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苦手なこと
その日、勇大はたまの休日にも関わらず気が休まらなかった。前日、珍しくlibertàの業務連絡に伝達漏れがあったのだ。深い溜息を吐いて、勇大は何かを決心したように部屋を出た。すると、ちょうど隣人の花結が帰宅した所で目が合う。
「あ……こんにちは…梶本氏、今日は…お休みでしたか」
「ああ…あんたか、休みだが…これから出かけようと思ってな」
「そのようですね…」
続かない会話。花結は早々に会釈して部屋に入ろうとした。しかしドンという鈍い音と共に部屋のドアを大きな手に抑えられて阻まれる。青ざめて振り向く花結。
「なぁ…あんた、この後は時間あるか」
「はひっ……な、な、何ですか」
勇大は顔こそ強面だが花結の中では無害な人物と認識されている。それでも唐突に壁ドンならぬドアドンをされて、険しい表情で迫られれば本能的に身体が恐怖で強張って身を守る様に肩を縮こませた。
「若いもんの知恵を借りたくてな…少しばかり、付き合ってくれねぇか」
「っひぅ?」
libertàの従業員用駐車場に泊めてある勇大の車は大きな体格でも乗りやすいシルバーのSUV車。走破性に強い車アウトドア向けのデザインの為助手席に乗るのも子供や小柄の女性では一苦労しそうな車高の高さだ。
「大丈夫か」
「あ…はい、問題ないです」
花結は猫背で判りにくいが身長は高い方だ。グリップに手を掛けて難なく助手席に乗り込む。やはり玲司や律紀の車に比べると視覚的にも高い。
「急に連れ出してすまんな…」
「…そ、それであの…もう絞ってはいるんですか?」
「絞る?何をだ…」
「携帯ショップに、行くんですよね…スマホを見に」
「ああ」
「どの機種がいいとか、絞ってはいないのですか…」
「む?その薄っぺらい電話は、そんなに種類があるのか」
「…色々…み、見てから決めますか」
「そうだな、仕入れはこの目で見なきゃ信用ならん」
「仕入れ…」
勇大の外出先は携帯ショップだった。未だに折り畳み式の携帯を使っている勇大。どうやらスマホに替える決意をしたようだ。
「そういや…あんたに限らず、それを持ってるもんは見かける度に長いこと画面を見てるが…何をそんなに見ている必要があるんだ」
「え…それは人によると思います、誰かかからの連絡だったり…ゲームだったり…SNSだったり」
「えすえぬえす…よく聞く言葉だ、詳しくは知らんが」
「ソーシャル・ネットワーキング・サービスです…ネットを通じて個人間で発信をし合える便利なサービスですよ…広告を出す事で集客を見込めるのでビジネスにも使えます…そう言えばリベルタは、公式サイトがあるくらいですね…SNSを使って情報発信しないのですか?」
「うちは常連客の口コミで客足は順調だ…必要ねぇ」
「は、はぁ…なるほど…それに加えてお客様が勝手にSNSで広めてくれるのも、口コミになってるんですね…自分も、時々あげてますよ」
「ほう…そういうもんか…玲司の連れて来た女のように、写真だけ撮って食わねぇ客は迷惑だがな…まあ、あの時は玲司が代わりに平らげたから強くは言わなかったが、俺はああいうのは、どうにも苦手だ」
「…お金を払えばいいと考える人も一定数、居るのですよ…恵まれた時代の生んだ愚の骨頂です」
「食事は、命だ…生きる為に他の命を頂く行為…それを粗末にしちゃいけねえ」
「あ、はい…同意します…自分は、いただきすぎるくらいですが…」
「ああ、あんたはいいな…見ていて気持ちが良い食べっぷりだ…その割に細っこいがな」
フッと笑う勇大に花結は自分の薄い腹を押さえた。
「そうですね…よく言われます」
「俺は施設出てからオーナー夫妻の弟子になるまで、賄い付きの居酒屋や飯処なんかを転々としていた…料理が好きだった訳じゃねぇ、ただ賄いにありつけるからだ…若い内に食って行く苦労を知れたのは今となっては良い経験だったと言える…当時は血気盛んで、馬鹿もやったがな」
