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春の宵祭り

「お祭りに行きましょう!」 という律紀の一声で3階の住人たちは休日の午後から電車で2駅先の神社まで引っ張り出された。お祭りといっても、今日は本番前の宵祭り。本格的に神輿が出るのは明日で、今日は一部の屋台が開き、夕方から少し和太鼓の演奏なんかが行われる小祭だ。来ているのは地元の人が多く、明日神輿を担ぐ男衆たちが和やかに話していたりする。 「なぜ宵祭り…」 「だって明日は勇大君がお仕事だし、花結ちゃんは人混みが苦手でしょ?」 「確かに本祭よりは人が少ない…けど…宵祭りは宵祭りで、夜桜のライトアップに寄ってくる映え狙いの陽キャ達が苦手です」 「そんなハエがいるのか?」 「ふっ、く…梶本氏…笑わせないでください」 映えをハエと勘違いした勇大は祭り提灯の引かれた堤防の桜並木を見上げる。駅から神社までの道なりに見ることが出来る、その並木はほぼ満開と言っていい見頃を迎えていた。 「あらぁ!見て、2人とも!思ったよりも屋台開いてるわよ」 嬉しそうに手を合わせて境内に開かれた屋台を見回す律紀。 「うう…メインストリートは人が多い」 「祭囃子が聞こえるわね、明日のお神輿の練習かしら」 律紀が花結の腕を強引に組み引いて、観に行きましょうとはしゃぐ。2人の後ろをゆっくり歩いて行く勇大は子連れの父親の気分だった。 「祭り…か」 若い頃、リベルタのオーナー夫妻が勇大を連れ出したのが桜祭りだった。店の余り物で作ったオーナー手製の弁当を持って、川沿いの公園で花見をした。芝生広場には、ちょうど今のように屋台が並び、賑わっていたのを覚えている。 『勇大、後で輪投げをしよう!勝負するぞ』 『俺はそんなガキじゃねぇ…です』 まだ血気が盛んで、オーナーにも敬語を使ったり使わなかったりの時期だった。わざわざ店の開店時間をずらしてまで、来る意味が分からない。勇大は輪投げをするくらいなら厨房で野菜の飾り切りの練習ひとつでもしたいと顔を顰めた。 『オーナーったらお祭りに浮かれてるのよ…ずっと楽しみにしていたから、付き合ってあげて』 マネージャーであるオーナーの妻は柔らかく微笑む。 『はぁ…』 『あら、懐かしい…綿菓子!勇ちゃん食べる?』 『いや、俺は…ああいう菓子はあまり』 『甘いもの、嫌いな訳じゃないでしょう?』 『好き好んで買うほどでもない…です』 そうこう言っているうちに買い与えられる綿菓子。子供扱いするな、という怒りと幼い頃は求めていた愛情に苦笑いを浮かべた春。 ひらり、と目の前を桜の花びらが舞って行った。 「きゃー!」 思い出を懐かしむ勇大を現実に引き戻した律紀の悲鳴。見ると、木から落ちてきた小さな虫に驚いてバタバタと足踏みしていた。 「律紀、お前はそのなりでタッパがあるんだ…危ねえから飛び回るな」 「だってぇ!勇大君見てよぉ!その私よりタッパあるんだから!髪に付いてない?」 アップに結われた律紀の髪を崩さないように軽めに触れて見てやる勇大。 「大丈夫だ、残念ながらな」 「ちょっとぉ!どういう意味!」 にや、と勇大の口元が笑う。珍しい表情に律紀は思わず見入った。 「花結は?」 「え!さっきまで一緒に居たのに!」 騒動中に見失った花結の姿を人混みの中に探す2人。すると、屋台の裏側を行ったり来たりと挙動不審になっている花結を見つける。 「何をしてるんだ、あれは」 「あれは気になるものを見つけたけど、近寄るには人が多すぎて困っている花結ちゃんね」 「…さっさと呼んで来い」 「何が気になってるのかしら?聞いてみましょ」 るんるん、と足取り軽く迎えに行く律紀は母親のようで。そして、何となくマネージャーに似ていた。 「輪投げだ」 「え?」 勇大が顎で屋台を指す。花結が気にしている屋台、それは熱視線過ぎて聞かずとも分かった。 「あらあら、何か欲しい物でもあるのかしら…花結ちゃーん!」 律紀に呼ばれるとビクッと縮こまって固まる花結。あっさり腕を取られて連れ戻された花結は、何か欲しい物があるのかという律紀の質問にうー、えー、んー、とたくさん唸りながら答えた。やたらと長い説明だったが要約すると好きなゲームに出てくる兎のキャラクターのキーホルダーが欲しい、という事だった。 (何を言ってるのか全く分からなかったが、あの兎が欲しいんだな) (半分くらいはゲームの話だったけど、あの兎ちゃんが欲しいのね) 「…です」 律紀と勇大を交互に見て、説明を終える花結。 「任せて!私が取ってきてあげる!大道芸人リッキーは輪投げの扱いもお手のものよ」 そう言って意気揚々と向かって行った律紀は数分後に残念賞の駄菓子を手のひらいっぱいに持ち帰ってきた。 「…いや、お約束すぎてワロタです」 「あーん、ジャグリングで輪投げするのと全然感覚が違うんだもの!…あと輪っかが小さいの」 後半は小声で報告する律紀。 「い、ぃ、いいです…ありがとうございます…自分みたいに敵前逃亡するよりマシですし」 「勇大君も花結ちゃんの為に挑戦してみたら?」 「俺が近寄ったら子供が怖がるだろ」 「そうねぇ…じゃあ、はい!」 律紀が突然、勇大の顔に何かを押し付ける。それは子供に人気のある猫型ロボットキャラクターのお面だった。 