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第26話 深淵を覗く

「草太、これお客さんに出しておいて。それが終わったらお皿洗って」 「はい」 草太は店長に言われ、返事をすると料理を受け取り、客さんに料理を出し洗い場で食器を洗う。 「はぁ……」 淡々と皿を洗いながら、草太はこっそりため息をついた。 バイトをしている最中は、忙しくて何も考えなくてすむ。 でも、こんな風に単調な仕事になると、ふとした拍子にあの事が蘇る。 「もう、忘れなきゃ……」 草太は、自分にそう言い聞かせた。 あの事とは勿論、焔次と清隆の事だ。 思い出すだけで、胸が苦しくなる。草太は思わず二人の顔を思い出してジワリと視界が滲んだ。 慌てて、袖で涙をぬぐう。 あの事は、そう簡単には忘れられそうにない。 「焔次くん……」 特に焔次のことを思い出すと、体が引き裂かれたように辛くなる。 大好きだったし、今でもその気持は変わらない。 最初は殴られて嫌われてしまったけど、最近では普通に話せるぐらいになった。草太は風邪を引いた時、近くで看病してくれた時の事を思い出す。 呆れたように笑った顔とか繋いだ手の温かさはきっとずっと忘れない。 なにより、たとえ違う人間の代わりでもセックスできたことは一生の思い出だ。 「まあ、こんな関係いつまでも続くわけなかったし。いいタイミングだったのかも……」 いい思い出になったと思えば、充分すぎるくらいいい思い出になった。元々、焔次とは喋ることも目を合わすことも滅多に出来ない関係だったのだ。 そう思うと、こうなるのは当然の帰依だったのかもしれない。 「でも、清隆もちょっと酷いよね」 草太はちょっと口を尖らせて言った。あんなに草太の事を好きと言っていたのに、あっさり焔次に乗り換えるなんて驚いた。 「でも清隆には酷いことも言ったし……」 そうつぶやいて草太は苦笑する。いまさら謝ったところで遅すぎるし、謝る気もないけど。 清隆の事は最初ただ、迷惑で面倒な奴が絡んで来たなと思っただけだった。 草太に取ってただのウザイ奴だけど、爽やかで、性格もよく頭も良のになんで自分を好きなんて血迷った事を言い始めたのか本当にわからない。 「それにしても、あの二人いつの間にあんなに仲良くなったんだろう……」 焔次が清隆の事が好きなのは分かっていた。でも、清隆は興味はなさそうだったし嫌がっていたから、まさか両想いになるなんて思わなかった。 薄暗い部屋で、抱き合う二人の姿を思い出す。あの時は、誰もいないと思っていたのに部屋から声が聞こえて、思わず聞いてしまった。 声はこもっていて聞き取りずらかったけど、清隆が焔次に”好き”と言ったのははっきり聞こえた。 「まあ、焔次くんはかっこいいし、口が悪いところがあるけど根は優しいから、好きになるのはしょうがないよね……」 そう言って草太はまた焔次の事を思い出して目頭が熱くなる。二人ともイケメンだし、お似合いだ。 地味で根暗な自分が間に入っていたこと、がそもそもおかしかったのだ。 「いつか、忘れられる日が来るのかな……」 風邪を引いたあの時、焔次が首を絞めて草太を殺そうとした。草太はなんであの時殺してくれなかったんだろうと本気で思う。そうすればこんな辛い思いをせずにすんだのに。 「はぁ……」 草太はまたため息をついた。 しばらくは引きずるだろうし完全に忘れるなんて無理だ。 せめて、いい思い出として整理できたらいいなと思う。 思い切って大学を辞めたのは正解だった。大学内は広いから滅多に会わないけど、どこかで顔を合わせるだろうし、特に二人は目立つから噂も耳に入ってしまうだろう。 元々大学は居心地も悪かったし、自分には過ぎた場所だった。 「とりあえず、このバイトも辞めないと……」 清隆に場所がばれてしまった、すぐには辞められないけど違うバイトを探さないと。 それからバイトの数も増やした方がいいだろう。メールアドレスや番号も変えたい。でも、焔次と完全に繋がりが断たれるのは嫌で、まだ踏み切れてなかった。 この先の事は、まだ何も考えてない。 