「血気盛んな梶本氏……想像しただけで恐ろしいです」
「あの頃はガキだった…それを正して、根気良く育ててくださったのがオーナー夫妻だ」
「梶本氏は、いつか自分の店を持つのですか?」
「む…いや、それは考えたこともねぇな…オーナー夫妻にお子さんが産まれる、長年待たれてやっと授かった跡継ぎだ…無事に代目を継がれる時を見届けたいとは思っているが、その後の事は追々考えても遅くねぇだろう」
「…確かに、まだ跡継ぎ氏はお腹の中なので…暫く先の話ですね」
「先に生き甲斐がある、良い事だ…それまでオーナー夫妻の下でリベルタを守っていくつもりだ」
「自分は、梶本氏がリベルタを継ぐのかと思っていました…」
「俺は経営には向かねぇよ…ただ料理を作ることしか能がねぇんだ」
「では経営者向きのパートナーを見つけられると良いですね、リベルタのオーナー夫妻のように」
「……俺みたいな一徹に、連れ添える相手が居ればいいがな」
「少なくとも胃袋は掴めそうですね」
「……うーむ」
難題に眉を顰めて唸る勇大。
携帯ショップに着くと、受付票と要件の記入を済ませてから暫しの待ち時間があった。勇大は店内に展示されている最新機種のモデルを一通り見るなり溜息を吐く。
「梶本氏…どうしましたか?」
「こんなにあるのか…どれも同じに見える」
「あの…店内に出ている見本は大体が最新機種です…梶本氏の場合、用途が限られてますし…必ずしも高額な最新機種でなくても良いと思うのですが」
「ああ、俺は…通話と…その、若いもんがやってる緑のやつが出来ればいい」
「…緑色のアイコンですか?」
「あいこん?……グループが何とか言ってたが」
「ああ…はい、コレですよね?そのアプリなら対応していない機種の方が珍しいと思うので、どれを選んでも大丈夫です」
花結は自身のスマホ画面を見せてメッセージアプリのアイコンを指差した。
「何だ、このマークは」
「これがアイコンです…基本的によく使うものをホームに置いてます」
「おい、ボタンは無いのか…どうやって相手の電話番号を入れる」
「あー…操作は機種によるので…自分のは、キーパッドという所を押してみて下さい」
「これか」
指先が触れると数字のキーパッド画面が出てきた。自分の指を不思議そうに見る勇大に花結は思わず吹き出す。
「梶本氏、見本を触ってみましょう、サイズ感とかは触ってみた方が分かりやすいですし」
「あ…ああ」
「因みに自分は最新機種を発売日に買う人間なので…コレを使ってます」
自分の使っているスマホの見本に案内する花結。
「色まで選ぶのか…」
勇大は慣れない端末の見本を手に取っただけで疲れたように呟いた。
「梶本氏、そもそも…なぜ急にスマホに興味を…?」
「些細な事だ…リベルタでそのグループとやらに入っていないのが俺だけでな…と言うよりもそれが俺の携帯では出来ないらしいんだが」
「はぁ…でも、今までもそれで支障がなかったのでは」
「今までは蓮牙が俺にだけ個別に連絡を回していたそうなんだが…昨日、それが漏れてな」
「なるほど…梶本氏に業務連絡が届かないのは、確かにリベルタにとっては致命的ですね」
「そうだ…蓮牙のミスでもあるが、俺が手間を増やしてるのも事実だ…それで来てみたんだが」
手に乗せた薄い端末。少し触れると画面がスライドした。それだけで驚いて元に戻そうと焦る勇大。
「横にしても画面は戻らないです、先程とは逆方向にスライドさせて下さい」
「スライス?どうやればいい」
「スライドです…指で撫でて下さい…こうです」
見かねた花結が勇大の手を取り、指に手を添えて画面をスライドさせる。手を取り合うと花結の肌の白さと線の細さがよく目立つ。
「あんた…指、長いな」
「あ…!も、申し訳ないです……大切な、手に触れてしまいました」
「何を謝ってる…手を触られたくらい、どうもしない」
「商売道具…ですし」
「あんたの手も同じだろう…俺も謝るべきか?」
ぶんぶんと首を横に振る花結。
「梶本氏、これカタログです…自分、色々取ってくるのでそこのソファに座って軽く開いててみて下さい」
