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第3話  絶望の淵

「気持ち悪。……最悪……」 焔次は顔を顰めて言った。 「っ……ご、ごめんなさい」 草太は、焔次の言葉に真っ青になる。 「男同士ってだけでも最悪なのに、寝てる間に勝手にそういうことするのとか、信じらんねー」 焔次は、草太を睨みつける。 草太は自分のしてしまったことを改めて突き付けられ、血の気が引く。 「ほ、本当にごめんなさい。ぼ、僕そんなつもりじゃ……」 「言い訳かよ、キモイな」 草太はなんとか許してもらいたくて言うが、焔次は鬱陶しそうに被せる。 「本当にごめん……」 「うぜぇな、ホモ。……気分悪いから消えろよ!」 「っ!ぐっ!」 焔次は立ち上がると、憎々しげに言って草太を殴った。 草太はよろけ、床に倒れこむ。 焔次は舌打ちをして睨んだ。 「ほんと、キモい……二度と俺の前に現れんな」 「ごめ、ごめんなさい!……」 草太は、なんとか震える足に力を入れて立ち上がる。 そうして、荷物をかき集めるように持つと、逃げるように部屋から出た。 ——その後の事はよく覚えていない。 草太は、気が付いたら自分の部屋にいた。 「っ……!っく……ヒック……」 一人になったと思ったら、ボロボロと涙が出てくる。 一度涙がこぼれると、今度は止まらなくなった。 部屋の明かりを付ける元気も無く、草太は真っ暗な部屋の中で座り込んだ。 好きになってもらえるなんて思ってなかったけど、焔次に投げつけられた言葉は想像以上に痛くて辛かった。 草太は胸が苦しくて苦しくてうずくまる。辛くて心は痺れたように冷たいのに、殴られた頬がジンジンと熱い。 「っ……焔次くん……ごめんなさい……ごめん……好きになって……本当にごめん……」 草太はひとしき泣いて泣いて。それでもやっぱり辛くて、一晩中、泣いた。 ——次の日。 草太は最悪の気分で目を覚ました。泣きすぎて、ほとんど眠れなかったのだ。 「学校に行かなきゃ……」 昨日の服のままで髪の毛はクシャクシャだ。泣きすぎたからかまぶたがヒリヒリする。鏡を見るのが怖い、きっと酷い状態になっているだろう。 草太は軽くシャワーを浴びて、着替えた。授業の予定を確認すると、なんとか間に合いそうな時間だった。 本当言うと、今日は休みたい。草太は床に座り込みため息をついた。 「はぁ……」 何も考えたくないし、何もしたくない。しかし、せめて授業やバイトで気を紛らわせないとやっていられない。 また昨日の事を思い出してしまう。 昨日の事は夢であって欲しいが、殴られた感触は鮮明に残っていた。 なによりも焔次のあの嫌そうな顔は忘れられない。またジワリと涙が滲んでくる。 「学校、行かなきゃ……」 何とか堪えると。もう一度そう言って、授業の準備をして部屋を出た。 外はまるで昨日の草太を責めるように、体にまとわりつく。寝不足の体には堪えた。 しかし、自業自得だと草太は自罰の意味を込めて歩きはじめた。 腫れた顔を隠すようにフードを被ると。草太はを大学に向かった。 「はぁ……」 何度目か分からないため息とともに、草太はノートを閉じた。 何とか午前の授業が終わった。 授業は全く集中出来なかった。もう一度ため息をついて、ノートをカバンに片づける。 昨日の事で、気を紛らわせることすら出来なかった。 しかも、泣いて顔が腫れているせいか、周りの人にチラチラ見られた。 おかげで草太は、余計に落ち着かなかった。 昨日は運が良いと思って、浮かれていた自分がバカみたいだと草太は呟いた。 草太は食堂に向かった。 少し遠くに友達が食事をしているのを見つけた。草太は手をあげて挨拶しながら近づく。 しかし、何故か友達は草太の姿を認めると、微妙な顔をして席を立った。 「え?ど、どうしたんだ?」 明らかにおかしい態度に、草太は追いかけた。 