が密会のために旅館を訪れた帰り際に、理津に向けて言ったのだ。
――今度は理津くんがおいで。待っているから
ずっとこの地に縛られ続けると思っていた理津にとって、その言葉は青天の霹靂だった。
佳孝のもとへ自分から行く。かつてない心の高ぶりと不安が理津を襲った。
佳孝に会いたい。会いに行ける。その思いは、辛い日々のたった一つの心の糧でもあった。加えて待ち続ける苦しみから少しだけ、開放されたようにも思えた。
だが、実際に行くとなると、佳孝の妻である香苗とも顔を合わせる必要がある。
そのことが気がかりで、理津からは行くと告げることが出来ずにいた。そんな時に佳孝の方から、香苗が旅行で留守にするから、こっちに来ないかと誘いがあった。ずっと燻っていた思いを果たせると、理津は二つ返事で了承した。
「姉さん、随分と渋ったんじゃないか? 今が書き入れ時だとか言って」
この時期はスキー客で旅館は賑わう。もちろん、母は激怒していた。
「言ってた。でも、珍しく父さんが宥めてくれて――」
「そうなのか。珍しいこともあるんだな」
佳孝はどこか憤りを滲ませた口調で言った。
父は理津が母からの暴力を受けていると知っていても、ずっと我関せずでいた。だから今回も、きっと口は出さないと理津は思っていた。だが予想に反して、父は間に入ってきたのだ。
「高校を卒業して本格的に旅館を継ぐとなれば、旅行もそうそう行けやしないだろう。今回ぐらいは多目に見てやったらどうだ」
父の言葉に母も一瞬、呆気に取られたようだった。それでもすぐさま母は、反論を口にする。
「あそこは空気が汚いし、人も冷たい。犯罪に巻き込まれたらどうするのよ」
都会に毒されたら困ると思ったのか、それとも本当にそういう認識なのか。母はそう口にした。
薄着で寒空の下に放り出し、箒で背を叩くことは罪にはならないのか。そんな疑問が頭をかすめるも、理津は口にはしなかった。反抗して行けなくなるほうが困るからだ。
「お前の弟が住んでいるところだろう。なんかあっても、頼れるじゃないか」
父がそう言ったことで、母は二の句が告げなくなった。勝手にしなさいという言葉で締められ、理津はすっきりしないまでもホッとはした。
これで佳孝に会いに行ける。ただそれだけが嬉しかった。
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