「カタログ…だと」
展示してある最新機種だけでも多いと思うのに、カタログまで何冊か渡されて勇大はカウンター席に呼ばれる前にギブアップ寸前だ。
苦節1時間。カウンターに呼ばれてから、親切な店員と根気よく相談して決まった勇大の新しい連絡手段はスマホでは無かった。
帰りの車の中、後部座席に置かれた携帯ショップの袋。
「お疲れ様でした」
「ああ、疲れた…だが、あんたに付いてきて貰ったのは正解だったな、助かった」
「いえ…梶本氏の場合は無理にスマホにするよりも少し手間にはなりますが、愛用しているガラケーとタブレットの併用で事足りると思いましたので…提案しただけです」
「ああ、あれは良い…画面がデカくて見やすい」
「はい、タブレットで慣れておけば今後スマホに変えた時も移行しやすいと思います…」
「それはまた、先の話になりそうだな」
「ふふふ…そうかもしれません」
「その時は、またあんたを連れて行っても良いか」
「あ…はい、自分で良ければお供します」
「随分と長いこと付き合わせたな…礼をさせてくれ」
「いえ…自分も色々見て、楽しんでいたので…」
「そういう訳にはいかん、そうだ…腹を空かせてる頃だろ、好きな店があれば言うといい」
「う、でも…その…梶本氏はシェフですから…自分が行くような店は合わないかと」
「む…?俺はシェフだからこそ、リベルタ以外の店にも足を運ぶようにしている…勉強の為にな」
「そ、そうですか?」
花結はそれなら、と遠慮がちに店の名前と場所を勇大に伝えた。道なりにあったその店は、老夫婦が経営している食堂のような飯屋だった。昭和レトロな雰囲気がどこか懐かしい。案内と注文を取りに来るのは決まって割烹着姿が似合う奥さんの方だ。
「あら、お客さんいらっしゃい!奥の座席どうぞ、いつものフライ定食でいい?」
「はい…」
「今日はお父様とご一緒なのね」
「「?!」」
確かに一回り近く離れた年。しかし親子という程の歳の差ではない。固まる勇大に冷や汗を流す花結。
「お父様も同じのでよろしい?」
「あ……ああ」
「はい、ちょっと待っててね」
注文を取り終えて奥の厨房へと消えていく奥さん。
「あ、あの…何と言って良いか」
「構わん…俺はよく実年齢より上に見られる」
「……あ!」
「どうした」
「梶本氏…自分と同じもの頼んだのですか」
「ああ、それがどうした」
「あわわ…自分のいつものは、特盛りサイズなんです」
「何だ、そんな事か…特盛という事は大盛りより少し多いくらいだろう、空腹の今なら入るさ」
申し訳なさそうに眉を下げている花結。すると先に汁物と漬物が運ばれて来た。
「良いわねぇ、お父様と仲良しで…今日は一緒にお買い物?」
「あ、あの…こちらは」
「ええ、まぁ…一緒にと言うか、俺の買い物に無理やり付き合ってもらった形で」
「うちの息子にも見習って欲しいわ…うふふ、お客さんの寡黙な感じはお父様似だったのね、最初なんてメニューを指さしたり頷くだけで食べる時しか口を開かなかったものね」
「じ、自分は口下手なだけで…あの」
「…ああ、俺も喋りは得意じゃない」
「おほほ!良く似てるわねぇ」
奥さんは笑って再び厨房へと戻って行った。
「…あぁ…違うと言えない雰囲気になってしまった」
「あんた、本当の親とはどうなんだ?出かけているイメージが無いが、たまには実家に帰ったりしているのか」
「……それは無いです」
「ん…?」
「動物には自立できるようになると、親元を離れそれぞれ別の個体として生きていく種がいます、うちはそれです」
「…つまり仲は拗れてないのか」
「はい、ただもう親の役目は終わったと…稀に生存確認の連絡はありますが…他に連絡は取っていません、実家にも帰っていないです」
「そうか…あんたは利口だ、親の世話になる必要はないだろう…だが、親は自分が思っているより早く老いていく…後悔だけはするんじゃねぇ」
「孝行のしたい時分に親はなし…と言いますね」
「ふっ…分かっているなら、今はそれでもいい」
「……梶本氏は、覚えていますか…親の顔」
