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極道とウサギの甘いその後2−2
竜次郎が出先から戻りドアノブに手をかけた時、薄いドアの向こうから湊と舎弟が和やかに話をしているのが聞こえてきた。
湊を孤立させることは本意ではないので湊と話をすることを禁止してはいないが、個人的には腹が立つ。とりあえず奴らは殴ろうと心に決めると、「湊さんはどうすか!?どんなのが好みのタイプなんですか!?」という声が聞こえてきて、ぴたりと動きを止めた。
何故入らないのかという日守の視線に、静かにしてろとジェスチャーで示して扉に耳をつける。
日守の蔑みの視線など気にならないほど、湊の答えが気にかかった。
「どうかな……二人ともかわいいと思いますけど……」
「「どっちもはナシ!」」
「えぇ……う…うーん……」
「やっぱ胸は大きいほうがいいでしょ!代貸のことが好きなくらい痛ッ」
「やめろ!おっぱいの価値を貶めるんじゃねえ!」
「あー……この子と竜次郎だったらどっちが胸が大きいかな……」
「湊さん勘弁してください!」
「その比較データは湊さんの心にしまっておいてー!」
底辺の会話に耐えきれなくなり、竜次郎は音を立ててドアを開けた。
室内が凍り付く中、湊だけが「竜次郎、おかえり」と呑気に挨拶をする。
それには「おう」と軽くこたえて、まずは制裁をと青ざめる二人の男に向き直った。
「だ、代貸お帰りなさい……」
「お疲れ様で~す……」
「てめえら……人が一仕事してきたってのに何だ。グラビアなんか広げてはしゃぎやがって」
「いや、違うんですよ、週刊誌で時世についていろいろ勉強してたんであって」
「社会派任侠目指してますんで!」
目の泳いだ醜い言い訳にブチ切れた。
「全部聞こえてんだよ馬鹿が!」
鈍い音と共に男二人が事務所の床に転がる。
「あんまり乱暴にしちゃダメだよ」と湊がたしなめてくるが、こればかりは譲れない。
こいつらはこれ以上馬鹿になりようもないから、ちょっとくらい脳細胞が死んでもどうということもないだろう。
「大丈夫かな……。あ、ねえ、竜次郎はどっちの子が好みのタイプ?」
「……あ?」
ただの友人にするように無邪気にグラビアページを開いた雑誌を渡されて、竜次郎は言葉に詰まった。
何か勘繰られているのかと身構えそうになるが、湊の場合、裏はないだろう。
むしろ下手に凝った答えを返すと、『気を遣ってそんな風に言ってくれた』と逆に妙な気を回し始める可能性がある。
適当な方を指してこの話題を終わりにすればいいと、グラビアに目を走らせた。
………………薄々予想はしていたが、水着の色の違いくらいしか認識できない。
脳を損傷すると人の顔の識別ができなくなることがあるというが、そういった症状なのかと疑うほど、湊への想いを自覚して以来、それまで恋愛対象圏内だったような女性が全員背景に見えるようになった。
アイドルやこうした雑誌を見ていても全員同じ顔に見えてくるし、ふとした瞬間にいい女が目に付く、なんてこともない。
無論、それが男でも同じことだ。
仕事の関係者の顔を見分けられない、なんてことはないので、一応脳の損傷ではないと思うが、要するに、湊以外の人間には一ミリたりとも動かないわけで、竜次郎はもう長いことそれに関して複雑な気持ちを抱えていた。
「……竜次郎?」
考え込んでいたのだろう。湊がきょとんと見上げている。
「ああ、……いや」
雑誌の中から男に訴えかける小綺麗な女よりも、こうして見上げてくる湊にしか目がいかない。
それが、非常に気まずい。
「代貸?何……いっ……てぇ!!」
「ぐふぁっ」
とりあえず、立ち上がりつつあった元凶を殴った。
そもそもこの二人が湊にグラビアなど見せなければ、こんな事態になっていないのだ。
「お前らは全員自分の仕事をしろ!勝手に和んでんじゃねえ!」
湊の手から雑誌を奪い、机に放る。
ゴミ箱に突っ込みたいくらいだったが、雑誌に罪はない。物は大切に、というのが松平金の教えだ。
「日守、あとは任せた。湊、行くぞ」
馬鹿(不本意なことに竜次郎も含む)を見るような目をしている日守に事務所を押し付け歩き出すと、湊はいつものように文句も言わず素直について来る。
「竜次郎、今日はもうお仕事おしまい?」
頷くと、「そっか」と嬉しそうに微笑む湊は、触れられない場所では目の毒だ。
車で十分もかからない屋敷までの距離が、やけに長く感じられた。
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