「草太。これも運んどいて」 店長に言われる。 「はーい。……まあ、お金はいくらあってもいいし、忙しくしてたら今よりましになるはず……」 草太はそう呟いて、頼まれた仕事に向かった。 ——数時間後。 仕事が終わった草太は、バックヤードで着替える。 「お疲れ様です」 「お疲れ様」 着替えが済むと、バイト仲間にそう言って草太は店から出た。 「ふう……疲れた……」 新しいバイトは探さないといけないけど、今はとりあえず何か食べて眠りたい。 最近、あまり眠れていないのだ。体も頭も疲れているのに、夜一人になると目が冴えて眠れない。正直、今日も眠れるか分からないけど、何もしないよりましだ。 しかし、自炊するのも面倒だ。 何か買って帰ろうかと思ったその時、誰かに話しかけられた。 「草太、バイト終わった?」 物陰から突然清隆が現れ、草太の手を掴んだ。 「っ!!清隆……なんで」 「待ってたんだ。話したいことがある」 「な、何言って。もう来るなって言っただろ!!っちょ、ちょっと。離してよ」 草太は、捕まれた手を振りほどこうとしたが、清隆は強引にどこかに連れて行く。 清隆が向かったのは、焔次の家だった。清隆は草太の手を掴んだまま、鍵を使って家に入る。 「き、清隆。なんだよ、何の用?言っておくけどもう戻ることはないよ、大学も辞めたし」 リビングまで連れて行かれた草太は、そう言って手を振りほどいだ。 「知ってる」 清隆の様子はいつも通りだ。でも、少し声が固い。 「じゃあ、もう分かっただろ。僕は帰るから」 草太は、変だと思いつつそう言った。早くここから出たい。 「草太、これ見て」 草太が背を向けて帰ろうとすると、清隆がスマホで何かを見せた。 「これ……」 そこには、焔次が清隆を押さえつけて襲っている映像が写されていた。 「何か使えるかもって思って、隠し撮りしてたんだ」 「な、なんでそんな事を?」 「これを公開したら焔次はどうなるかな。知ってる?今は男でもレイプは犯罪として認められててるんだよ」 「っ……!」 草太はそれを聞いて固まる。 清隆はそれを見てうっすらと微笑んだ。 「焔次の親は有名人だったよな。これが、世間に知られたら焔次はどうなると思う?」 草太は血の気が引く。 焔次が親に対して複雑な思いがあるのは、草太はなんとなく察していた。 詳しい事は分からないが、スキャンダルに発展したらきっと焔次は傷つく。 乱暴な物言いや強がったりしているが、焔次は実は繊細な所がある。 「……で、でも。そうなったら、清隆だって男に犯されたって知られるんだよ」 「別に、それくらいなんともない。そもそも、焔次に脅された時もバラされてもいいって言ってただろ?」 草太は言葉に詰まる。たしかにそうだ、それで、焔次は草太を殴ることで清隆を脅したのだ。 「っ……で、でもそんな画像だけじゃ証拠にならないんじゃ……」 そもそも、焔次は素行は悪いが女の子とよく遊んでいるイメージがある。その焔次が男を襲ったと言っても、きっと誰も信じない。 「証拠は他にもあるよ。あいつが俺を脅す為に自分で撮った画像もある。送られてきたのを取っておいたんだ、しかも焔次の声も入ってる。脅しの文章も付いてるから、これも十分証拠になるよな?」 「それは……」 草太は何だか怖くて、一歩下がった。 「それに、周りの人間や俺の友達は、焔次と俺どっちを信じると思う?」 清隆は首を傾けてにこやかにそう言った。 「っ……」 草太はまた一歩後ずさる。 「焔次が草太の噂を流したのも、みんな知ってるよね?その後、草太にいじめみたいなことしてたのも広まってるし、草太が殴られて怪我してるのも見られてる。側から見たら、みんなは何を想像するだろうな?」 清隆は淡々とそう付け加える。 確かにそれだけを見ると、そんな草太を助けようとした清隆が逆に襲われたように見える。 清隆は続けて言う。 「まあ、実際に襲われてレイプされたのは本当だし。脅されたのも本当だ。言い逃れはできない」 草太はもう何も言い返す言葉もなくなって、立ちすくむ。 「な、なんで?清隆は焔次くんのこと好きなんじゃ……」 その途端、清隆は草太の背後の壁を殴った。 