ぽつりと呟くように聞かれた質問に勇大は遠くを見るように目を細めた。
「ぼんやりとな」
「……そう、ですか…自分も出張の多かった父親の顔は、ぼんやりとしています」
「そうか…忙しい親父さんだったんだな」
「母も忙しい人です…なので、自ずと1人遊びが得意になりました」
「…今はどうだ」
「え!……あ、ヴァルトですか?はい…自分でも驚く程…退屈しません」
「それは楽しめてるって意味か」
「は…はぁ、そうなのでしょうか…ヴァルトは不思議な場所です、住人は皆、一人暮らしの筈なのに…いつも誰かと話したり、こうして食事をしたり…自分を輪の中に取り込んでくれると言いますか…語彙力が無くて、うまく説明出来ないですが…ぇっと」
「ああ、いい…それで伝わった」
HeimWaldを輪と例えた花結。そして自分もその中に居ると感じている様子に勇大は安心して頷いた。
勇大は日頃から人付き合いが苦手で孤立しそうな隣人を気にかけていたのだ。
それから購入したタブレットの話しなどをして待っていると厨房の方から奥さんの声がした。
「お客さーん、手伝ってくれる?」
花結は慣れた様子で其方へ向かう。何を手伝うのか分からないまま、とりあえず一緒について行く勇大。
「梶本氏、運んでください…特盛は重いので、自分で運びます」
「!!」
花結に渡されたお盆の上にはどんぶり3杯分の白米を覆うようにエビフライが盛られたドームとミルフィーユのように重ねられたアジフライ。皿から溢れんばかりの千切りキャベツが乗っていた。
「梶本氏…あの、もし多いようなら自分が引き受けますし…頼めば持ち帰り用のパックを貰えます」
「……なるほど、これは倒しがいがありそうだ」
予想を何倍も超えて来たフライ定食。フードファイターのように闘志を燃やし始めた勇大に花結は少し驚いた後、微かに微笑む。
休憩を挟みながら、勇大は無事に特盛を完食した。
「あの、ご馳走さまでした…大丈夫ですか」
駐車場に出ると花結は勇大を見上げて気遣う。店の中では遠慮して聞けなかったのだろう。
「ああ、美味かったが…分量は店による、特盛は安易に頼まない事だな…勉強になった」
「リベルタにも特盛メニューを作りますか?」
「…む、いや……すまんな」
「そうですか…」
「今日はもう何も食べる必要が無さそうだ…」
「はい……っ!」
「どうした」
突然、車の後ろにしゃがみ込んで身を隠す花結。店の前の道路を酔っ払いが口悪く喚きながら通過して行った。
「……」
「あれが怖かったのか…もう行ったぞ…さあ、危ないから立ってくれ」
「すみません…自分は、ああいう人が…生理的に苦手で」
「万が一、何かして来たら俺が追い返してやる…なに、あの程度の酔っ払いには負けん」
花結が立ち上がって車の助手席に乗り込むまで近くで見守ってから自身も運転席に乗り込む勇大。
「…分かってるんです、大半の人は無害だと…でも、自分はどうしても」
「初めて俺と顔を合わせた時も震えてたな…挨拶したら悲鳴あげて逃げ帰って行った」
思い出して小さく笑う勇大に花結は恥ずかしそうに頰を赤らめた。
「そ、その節は…申し訳なかったです」
「だが今は、あんたの笑顔を見れる事が増えてきた…最初からじゃ無くても構わん、あんたのペースでその笑顔を見せる相手を選べばいい」
「っ……自分は、そんなに梶本氏の前で笑っていますか?」
両頬を押さえて困惑している様子の花結。
「ああ、今日だけでも何回か…あんたは笑うと雰囲気が変わるな」
「……」
触れた頰が熱いのは食後に飲んだお茶のせいにして、花結は運転する勇大の横顔を盗み見る。
翌日。蓮牙に頼んでメッセージアプリだけは使えるようになった勇大だったが。
帰宅後、試しに触っている内に起動したタブレットのAIが『話しかけてください』と喋った事に驚愕して「コイツは生きているぞ。何を食わせればいい」と最初のメッセージを送ったのだった。
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