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極道とウサギの甘いその後5-12
「着きました」
その声で、湊は無意識のうちに縋るように掴んでいたシートとシートベルトから手を離した。
「大丈夫ですか?」
「はっ…、だ、大丈夫です!」
既に車から降りようとしている日守に再度声をかけられ、慌てて自分もドアを開ける。
なかなかに衝撃的な時間を過ごした。
車が走り出すと、急な加速で体がシートに張り付き、ブレーキが壊れているのでは?と思うほどスピードは上がり続け、曲がり角を減速せず直角に曲がり、信号のない道が全て頭に入っているのか、狭い道を猛スピードで走り抜けて……。
お陰で、竜次郎たちにそう遅れずに目的地に辿り着けたのだが、非常にスリリングな時間を過ごすこととなった。
停車したコインパーキングから辺りを見回すと、通りを挟んだ向こうに飲食店が並んでいるのが見える。繁華街が近いようだ。
「思ったより早く着いて、びっくりしました。何か…速く走る練習とかしたんですか?」
極道の親分を乗せて走るのに、ドリフトは必須のスキルなのだろうか。
つい気になって聞くと、日守は首を横に振った。
「昔取った杵柄です。交機にはよく追いかけられました」
「こうき?」
「交通機動隊です」
要するに、モータースポーツとしてサーキットなどで速さを追求していたのではなく、いわゆる走り屋や、暴走族だったということか。
湊は車を運転しないのでよく分からないが、スピード違反の車を取り締まるのだから交通機動隊の車は相当速度が出るはずだ。
「捕まっちゃうこともあったんですか?」
「私を止められるのは、今も昔も金様だけです」
一瞬、金も走り屋だったのだろうかと考えかけたけれど、恐らく車の話ではない。
日守はいつもの無表情だが、その横顔はどこか誇らしげに見える。
自分のことをあまり語らない日守の貴重なエピソードだ。
二人の出会いには少し興味があるが、今はそれどころではないので、今度こっそり金に聞いてみよう。
短い会話の間に目的地に着いたらしく、日守は四階建てのビルの前で立ち止まった。
「白木組」と仰々しい看板などは出ていない。ぼろぼろの松平組のビルに比べて随分と立派で、一見すると一般中小企業のオフィスビルのようだ。
しかし、四方に取り付けられた監視カメラの数と、ドアの重厚さでヤクザの事務所とわかる。
どうやって入るのだろうと思っていると、日守は無造作にインターホンを押した。
が、応答はない。
日守は、更にボタンを連打した。
「うるせえな!今取り込み中だ!ぐぁっ!?」
一秒間に十六回の連打に耐えかねてドアが開いたその瞬間。
日守は目にも止まらぬ早業で、ドアノブを掴む相手の腕を掴み、胴体を蹴り飛ばしながら押し入った。
「くっ、離、いっ、いてててて!」
掴んだままの腕を捻り、そのまま盾にしてずかずかと中へ入っていく。
日守の手際に感心しつつ、湊も離れないようにその後に続いた。
神棚や格言を書いた額縁のない、ヤクザらしさのない広々とした事務所内には三人しか人がいない。
こちらとしては大所帯でない方が助かるが、建物の規模からして少し違和感がある。
「失礼、責任者の方と話したいのですが」
「手前ェ…、何してるのかわかってんだろうな」
「案内してもらえないのであれば、勝手に家探しさせてもらいます」
「おい、動くんじゃねえ!」
「何だ、騒々しいな」
奥のドアが開き、のそりと、がっしりした体格の男が顔を出した。
八重崎から見せてもらった写真に写っていた、白木組の組長だ。
続いて竜次郎とマサも出てきて、二人とも無事な様子にホッとする。
「親父!カチコミです!」
「やれやれ、下っ端のじゃれ合いに、貸元様の忠犬までお出ましとは、随分熱くなってるじゃねえか」
白木の嘲るような言葉に、言い返したのは日守ではなかった。
「仕掛けてきたのは白木さん、あんたの方だろうが。汚えことばかりしやがって」
「俺は知らねえ、全部柳の独断よ。商売繁盛で大忙しの松平さんとは違って、うちは最近は商売あがったりでなあ。ま、少しやっかむくらい許してやってくれよ、松平の坊ちゃん」
わざとらしいくらいに相手を挑発するような物言いをしているのは、性格なのか策略なのか。
普段温厚なマサですら殴りかかりそうな顔をしているが、子ども扱いされた竜次郎の方は、目つきは鋭いが冷静そのものだった。
「なあ、うちの若いもんはどこにいる」
「さあなー…。柳のお気に入りの遊び場かもな」
「遊び場?」
「『QO』ってえクラブだよ。行ってみたらどうだ?」
「クラブ……?」
しばし真意を探るようなにらみ合いが続き、竜次郎はさっと踵を返した。
「邪魔したな」
一先ず納得することにしたようだ。
竜次郎に促され、湊も後に続く。
「おい、手前ェ、それで済むと思ってんのか!」
舎弟の一人が吼えるが、日守の視線一つで怯んでしまった。
事務所を出る直前に振り返ると、白木は、事務所に押し入られたというのに憤っている様子もなく、薄笑いを浮かべてこちらを見ていた。
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