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「ポイ捨てはお断り」須藤慎弥

 ───どうしてこんな事になってしまったのか。  墓穴を掘った颯真(そうま)は自身の失態に気付けぬまま、怒り狂う親友を睨み付けた。 「(こう)……っ、皇……っやめろ……っ」 「うるせぇ。 ウソつき」  颯真は必死で抵抗を試みた。  皇の独り暮らしの住まいに到着するや寝室に引きずり込まれ、訳が分からないままに裸に剥かれ、ベッドに押さえつけられ、脱がされた衣類で両手首を縛られ、挙げ句の果てには荒々しく後孔を拓かれているのだ。  抵抗しないはずがない。 「皇っ、やめろって……言ってんだろ、っ!」 「黙れよ。 誰がウソつきの言う事なんか聞くか」 「ウソつきウソつきって何の事だよっ? てか謝る! 俺が何かしたんなら謝るから許し……」 「謝るって何を? ウソついた事? それとも俺を裏切ってた事?」 「………………っっ」  荒ぶる手付きで颯真の中を弄り、一切の感情が消え去った恐ろしく冷たい微笑を浮かべた皇には、もはや何を言っても、どんな抵抗も無駄だと悟った。  颯真は、唯一ジタバタと動かせていた両足を静かにベッドに沈めた。  本当は痛いからやめろと言いたかった。 これからもっと、痛い事が待っている。  体だけではない。  心底に宿る皇への気持ちと、恐らく変わってしまうであろう二人の今後の関係性は、考えただけで胸が痛い。 「どういうつもりで俺にウソついたんだよ。 なぁ、颯真」 「……やめっ……やめろ……っ」 「嫌なら蹴落とせばいいじゃん。 足は自由なんだから」 「んな事、出来るはずないだろ……!」 「じゃあいいよな。 他の男には許してんのに、俺はダメってのは納得いかないし?」 「皇、……さっきから何を……」 「へぇ……そうやって誤魔化すんだ? お前が俺を怒らせたんだろ」 「あっ、ダメ、っ……ダメだ、皇! あぁぁ───っ」  抵抗をやめたはずの体が、孔に触れた皇の存在に気付いて盛大に怯んだ。  しかしそれは、ぐちゅ…と躊躇なく侵入してくる。 グジュグジュと摩擦音を立てながら襞を押し拓く存在は、やはり痛かった。  感動や快感を追うよりも先に、切ない涙を流す羽目になった颯真の心は壊れそうだった。  少しも加減してくれない、怒りに任せて腰を推し進めてくる皇がひたすらに怖かった。 「あぁっ……ん、っ……んっ……」 「颯真のウソを見抜けなかった俺が悪いってのか? 上っ面の友情は楽しかったか? 颯真」 「……な、に……っ? 皇……何を……っ」  ウソつきと散々罵られながら、颯真は皇の怒りを受け止めつつも次第に恍惚としていった。  こうなる事を密かに望んでいた己の欲が勝るのは致し方ない事で、そして「ウソつき」の自覚もある颯真には言い訳など出来なかった。  だがそのウソを知られてしまった理由が分からない。  颯真の自覚あるそれと、皇が憤っているそれが同じかどうかも分からない。  ただ颯真は、揺さぶられる度に走る両手首の痛みと、自身の想いを重ねていた。  嫌だ。 捨てられたくない。  捨てられたくない───。  皇の一番近くに居られる術は、「友情」だけだったではないか。  颯真はウソつきにならざるを得なかったのだ。 誰よりもその友情に固執していたから……。 ■ ■ ■  中学二年生時のクラス替えで出会った二人は、同じ名字である「佐藤」で繋がった。  紛らわしいとの理由で初っ端から名前呼びが当たり前で、人懐っこい二人の仲が急速に縮まるのも何らおかしな事ではなかった。  とにかく気が合ったのだ。  漫画やゲームの好み、食べ物や人間の好き嫌いなどに加え、二人は思考回路までよく似ている。  