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第4話
次の日、朝から電話が鳴り止むことはなかった。社長、社員全員がなにからなにまでフル回転だ。まずは社屋周りの雪かきからはじまり、視界を失って田圃に落ちてしまった車の救出、事故車の引き取り、その他もろもろの上に、今になってのタイヤ交換も目白押し。哲也が最後の外回りを終えて店に帰ってきたのは夜九時前だった。
トラックを駐車場に停めていた時、バックミラーに灯りが映った。
「あれ、家に電気ついてる」
不思議に思いながらも、店に入ると太一が一人残って閉店作業をしていた。
「哲也、ご苦労さん。お客さん来てるぞ。話があるらしいんでおまえんちに通しといた」
「客って……瀬堂さん?」
「ああ、昨日お前助けに行ったんだってなぁ。えらく礼をいわれたぞ。いやいや、第一印象なんてわからないもんだぞ、好青年じゃないか。支払いも一括だよ」
高級セダン用の冬タイヤ四本に工賃やらなんやら、結構かかっているはずだ。太一はほくほく顔だった。
司は哲也の家の台所に上がり込んで、勝手に湯を沸かし茶を入れていた。
「勝手にやってるよ」
確かにそうは言ったが悪びれもしない。
「話ってなんですか」
「僕もゲイなんだ」
勝手に入れたお茶を、旨そうに飲みながら、さらに続けていった。
「支店の人間にもみんな話した」
上がり框に座って長靴を脱いでいた哲也は驚いて振り返り、司の足下に膝で這っていった。
「お、俺のせい?」
「うん、そうだな……黙ってて、後々ばれるよりいいというのには共感した」
「はぁ……」
「それと、左遷理由も話しておいた。なかなかスキャンダラスな理由だから多分、噂になるだろう。君に後から知られて誤解されるのも嫌だから言っておく。僕の左遷理由は『ゲイセクハラの疑いをかけられた』ことだ。でも、やってない」
「ふはー」
何だか話についていけない。それがどれほどのことなのかさえ見当がつかなかった。
「やってないんですよね」
「ああ。絶対に」
「じゃあ、東京に帰れるんじゃないですか」
司はゆっくりと湯呑をテーブルに置くと、少し目を伏せた。ゲイであること、それを周囲に伝えたこと、セクハラ疑惑をかけられたことをさらりと告白する司が、言葉をつまらせている。哲也は長靴を脱いで椅子に座り司の言葉を待った。
「父は僕がここに飛ばされるのを止めなかった」
司はまっすぐに哲也を見て、はっきりと言った。
「お父さん?なんで?って誰?」
ふん、と司は鼻をならして苦笑いした。
「なんだ、てっきりもう噂になってると思ってたよ。……僕の父親はSD損保の社長、瀬堂次雄だ」
「瀬堂?SD……ああーそういえば、SD損保って昔は……」
「瀬堂損害保険、だろ?」
「うん、昔もらったタオルはそんな名前だった……けど。えええー?社長の?息子?セクハラしてないんでしょ?助けてくれないの?」
父親が息子の無実を信じないなんてあるだろうか。哲也の頭は混乱した。
「父にとって、僕のセクハラ疑惑よりも、ゲイであることがショックだったんだろうね。……君みたいに言っておけばよかったんだ。二十年くらい前に!」
言葉を失う哲也を前に、司は饒舌に続けた。
「いや、いいんだ。中途半端にわかったような気分で僕に肩入れされても周囲は『父親に泣きついてセクハラをもみ消してもらった』ととらえるだろう。それなら今の方がましだ。SDは創業者一族の力が強い企業だが、ご多分に漏れず反社長派がいる。父は僕の件については判断力を失っている。父が口を挟まなければ後継者問題について社長派と反社長派は拮抗した状態になる。僕をクビにせず、左遷させることでなんとか派閥のバランスが保たれてるってわけさ。無実の証明は自力で為さなければならないんだ」
司は急須からお茶を注いで一息ついた。
「無実だっていう証拠は……あるんですか?」
「証拠は、ない。実は相手とは本当に……つきあってたんだ。社内では年上の部下として接してたけど、プライベートで会うだろう?それが『休日に呼び出されて性的な嫌がらせを受けた』ということになった。休日に会ってたことも確かだし、性的なこともしたから、まるっきり嘘でもない。……証言だけでは、難しいだろうね……ああ、喋ると腹が減るな!また勝手に食べていいかな。コンビニに行っても何も売ってなかったんだ」
まだ雪のせいで交通網は麻痺している。明日から天気は回復するから、雪もすぐに溶けてなくなる。本当の雪国だったらこうはいかないだろう。その分みんな油断しがちなのがここの落とし穴なのだが。
「しょうがないなあ……なんか作るよ」
とは言っても冷蔵庫の心許ないものだった。うどんがあったので土鍋に残り物の野菜や肉をぶちこんで鍋にした。
「ところで、君、名前なんだっけ」
鍋をつつきながら、どうでもいいことをふと思い出したように司が聞いた。
「……姫野哲也。社長の弟」
「ああ、姫野さん。なるほど、兄弟なのか。親子にしちゃあ歳が近すぎるとは思った」
「兄貴とは八つ違いますからね。ちょっと離れてるけど、親子とは……」
「歳いくつ?」
相手が随分年下だとわかっているから、あまり言いたくはないがこんなことで嘘をついてもばからしい。
「……三十五」
司は切れ長な目をくりっと剥いた。
「あれ、同年輩かと思ってた。七つも上とは。これは失礼」
失礼といいつつ、謝っている感じがまるでしない。
「いいよもう……。この歳になったら若そうだって言われても微妙だもん。子どもっぽいって言われるのと大して変わらないって最近気づいたよ。どうせ実家で一人暮らしで兄ちゃん社長だったらストレス無いとか思ってんだろ」
くくっと司は目を細めて笑った。
「大丈夫だよ。昨日は十分、大人だった」
すっきりした目鼻と薄い唇から少し酷薄そうな印象がある司の面立ちが、笑うととたんに儚げに見えた。そよ風にふかれて花が散っていくような感じがする。
「彼氏いるの?」
司の笑顔に目を奪われていた哲也は、その質問にどぎまぎした。
「い、いないけど……」
「それじゃあ、遠慮しなくていいかな。僕をもう一晩泊めてくれ」
「ええー。タクシーで帰れよー」
「帰ったらまた飲んじゃうよ。僕をアル中にしたくなかったら泊めてくれ!」
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