「なあ、どうし……」 「あのさあ、もう話しかけないでくれないか」 友達は嫌そうに草太の手を振り払い、そう吐き捨てるように言った。 「え?な、なんで……」 「噂で聞いた。草太ホモだったんだな。しかも、酔いつぶれてた不知火を襲おうとしたって……」 「え……そ、それは……」 友達の言葉に草太は固まる。どうしてその事を知っているのか。 「他の友達から噂が回ってきた。ネットの裏掲示板とかにも書かれてたからほとんど知ってるんじゃないか?」 友達によると、どうやらメールなどでも噂が回っているようだ。今日、周りの人間がチラチラ見てきたのは顔が腫れているからだけじゃなかったのだ。 草太はそれを聞いて、真っ青になる。 「な、なんで……」 「やっぱり噂は本当だったんだな、最低……もしかして俺のことも狙ってたのかよ、気持ち悪い」 友達はあからさまに嫌そうな顔をして睨む。 「ち、ちが……そんなこと……」 慌ててそう弁解したが友達は「そう言うことだから、もう声かけないでくれ」と言うと、一目を避けるようにその場を後にした。 それから、草太は大学で孤立した。 後から分かったことだが、当然の如く草太がゲイだと広めたのは焔次だった。草太が帰った後、友達に電話して話し、さらにはグループメールや、友達が言ったように掲示板にまで書れたので広まったのだ。 おかげで、ほとんどの人間にゲイだと知られてしまった。 とは言え、直接何かを言われたりいじめのような事はなかった。大学は人も多いし、いい歳しててわざわざ表立ってそんな事をする人間はいないのだろう。 しかし、それは表面だけだった。 ある人は草太を腫れ物のように扱い。ある人は遠目で何かひそひそ話したり、講義のために教室に行くとあからさまな態度で、チラチラ見たりする。 数少ない友達は、当然のように話しかけても来なくなった。 ただでさえ少ない友達は本当にゼロになって、大学でほとんど喋らず過ごすのが当たり前になった。 当然、焔次とも会うことはおろか、姿を見ることもなくなった。 まあ、会っても合わせる顔がないからある意味助かるが。 「大学……行かなきゃ」 草太は毎朝そう言って家を出る。 大学を休むわけにはいかない。この大学に入るために親にはかなりの負担をかけてもらったのだ。好成績の人間にだけ受けられる奨学金ももらっているから、成績も落せない。 唯一心が休まるのがバイトの時間くらいか、流石にそこでは草太がゲイだと知っている人間はいない。 「大丈夫。そのうちどうにかなる……」 草太は自分に言い聞かせる。 ゲイであることの孤独はいままでそうやってやり過ごしてきた。 しばらくすれば孤立することに慣れてくる。草太はそう言い聞かせる。 そんな日々を過ごしていた、ある日。 「隣、座っていい?」 草太が食堂で一人食事をしていると、突然話しかけられた。 「え?」 まさか、話しかけて来る人間がいるなんて思ってなくて草太は驚く。 顔を上げると、そこにいたのは以前同じセリフで話しかけてきた速水清隆だった。 草太は困惑する。なんで話しかけてくるのか、理解できない。 今回もよく見ると他に席は空いていた。 しかし、話しかけてきた清隆は、草太の困惑した様子にも構わず、何も無かったような表情だ。 「いいかな?」 清隆は戸惑っている草太に、もう一度聞いた。 「ど、どうぞ」 草太は疑問に思いながらも、断る理由もなかったのでそう答える。 その返事を聞いて、清隆は何故か嬉しそうに隣に座った。 草太は戸惑いつつも食事を再開する。やっぱり理由が分からない。 しかも、周りを見ると目立つ清隆のおかげか、いつもより人に注目されてしまった。 草太は身が縮こまる思いで、とりあえず目の前にある食事を口に運ぶ。 清隆とはなんの関係もない振りをしておけば、問題はないはずだ。 「あー……あのさ……」 とりあえず黙って食べていると、清隆が遠慮がちに話かけてきた。 