けれどそれは、単に成績優秀な皇が不出来な颯真に合わせてやっているだけなのだが、単純な颯真は二人の思考の一致にいちいち喜んだ。 「颯真、今何考えてた?」 「弁当……中庭で食べよっかなって」 「マジで。 俺もそう思ってた」 「いつも家庭科室前の階段の踊り場じゃん? 今日天気いいし外で食うと気持ち良さそうだよな」 「まったく同じ事考えてたよ」  教室の窓から冬の青空を見上げた皇の横顔を、颯真はほっこりとした気持ちで眺めた。  授業の合間の短い休み時間でさえ惜しいと、互いの机を行き来する二人は傍から見ても親友と呼ぶに相応しい。  多感な年頃であるが故、深まった友情に酔っていた部分も大いにある。 「颯真、今何考えてた?」 「明日の試験どうしよーって」 「俺も俺も。 一緒の事考えてた」 「皇は頭いいんだから、どうしよーとはならないだろ」 「俺じゃなくて颯真の心配な。 颯真が欠点だらけだったらどうしよーって」 「……大きなお世話だ」 「勉強教えてやるって言ってんのに」 「嫌だよ。 てか皇は放課後忙しいじゃん」 「お、妬いてんの?」 「バーカ」  いつも決まって問い掛けるのは皇で、それに正直に答える颯真は「俺も」と同調してもらえる事に微かな優越感を覚えていた。  何しろ、私服で街を歩いていると必ず何らかのスカウトの声がかかる皇は、その見た目を彼自身も認識していて、歯痒い事に彼女が絶えない。  それどころか二股三股もへっちゃらな様子で、体の関係を持つやすぐに新しい子に鞍替えする、そっち方面ではいわゆるクズだ。  整った容姿、まるで中学生には見えない大人びた体躯、育ちの良さが滲み出ている余裕ある表情、誰にでも分け隔てなく接するおおらかな人柄……女性関係を除いた皇をかたどるすべてが颯真の憧れとなるのも、もはや当然の成り行きであった。  親友でありながら憧れを抱く皇とは、同じ高校に進学した。  出来の悪い颯真は自宅から電車一本で通える高校しか選択肢が無く、進学校を目指すべき皇は何故か颯真から離れたがらなかったのである。  毎日通うんだから近い方がいいよな、と笑った皇に、深く考えずに颯真は「同じ制服が着られて嬉しい!」と素直にはしゃいだ。  進学しても立場は変わらず、大きい方の佐藤はワーキャー騒がれ、小さい方の佐藤は誰しもからペット扱いではあったが、他の誰よりも懐いていたい対象が一番優しかったので高校時代もまぁまぁ充実していた。  颯真の皇への憧れが違うものに変わったのは、高校三年の夏休みだ。  皇の自宅マンションで、彼の気ままな両親からの海外土産であるウイスキー入りのチョコレートを食べたその日、颯真は微量のアルコールで酔ってしまいベッドで力無くゴロゴロしていた。 「颯真、今何考えてた?」 「ん、……ちょっと食べ過ぎたなって……」 「だろうな。 俺もそう思ってた」 「眠いー」 「ついでにもう一つ考えてた事あるだろ?」 「……何?」 「勃ってる」 「こ、これはっ……」 「ムラムラすんのは健全な証拠。 酔っ払ってふにゃってなっててリラックス状態だしな、仕方ねぇよ」 「そ、そうだよな? うん。 でももう立てないからいいんだ。 ほっといたら萎えるよ」 「俺が抜いてやろうか?」 「えっ!? いやいやいやいや、いいって!」  ふわふわとした気分を一変させる驚愕の一言を、皇はサラッと言い放った。  驚いて上体を起こした颯真の間近に皇が迫る。  確かにスキニーデニムの前がキツくはなっていたが、颯真のものは勃起したところでそんなに支障はない。  身長と同じくそこの成長も芳しくなく、他人にそれを見せる勇気も彼女が出来る気配もない颯真は童貞まっしぐらだ。  正直なところ、出会った頃から経験豊富な皇とは下ネタを話すのも嫌だった。  皇に初めて彼女が出来た中二のあの頃よりも、彼は見事な色気ある男に育っている。  