「俺が!好きなのは草太だ!最初っからそう言ってるだろ!」 「ッヒ」 いつのまにか壁に追い詰められていたのだ。大きい音に草太は体を硬直させる。 「焔次に好きって言ったのは、色々あって言えって言わされただけだ。そもそもこんな酷い事されて好きになるわけない」 清隆は呆れたようにそう言って、清隆が襲われている映像を見せる。そして、「まあ、最近は普通に喋れるくらいにはなったけど。好きになったりしない」と眉をひそめて言った。 「で、でも」 それでも、草太は納得しきれなくてそう言った時、清隆がまた拳を振り上げた。 「っ……!」 草太は殴られる、と思って目をつぶった。すぐに何かを殴った音がした。しかし、痛みは無い。 草太が不思議に思って目を開けると、清隆は自分を殴っていた。 「え?な、何して……」 草太は困惑する。しかし、その間にも清隆は二度三度自分を殴る。清隆が、ニヤリと笑って言った。唇が切れたのか血が出ている。 「傷があった方が説得力があるかなって思って。あいつ、俺の事は殴らないから。証拠は多い方がいいだろ?そうだ……」 清隆は何かを思いついて、バックからペンを取り出して自分の腕に突き立てようとした。 草太はそれを見て、清隆の脅しが本気なんだとわかった。 「や、やめて!わかった。わかったから……なんでもする!何でもするから、やめて……!」 草太は、必死に振り上げた清隆の手を掴み止める。 そうすると清隆は、嬉しそうに微笑み草太を抱きしめた。カタリとペンが床に落ちる。 「嬉しい。やっと分かってくれた。大好きだよ、草太」 草太は抱きしめられて固まる。 「き、清隆……何で、こんな事……」 草太はそう言った。本当に、何でこんな事になったのかわからない。 「あれから、ずっと考えたんだ。どうしたら草太と一緒にいられるか……」 清隆は体を引いて、草太を真っすぐ見つめて言った。 「それで思い出したんだ、草太が言ってただろ『証明したかったら、せめてその高いところから堕ちてみろ』って」 そう言われて、草太が清隆に感情のままに言った罵倒の言葉を思い出した。 あの時は、頭に血が昇って思っていたことをぶちまけてしまった。 「そ、そんな……」 「どう?俺は、草太のとこまで行けたかな……」 そうして、清隆は首をかしげて微笑んだ。しかし、草太はその笑顔が何より怖かった。 「清隆……」 「草太が俺の事を好きにならないのは分かってる……でも、せめて近くにいさせて欲しいんだ」 清隆は草太が怯えているのが分かったのか、苦笑して少し悲し気に言った。 そうして草太の手をギュッと握ったその力は強くて、少し痛い。 その時、玄関から音がした。 「清隆!もしかして清隆か?」 その声は焔次だ。 焔次は玄関にある靴を見たのか、そう言った。 「え、焔次くん……!」 焔次はすぐに、草太達がいる部屋のドアと開けた。 そうして清隆の姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄った。 「清隆、良かった……もう、来ないかと思った……」 焔次はそう言って、ホッとしたように清隆の手を握った。 「焔次くん……」 「あ、草太もいたのか。お前、なんで……あれ?清隆どうしたんだ?顔が腫れてる……」 焔次は、清隆の顔に殴った痕があることに気が付いた。 「おい、草太!お前、何かしたんじゃないだろうな!」 焔次はそう言って草太に掴みかかろうとする。 「ち、違……!これは清隆が……」 草太は慌てて言う。 すると、清隆が強引に焔次を自分の方に向かせた。 「違うよ。草太は何もしてない。ちょっと転んだんだ。何もないよ」 そう言って清隆は微笑む。 「清隆……」 その笑顔を見て、焔次は気が抜けたようになって、顔を赤くさせた。 そうして、清隆は焔次を引き寄せ、耳元で言った。 「そんなことより。せっかく三人揃った事だし。久しぶりに、しよう……?」 しかし、その目はまっすぐ草太を見つめていた。

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