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極道とウサギの甘いその後4-16
送ってきてくれた日守に礼を言い、車から降り立つ。
そこは、以前金を狙った暴漢を止めようとして、湊が脇腹を切られた商店街だった。
目的の場所は入口から数メートル先にある、昭和の風情漂うスナックだ。
どうやらそこが、南野がこのあたりを訪れた時のいきつけらしい。
店の前に立ち、厚手だが防音には足りない気がするドアを開けると、煙草とアルコールが混じったこもった空気が湊を包む。
壁紙の黄ばんだ店内は広くはなく、木製のカウンターに古びたスツールが並び、ボックス席が二つとカラオケ機材があるだけだ。
カウンターの向こうのママと思しき女性が「いらっしゃい」と笑いかけてくれる。
綺麗な人だ。女性の年齢を当てるのは難しいが、五十代だろうか。彼女の後ろにはお得意様の名前の書かれたキープボトルがずらりと並ぶ。
そろそろ客の入り始める時刻だとは思うが、客はいない。恐らく、日守が全てセッティングしてくれたのだろう。
「こんばんは」
どうやら事情を知っているらしい、面白そうな瞳で展開を見守るママに会釈をしながら、人が入ってきたのには気付いただろうに、こちらを見もしない男に声をかける。
柄の入った開襟シャツの任侠は、渋々と面倒くさそうに振り返った。
「金ちゃんが後から行くからいつもの店で飲んでろ、なんて、なるほどな。そういうことか」
頑固親父風な強面にぎょろりと睨まれる。
どうやら、この席を用意してもらうのに金の力も借りてしまったようだ。
申し訳ない……と思うよりは、有難いと思った方が喜んでもらえるだろう。
湊は松平組の人達の温かい気遣いに心から感謝した。
今朝、湊は日守に南野との酒席を用意してもらえないかと頼んだ。
「できれば今日、南野さんと二人で話をしたいんです。お酒を飲みながら」
二人で、というのはつまり竜次郎のいないところで、という意味である。
日守は湊の真意を測るようにじっと見つめてきた。
「それで……南野さんとのアポイント、場所のセッティング、竜次郎の足止めなどをお願いできたらと」
頼むことが多すぎるとは思うが、どれも湊が自力でやろうとすると手間と時間がかかりすぎる。一人で動いて迷惑をかけるよりは、初めから助力を頼んだ方がいいという判断だ。
それが困難である、また金や松平組にとって迷惑な場合は、日守はきちんと断ってくれるだろうという安心感があるので、こうして素直に頼むことができる。
湊の決意が固いと思ったのか、日守は「かしこまりました」と頷いてくれた。
布団に戻ってからつい竜次郎と励んでしまったせいで、起きられたのは昼頃だ。
二人してのそのそと起きていくと、やや呆れた顔の日守が昼食を用意してくれて、竜次郎が他の人と話している隙に「話は通しておきました。十八時にお迎えにあがります」と耳打ちをされた。
恐らく、湊の頼み事は金に報告されただろう。
聞いた金は、湊のために兄弟分を動かしてくれたのだ。
これはもう、絶対に失敗できないと、湊はしっかり南野を見返した。
「それで?俺に何の用なんだ。竜次郎みたいに誑し込むつもりか?」
「竜次郎が、俺に誑し込まれたって言ったんですか?」
そうだともそうじゃないとも言わず、南野は肩を竦めた。
「俺は遊びなら別に口を出さねえって言ってやったんだ。あいつは聞く耳もたなかったが」
竜次郎が酔って帰ってきた日、二人は一日中平行線の説得合戦をしていたのだろう。
南野は、松平組の人たちにとって大切な存在だ。
南野にとってもまた、松平組は大切な人たちのいる場所なのだと思う。
だから彼が湊のことをよく思わないのは、当然のことだ。
湊は一度、金に同じことを言われて逃げ出している。
……今度は、逃げたくない。
「俺と、勝負をしてくれませんか?」
湊は腹に力を入れて、南野と真っ直ぐに対峙した。
予想外の言葉だったのか、任侠の男は太い眉を寄せる。
「……勝負?」
「南野さんはお酒が好きだとうかがいました。俺も、お酒には自信があるので、飲み比べをしてもらえたらと思って」
「客商売だから酒は得意ってわけか。で、お前さんが勝ったら、姐さんとして認めろとでもいうつもりか?」
「いいえ。俺は……自分が姐さんという立場にふさわしいとは、思っていません。だから俺が勝ったときは、俺が竜次郎と松平組にとって本当に必要な存在かどうかを、見てくれる人になってくれませんか。外側から客観的に見て、俺の存在が害でしかないと南野さんが判断した時は、ちゃんと身の振り方を考えます」
南野は知らないだろうが、湊は逃げだすのは得意なのだ。
全く褒められることではないけれど。
誰かと競ったりするのは苦手だが、今ばかりは乗ってもらわなければ困るので、身の回りの人達の駆け引きを思い出しながら、精一杯競争心を煽るように挑戦的な表情を作る。
湊は、緊張しながら南野の答えを待った。
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