いつまでも子どものような見た目で、周囲からペット扱いされている颯真とは比べものにならないほどの経験を積んでいる事だろう。  こうして皇の自宅に通う頻度が少なくなったのは、そういう意味で彼が忙しいからに他ならない。  ひっきりなしに彼女が絶えないという嘘みたいな話が現実世界であり得るのかと鼻で笑っていたが、すぐそばに悪い手本があった。  皇は入れ食い状態だ。 それが良くない。  関係を持ったらすぐに次の体を欲しがり、彼女と名のついた大切にすべき人をいとも簡単にポイッと捨ててしまう。  無情にも、あっさりと。 「固くなってる」 「さ、触るなよっ。 勃ってるんだからそりゃそうだろっ」  どんな思考回路であれば、親友の性を吐き出す手伝いをするなどと言えるのだろうか。  少しだけ残念な気持ちになったその時の颯真に、逃げるという選択肢は無かった。  親友という強固な名称と、共に過ごしてきた時間の長さが、一致せず寂しくなってしまった思考回路さえ上回る。  「颯真、まだ童貞だよな?」 「……悪いか!」 「悪くねぇよ。 てか、いつかは童貞脱したいと思ってる?」 「男なんだから当たり前だろ! バカにしてんのか!」 「いや、……。 童貞捨ててもいいけど女は作るなよ。 颯真は単純だし、女の言いなりになって身を滅ぼしそうで心配なんだ」 「なんでだよ! 俺どんな奴に見えて……ちょ、ちょっと、皇……!」  真剣に失礼な事を言う皇は、颯真の手を払い除けてファスナーを下ろした。  膨らんだ下着の上から性器を鷲掴まれて、嫌でも力が抜ける。 他人の掌がそこに触れたのは初めてで、ドキドキと落ち着かない心臓を持て余した颯真は、払い除けられた手で皇の二の腕を掴んだ。 「皇っ、……マジで何して……っ」 「抜いてやるって言ってんの。 何事も経験だ、経験」  慣れた手付きで下着をずらし、颯真の小ぶりながら勃ち上がった性器を握った皇は一切の躊躇いを見せない。  温かな他人の掌に喜ぶ分身はすぐに先端から嬉し涙を零していて、早くも虚ろとなった颯真を絶句させた。  皇は颯真の顔をまじまじと見詰め、左手で軽々と華奢な背中を支える。 そしてまるで、自身のものであるかのように颯真の性器を扱いていた。  親友を相手にしているという無益な行為だ。  何故そんなに躊躇いが無いのかと、絶頂間際で皇の二の腕を掴む掌に力を込めながら颯真は思った。 「あ、っ……待って、ヤバっ……皇……っ」  ぷる、ぷる、と体が小刻みに揺れる。 うぅっ、と小さく呻いた颯真の腰が震え、全身が力んだ。 扱かれてあっという間に吐き出した精液は皇が掌で受け止めてくれたが、先走りの蜜で下腹部は妖しく濡れそぼる。  白濁液をティッシュで拭っている皇の手際の良さが、恨めしかった。  淡々としたその動作に、彼のこれまで性生活を垣間見た気がした。  短く呼吸を繰り返す颯真は、耐え難い羞恥に皇の顔を見る事が出来ず、ベッドに寝転んで瞼を閉じる。  とてもじゃないが、今はまともに目を合わせられない。 「……早いな。 溜まってたのか?」 「う、うるさいっ」 「それならそうと言ってくれればよかったのに。 颯真ならいつでも抜いてやるよ」 「────っ!」  何気なく無節操な事を言い放った皇の思考回路は、この先二度と読めないかもしれない。  汚れたティッシュをゴミ箱へと捨てて戻ってきた気配に、颯真はパチっと瞳を開き文字通り驚いた。  皇から押し倒されるような形で、あり得ないほどの至近距離に皇の顔があったからだ。 「遠慮するなよ」 「こ、こんな事すんのは二度とやめてくれ!」  颯真は本気で、そう叫んだ。  照れんなよ、と笑う皇の気が知れないと腹が立ったと同時に、なかなか落ち着かない鼓動の訳をその時ついに知ってしまったからだ。  