「なに?」 草太は話しかけるなよと思いながら、そう答えた。本当に意図が分からなくて、気味が悪い。 清隆は言いにくそうに続けた。 「えっと。その……それ美味しそうだねって思って」 清隆はそう言って、草太が食べている物を指す。 「え?これが?」 草太が食べているのはたいして珍しくもないうどんだ、不味くもないが特別美味しくもない。 何が言いたいのかよくわからなくて、草太はさらに困惑する。 草太がゲイだって噂が流れている事を知らないのだろうか。まあ、知らない人間がいてもおかしくはない。しかし、友達の多い清隆が知らないはずない。 しかも、こんなに注目されている今、わざわざ話しかけるなんて、何がしたいんだろう? 「あ、もしかして事を気にしてるのか?」 草太は色々考えた末、ふと思い至る。 「え?あの事?」 「僕がゲイだって聞いたんだろ?」 そう言ったら清隆は慌てたように目を泳がせ、何故か顔を赤らめた。 「ご、ごめん。知ってるけど……でも」 「事を気にしてるなら大丈夫だよ。何もしてない」 事とは、草太が清隆を介抱した時の事だ。 草太は思い出す。 飲み会の後、酔ってふらふらになっていた清隆を、草太は清隆のマンションまで送った。 意識も朦朧としていた草太は清隆を部屋の中まで運んだ。 しかし、ベッドに寝かせて帰ろうと思ったところ。酔っぱらった清隆に抱きこまれよろけた草太はそのままベッドに倒れこんだ。 無理をすればベッドから出られたが、時間も深夜で帰るにしてもタクシーか歩きで帰らないといけなかった。 その日の飲み会は焔次には会えず。さらに酔っぱらいの世話までさせられ、疲れていた草太は何もかも面倒になって、そのまま泊まったのだ。 「僕がゲイだって聞いて、何かしたんじゃないかって思ってるんだろ?」 草太は思い出しつつ言った。 「え?あ!い、いや……」 慌てる清隆を見て、草太はため息を吐いた。 酔って目を覚ましたら、隣で男が寝ていて。しかも、後からゲイだったと知らされたのだ。 何かされたのではと疑うのもわかる。 それでも、こんなことを疑われるのは気分が悪い。 「悪いけど、別に男なら誰でもいいってわけじゃないから。何もしてないし、安心して」 「だ、大丈夫。そんなことじゃないんだ」 清隆は慌てたようにそう言って「俺が迷惑かけたんだし。むしろ俺が抱きついちゃったんだからセクハラしたのは俺だよね?」と言葉を続けた。 「じゃあなに?」 「い、いや。別に特にないよ……そ、その何かお喋りでも出来たらなって……」 清隆は、何故か目をウロウロさせながらそう言った。 「お喋りって……何がしたいの?」 草太はそう言った。本当に意味が分からない。 「一人で食事は寂しいだろ?俺でよければと思ってさ……」 清隆はおずおずと、遠慮がちに言った。 草太は更に訝しげな表情になる。 「なんで、そんなこと……っていうか僕に関わったら、速水君も変な目で見られるよ」 今、現在もチラチラ周りの人間がこちらを見ている。どう考えても清隆に得はない。 「そんなの関係ない。それに俺は気にしないよ。大丈夫」 清隆はニコッと笑うと、サラリとそう言った。 「い、いや。そんな事いっても……」 あまりにきっぱり言われて草太はそれ以上言えなくなってしまった。 戸惑う草太をよそに清隆は普通の顔で食事し始める。そうして、その話は有耶無耶になった。 そんな出来事があってから、その後。 清隆は、当たり前のように草太に話しかけて来るようになった。 話しかけてくる内容は本当に他愛のないものだ。 草太は出来るだけ関わらないようにした。やっぱりなんでこんな事をするか分からなかったからだ。 たが清隆は諦めることはなかった。 そのうち、草太はなんだか面倒になってしまい。 好きにさせることにした。

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