下腹部を綺麗にしなければとか、泊まる予定じゃなかったのにとか、明日の学校どうしようとか、様々考えている事はあった。  けれど颯真はそのまま脱力し、皇の視線から逃れるようにして無理やり眠りについた。  強く拒めなかった本心が、皇に触れられ、濡れた瞳で見詰められた事で芽生えさせられてしまったのである。  皇に対する憧れが、いつの間にか恋に変わっていたのだと───。 … … …  颯真はその翌日、皇に最初のウソを吐いた。  ウイスキーボンボンを食べてから記憶が曖昧で、何か迷惑をかけなかったかとまで言った。  マジかよ……と呟いた皇の瞳はもちろん見られなかったけれど、この方がお互いの今後のためにも良いと颯真は信じていた。  颯真が覚えていないフリをする事で、皇もそれ以来良からぬ提案を持ち掛けてこなかったのでこれが正解だったのだ。  ただ「好きだ」という想いを胸に秘めているだけで、女好きな皇から「気持ち悪い」と断絶され、親友でさえ居られなくなるのが相当に恐怖だった。  可能性はゼロに等しいが、万一にも皇と付き合えば容易く捨てられるという意識が颯真を支配している。  友情を失いたくない。  これだけは明白で、何なら恋心よりも強くそう思っている。  皇の恋愛事情を本人の口から聞いた事は無いけれど、大きい方の佐藤は学校内外で人気者なので聞きたくなくても情報は無限に入ってくる。  それをいつも、小さい方の佐藤はひがんだ。 否、ひがんだフリをした。  同じ名字なのに歩んでいる人生がまったく違う、お前だけモテて羨ましい、身長分けて、と膨れながら皇の背中をバシバシ叩く。  すると周囲は笑ってくれるし、颯真も気が晴れる。 だからウソをついた。  吐き続けたウソが知らぬ間にどんどんと大きくなっている事にも気付かず、想いを誤魔化す手段となったそれが無ければ颯真は立っていられなくなっていた。  何しろ毎日、皇と会うのだ。  要らぬ情報もそれこそ毎日飛び込んでくる。  一緒の時を過ごす事に息苦しさを感じる前に、想いなどいっそ捨ててしまいたかった。 「……よっ、颯真。 今何考えてた?」  同じ制服を着た二人は、いつも同じ場所で授業をサボる。 美術室の倉庫に忍び込んだ颯真の後に、必ず皇がやってくるからだ。 「なんで俺がフケるタイミング分かるんだよ」 「考えてる事が一緒だから」 「………………」  それは違う。 颯真はもう、皇とは同じ思考回路にはなれない。  皇が居る前で、友人らには「お腹が痛いからトイレに行く」と言って抜け出してきた。 颯真は、単に独りになりたかっただけだ。  大きい方の佐藤と小さい方の佐藤は常に一緒にいる事が当たり前だったので、颯真がそれに合わせなくてはならない。  皇を前に無理して笑う日々に、少しだけ疲れてきていた。 「ここ寒くね? 冬は別の場所でサボろうよ」 「皇はサボるなよ。 合格取り消されても知らないぞ」 「こんな事で取り消されるような点は取ってねぇよ。 腹が痛くてトイレにこもってたって言えば大人は信じる」 「うわー、悪い生徒だな」 「お前もな、颯真」  笑顔で颯真の肩を抱き、暖を取るように擦ってくる皇の手付きは優しくて温かった。  間もなく高校を卒業する二人には物悲しい季節。  志望高校でワガママを言った皇は両親から説得されて大学へ進学予定で、勉強など御免だと言い張る颯真は就職もせずフリーターの道を歩む事になった。  たとえ進む道が違おうとも、想いを殺してまで守っている親友の座は誰にも譲れない。 むしろ少しだけ離れていた方が、颯真の心が穏やかで居られると思う。  ほんの少しの優しさだけ貰い、ポイ捨てされてしまう彼女達を思えば颯真は恵まれている。  このまま、親友で居たい。  想いに気付かれてしまったら、きっともうこうして友情の抱擁はしてもらえない。  独りになりたかったはずの颯真は、親友という最大の盾を持って現金にも皇の温かさに浸った。 「あ、そうそう。 これ渡しとく」 「何これ。 鍵?」 「卒業式の次の日から俺、ここに居るから」 「……そうなんだ」 「いつでも来ていいよ、颯真の物揃えとくから。 歯ブラシとかさ」 「………………」  皇がポケットから取り出して颯真に渡してきたものは、春から独り暮らしするという新居の合鍵だった。  掌に乗った何の変哲もない鍵を、複雑な思いで見詰める。  絶対に見たくない光景をうっかり見てしまう恐れがあるのに、そう簡単には行けない。  颯真がそれを使う日はこないだろうが、彼女のではなく颯真の歯ブラシを用意すると言った皇は微塵もウソを疑っていなかった。  暖のない倉庫はキンキンに冷えていたけれど、寄り添った互いの体温は殊更に温かい。  これからも親友で居たいと願う颯真は、皇の新居の合鍵を握ってある事を決意した。  卒業式で離れ離れになる皆と気恥ずかしい涙を零し合い、春が過ぎ、夏が過ぎ、二人ともがようやく新生活に慣れた頃……颯真は皇に、最大のウソを吐いた。 … … …  童貞を捨てるのはいいけど彼女は作るな、と言われた。  まったくもって理解出来なかったが、颯真は女性から身を滅ぼされると何度も力説されて、それは半ば洗脳に近かった。  皇はこうも言っていた。 『童貞捨てる日は必ず俺に言ってからにしろ』 『なんでだよ。 いまからエッチして来ますって報告すんの? それめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど』 『いいからいいから』 『何がいいんだ……』 『初めての時は緊張するだろうから、俺が和ませてやる』 『……なるほど』  一理ある、と頷いた単純さは、中学時代から何も変わっていない。  秋の夕空を見上げて一つ深呼吸をした颯真は、スマホで皇の文字を探す。  皇が言っていた通り、緊張してきた。  想いを断ち切るべくこれから大人の階段を上りに行く、まさに未知の世界に飛び込む直前の心臓はドキドキと落ち着かない。 『颯真? どうした? どうせ今週末も泊まりに来ねえって言うんだろ』 「あ、いや、……」 『颯真さぁ、まだ一回もウチ来てねぇじゃん。 バイト忙しいのも分かるけどちょっと冷たいんじゃねぇの? 卒業してからもう半年だぜ、半年』 「ごめんってば。 近々行くから」 『近々っていつ?』 「……ら、来週……?」 『ほんとだろうな?』 「うん、来週には行けると思う。 俺のモチベーション的に」 『はぁ?』  就職をしなかった颯真は、実家で肩身が狭い。  それ故二つのバイトを掛け持ちしていてヘトヘトなのは事実だったが、まだ皇の新居に一度も足を踏み入れていないのはそろそろ不自然であろう。  それは多分に、皇の一人住まいの部屋で「彼女」の形跡を見たくなかったという、捨てきれない想いによる我儘もあった。 「皇、俺今日……、行ってくる」 『どこに?』  唐突過ぎてすぐには伝わらないのも当然で、歩を止めた颯真は立ち止まってスマホの持ち手を変えた。 「……大人になってくる」 『はっ? 今日っ?』 「…………うん。 皇が言ってた事当たってた。 めちゃくちゃ緊張してる」 『お、お前なぁ、そんな急展開あるかよ。 前もって報告しろとは言ったけど、当日言うバカが居るか』 「前もって言うのと当日言うのどう違うんだよ」 『それはその……俺のモチベーション的に』 「ぶはっ……。 何だよそれ。 さっき俺が言ったこと真似するなよ」 『なぁ颯真、今日じゃなくてもいいんじゃね? 童貞捨てても大人になんてなれねぇし、特に何が変わるとかもないんだぞ? んなのは後日にして、今から俺ん家来いよ』 「もう約束したから無理。 俺も今日がいいって言っちゃったしさ、相手がいる事なんだから今さらキャンセルとか出来ないって。 ……あっ! 皇、またな!」 『えっ、はっ? 颯真、ちょっと待っ……』  颯真の視線の先に見えた人影に手を振り、約束通り若干ではあるが和ませてくれた皇に感謝しつつ通話を切った。  皇に、大きなウソを吐いてしまった。  けれど後悔はしていない。 「三宅店長、すみません。 待ちました?」 「いや全然。 誰かと電話してたんじゃない?」 「大丈夫です。 ちょっと緊張してるんで……」 「初めての時は誰でもそうだよ。 今日はお試しだから安心して」 「……はい」  颯真は、どことなく背格好が皇に似ていた三宅に自身の葛藤を話し、そして……託す事にした。  春から勤めている居酒屋のバイトの店長である三宅はバイセクシャルで、この半年それはもう親身になって颯真の話を聞いてくれていて、そこに下心があるかもしれない事を分かっていても一度吐露した本音は止められなかった。  自覚が生まれる前から皇の事しか頭に無かったからなのか、もしくは彼の洗脳が成功しているからなのか、女性を恋愛対象として見れず童貞を捨てて吹っ切りたいという望みも叶えられそうになかった。  ……と、ここまで話したところで、三宅に「それなら試してみる?」と大人の誘いを受けた。  さすがに颯真もはじめは躊躇し、考えさせてほしいと時間を貰ったが最終的には三宅の案を飲んだ。  事前に教わった通りに腹の中を空っぽにし、三宅と共にホテルに入ってから入れ違いにシャワーを浴びてベッドに横たわると、言い知れぬ緊張感が颯真を襲った。  これまでいくつも、皇にウソを吐いてきた。  颯真は童貞は捨てない。 ただし後ろを開発されてしまう。  初めてで貫く事はしないと話した三宅の言葉にどれだけの真実味があるのかは分からないが、颯真の恋愛対象をハッキリさせるためには必要な事だと思っている。  皇も言っていたから。 何事も経験だ、と。 「スマホ置いてるね」 「あ、はい。 約束だったんで」 「俺は出来ない約束はしない主義なんだけどな」 「店長を信じてないわけじゃないんですけど、置いてると安心なんで」 「貴重な即戦力に辞められちゃ困るから無理はしないよ。 後腐れなく頑張ろうね」  店長の案を飲んだ颯真は、一つだけ条件を出した。  男と交わる事に不快感を覚えないと分かればいいだけなので、三宅が初日でいきなり貫かないと言った気持ちはありがたい。 しかし不安なのでスマホは手元に置いておきたい、そう真剣に語ると三宅は手を叩いて爆笑していた。  無理強いされそうになったら問答無用で警察や友人に助けを求める、言外にそう言っているも同然で、土壇場でよくよく考えてみると失礼極まりない。 「んっ……」 「ゆっくり息吐いて」  自ら後孔を弄くる勇気も無かった颯真に、せっかくだから瞳を瞑って想い人を想像していたらいいと教えてくれた三宅は、貫けもしないのに優しかった。  皇に触れられているという妄想は、ぬちぬちと襞を擦る指先を刺激的に捉え、颯真は初めてとは思えないほど喘いでしまった。  四つん這いになり、中指の腹で前立腺を押されながら同時に性器を攻められると、尿意に近いムズムズ感が沸き起こって全身が震えた。  たっぷりと時間をかけて拓かれたそこは、初めてにしては上出来だと三宅が微笑むほどには感じた。  枕元にあったスマホがいつの間にか裏返されていた事に気付かぬまま、瞳の奥の皇を想って啼いた颯真は危機感のない疲弊した寝顔を晒している。  それを隣でジッと眺めていた三宅は、スマホに向かって意味深に語り掛けた。 「……グズグズしてるからこういう事になるんだよ。 そんなに女がいいなら二度と颯真に近付くな。 意気地なし」 ■ ■ ■  せめてもう少し、優しくしてほしい。  限界まで持ち上げられた下半身は間もなく上半身と二つ折りになってしまいそうなほどで、眉間に皺を寄せた皇が上からガツガツと性器を挿し込んでくる。  戸惑いと歓喜がせめぎ合い、拓かれて間もない襞は皇の昂ぶりで擦られる事を心底喜んだ。  何をそんなに怒っているのか、どうしてその怒りに任せて弄くるどころか貫いているのか、額に汗を滲ませる皇と目が合ってもやはり思考回路は読めなかった。 「あっ……ぁあっ……皇、っ……」 「俺、意気地なしだってさ」 「……え、…んぁっ……えっ……?」 「うるせぇっつーの」 「あぅっ、っ……んっ、あっ……」  一瞬だけ苦々しく笑った皇は、再び眉間に皺を寄せて己の快楽を追い始めた。  颯真はついていくのがやっとである。  奇しくも初体験は皇となった。  拓かれたそこは、昨夜の念入りな前戯によって感じるポイントを開花させられた。  そこを皇が貫いている。  貫くばかりか、時折小さく隆起した乳首を舐め上げて、柔らかな愛撫のように耳たぶにキスを落とし、愛おしげに抱き締めてもきた。  颯真は薄れゆく意識の中、天井を見上げて思った。  あぁ、これで皇との友情は終わってしまう。  無情なポイ捨てを得意とする皇は、クズらしく颯真でさえ捨てようとするのだ。  皇が腰を打ち付けてくる度に、体がベッドに沈む。 激しさを増してゆく挿抜は、如実に皇の興奮を伝えてきていて嬉しいやら悲しいやら複雑でしかない。  ぐちゅぐちゅとかき回すようにして腰を動かされると、縛られた手首がギリッと衣類に食い込んで痛みを発した。 「んあぁぁっ、皇っ……もう……っ……やめ、っ」 「どこからウソでどこからホントなんだよ。 訳分かんねぇよ。 颯真、俺にはこういう事は二度とやめてくれって言ったよな? なのに俺以外となら出来るんだ?」 「は、っ? 何……っ?」 「昨日の男は誰? 童貞捨てるんじゃなかったのか?」 「な、なんで知って……っ!?」 「……俺に電話してきてセックスしてるとこずっと聞かせてたろ。 俺すげぇ惨めだったんだけど」 「えぇぇ……ッッ!?」 「なんで電話してきたんだよ。 マジで聞きたくなかった」 「し、知らない……! そんなの、知らない!」  皇の怒りの原因は、颯真が吐いた最大のウソだった。  しかし、そんなものを聞かせるために電話する馬鹿は居ない。 童貞を捨てると連絡した後に男と会っていたなど、出来れば知られたくなかったのだ。  瞳を瞑り、孔を愛撫する指先が皇であったらと妄想が捗ったおかげで夢中になってしまった単純な颯真は、手元に置いていたスマホにうっかり触れてしまったのかもしれない。  ホテルに入る直前に通話していたのが皇だった。  ……あり得ない話ではない。 「一回くらいは女との経験させとかなきゃなーって野放しにしてた俺が悪いのか」 「……んんッ……、んっ……」 「颯真は俺をそういう風に見てるって信じてたのに。 ……ウソつき。 あームカつく。お前なんか嫌いって言いてぇよ」 「あぁっ……あ、っ……ん、はぁっ……」 「颯真、俺についたウソ全部白状しろ」 「え、えっ……やだ……っ、嫌だ!」 「嫌だじゃねぇよ。 もうこうなっちまったんだから遅いって」 「……嫌……っ、嫌っ……ちょっ、……皇っ……皇っ……!」  颯真が「嫌」と言葉にし、僅かに両脚を閉じる素振りを見せると皇は瞳を細めて怒った。  キレていると言っていい。  熱を持った皇の猛々しい性器が、怒りに任せて颯真の内を擦り続けている。 それが何を意味するのか、鈍い颯真もいい加減気付いてしまった。  皇は完全に、颯真の体で気持ち良くなっている。  特別な感情を持っているからこそ、ウソを吐いた颯真にこれ以上ないほど怒り、かつその想いすべてをぶつけようとしている。  とめどなく速く打ち付けられていた腰が、途端にゆるゆると抜き差しされる。 腹内部に迸った温かいものを感じた颯真は、自身の射精には至れなかったがほんの少し幸福に見舞われた。  皇が颯真に欲情した。 飛び上がって喜びたい反面、かつての彼女達の末路を思うとやはり軽率に浮かれるのは難しい。 「…………友達でいたい……」 「は?」 「友達でいたかったんだよ……それなのに、なんでこんな事……っ」 「……泣くなよ」 「皇のせいだろ! 俺は友達で良かったんだ! 友達で……っ」 「なんでそんな友達に拘るんだよ。 俺には二度と触るなって言ったくせに、なんで他の男にヤらせてんの? 俺はずっと颯馬を待ってたんだぞ」 「……それが一番のウソじゃん! 俺のウソなんて可愛いもんだ! 皇の方が大ウソつき!」 「俺はウソはついてねぇ。 俺が女好きってのは周りが言ってる事だろ。 確かにお前がなかなか告ってこねぇからヤキモチ焼かせたくて女作ってたけど、もう五年は誰ともしてねぇよ」 「────え……?」  皇は自身の性器と後孔の後処理を慣れた手付きで終えると、呆然となった颯真の手首を解放した。 「俺、お前にこの家の合鍵渡したよな? 先月なんて、あんまりお前が俺を避けるからこっちで暮らせとも言ったよな? 何してんのって怒ったよな?」 「…………うん」 「バカ高に進んだのも、朝が弱いお前を毎日迎えに行ったのも、クラス離れねぇようにわざと試験で点取らなかったのも、何だと思ってんだ?」 「………………」 「気付けよ鈍感」 「──────!!」  知らなかった。  いつも飄々としていて、そうする事が皇にとっての日常なのだろう、友情の在り方なのだろうと勝手に思い込んでいた。  颯真の知らぬ間に長年に渡ってそういう意味で甘やかされていたとは、つい頬が緩みそうになる。  私服の前をはだけさせた皇がベッドに腰掛けてきて、全裸の颯真はその立派な体躯を直視出来ないまま上体を起こす。 「……皇に捨てられると思ったんだ。 次々彼女が変わるから、俺の気持ち知られたら今まで楽しかった何もかもが終わってポイ捨てされる……って」 「俺どんだけ信用無えの」 「……ポイ捨て……しない?」 「しない」 「友達じゃダメ?」 「ダメ」 「…………じゃあ、妥協案」 「何だよ」  彼のその見た目と過去から、ポイ捨ての恐怖が拭えない颯真は地に足を付けていた。  本当は、皇が独り暮らしするには広すぎる1LDKの部屋を走り回って喜び浮かれたかったけれど、自身の吐いたウソの後ろめたさもあってすぐには親密にはなれない。  生意気に口を尖らせ、腹が立つほど整ったその顔に自身の顔を寄せていく。 「今は友達以上、恋人未満って事で」 「……昇格は?」 「それは皇の頑張り次第」 「なっ、お前他の男とヤッといてよく言う……」 「俺ももう誰ともしない。 だから皇も女遊びやめろ」 「颯真がここに住むんならヤキモチ焼かせる必要ないんだけどなぁ」 「明日には引っ越してくる。 覚悟しとけ」 「言うじゃん。 あんま生意気言ってると昨日の音声流しながら追及セックスするぞ」 「はぁっ!? と、録ってたのかよ!」 「強請りに使えると思って」 「〜〜っ皇ッッ!」  ゲラゲラ笑う皇から抱き締められた颯真は、何とも言えない幸せな気持ちを抱えて全身を真っ赤に染める。  一つだけまだウソが暴かれていない事に、切り札を持つ交戦相手のような心境で皇の背中を恐る恐る抱いた。  童貞を捨てるとウソを吐いたが、颯真の処女を奪った皇とは厳密には恋人同士ではない。  現在のところ、まだ付き合っているとは言えないのである。 終

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