「ええ?リッキー氏、いつの間に…」 「今よ〜」 言いながら代金を払う律紀。 「おい…勝手な事をするな」 「大丈夫!似合ってるわよぉ」 「こ、これはこれで等身が怖すぎる件ですが…」 三頭身の猫型ロボットキャラクターが190cm超えの大男になってしまった。 「さ!行ってらっしゃい!」 文句はさらりと聞き流された。こうなると律紀のペースを崩すのは難しい。勇大は諦めて少し腰の引けた店主から小さな輪っかを受け取る。 「あの、お面しながら輪投げって…余計に難しいのでは?」 「…そう言えばそうね」 こくりと頷く律紀。 勇大は周りの子供達と、ついでに店主にも気を遣ってお面を外さず輪を投げた。 そして投げた輪は狙った兎ではなく、まったく別の場所にあったビーズの指輪に掛かったのだった。 「駄菓子よりも扱いに困るのでは」 「やだぁ!可愛い!勇大君、私にちょうだい」 「…オーナーのようにはいかんな」 律紀に指輪を渡しながら呟く。あの春、結局オーナーとの輪投げ勝負は惨敗だったのだ。残念賞の駄菓子だけだった勇大の隣でオーナーはミニカーを持っていて。 『勇大は車が好きだろう!』 と、それをそのままくれたのだ。車が好きと言っても、それは乗用車の事で。しかも特別に好きという程でもない。勿論おもちゃの車には興味も無かった。ただ誰かに何の記念日でもないのにプレゼントをもらうなんて初めてで。その時もらったミニカーは今も大切にケースに入れて飾っている。 「あら、私には嬉しいわよ…だって誰かから指輪をもらったのなんて初めてだもの」 「多分リッキー氏の指だと小指しか入りませんけど…」 「ちょっと!それ私の手がゴツいってこと?!」 「だ、大道芸の練習の成果では?」 「んー、褒められてるのかしら…」 「念のため言っておくが、誤解を招くような真似はするなよ」 「言わないわよぉ!勇大君から指輪をもらったなんて!」 「言いそうでしかない…」 「花結」 「は、はひ…っ!」 「どうしても嫌なら無理にやれとは言わんが…自分で狙ってみたらどうだ」 「人の目が気になるなら、私たちが両隣に付いててあげるわよ!ほらぁ、2人ともこのタッパよ!壁になるわ」 「……じゃあ……1回だけ」 1、と指を立てて頷く花結。この後、高い双璧に守られて何かのスイッチの入った花結が自分の中で「取れるまで帰れません」という企画を開始した為、10回以上輪投げを見守る事になった。 帰り道。無事に取れた兎のキーホルダーを嬉しそうに見つめる花結。 「楽しかったわね!夜桜も綺麗だったし」 「自分はこれが取れただけでも満足です」 「ああ…良かったな」 「勇大君は?楽しかった?」 「それなりにな、疲れもしたが」 「もう!忙しい勇大君の息抜きになればいいなって思って誘ったのに」 「だから、楽しめたと言ってるだろう」 「それなり、それなりにねー」 夜桜のライトアップを眺めながら駅を目指している3人。その時、夜桜のライトアップを前に映える写真を撮っている若者たちの騒がしい声が聞こえてきた。 「ちょー、この枝ジャマ!」 ひとりの酔っ払いが写真を撮るのに邪魔だと桜の枝を折ろうと手を掛ける。それを見つけた律紀が声をかけた。 「ダメよ!桜の枝を折ったりしたら!」 「すみません!ちゃんと止めるので!」 「チッ、うるせぇな」 ほとんどの若者達は素直に謝る姿勢を見せたが、ひとり酔っ払って気が大きくなった若者が手にしていたビール缶を3人に向かって投げつける。他の若者達が止める間もなかった。中身がまだ残っている缶だ。 「!!」 「危ないっ」 律紀が花結を胸元に抱き込んで缶に背中を向ける。パシャ、という水が溢れた音と泡の立つ音がした。 「…おい…酒の飲み方には気をつけろ」 ビールは律紀と花結の前に立つ壁、勇大によって空中で掴み取られていた。かなりのスピードがあったはずだが、その大きな手はビール缶をがっちりと手中に納めている。 「だから、うるせぇっての……ぎぇ?!」 夜桜のライトアップによって薄明かりに照らされた勇大の顔に酔いが覚めた若者が悲鳴を上げた。頭を冷やせ、とまだ僅かに中身が残るビール缶を青ざめた額に押し付けられて震える若者。 「「すみませんでした!」」 他の若者達も勇大に見下ろされて命乞いのような勢いで謝って去って行った。 「…大丈夫か」 「はぁー、びっくりした!ありがとう勇大君!花結ちゃん大丈夫?」 「は、はい…自分は大丈夫…です、あ、ありがとうございます」 「ううん、ごめんなさいね、私が注意したせいで2人を巻き込んじゃって」 「いや、若気ってのは俺にも覚えがある…注意してくれる存在は有り難いもんだ…その時はただ鬱陶しいと思っていたがな」 「あん、じゃあ私あの子達に鬱陶しいと思われたって事?」 「フッ…かもな」 「で、でも梶本氏の強烈なインパクトのおかげで忘れられたと思います」 「俺相手に、言うようになったな…」 「ひ!す、すみません…」 「いや、怒ってる訳じゃない…良い事だ」 「うふふ!さ!気を取り直して帰りましょ!屋台で食べ物を買わなかったから、何か食べていかない?駅前のイタリアンなんて良いわね」 「食べ物は買ってないけど輪投げでもらった駄菓子が大量にあります」 「あら、お菓子を食事代わりにしちゃダメよ」 「あ、はい…では食後に食べます」 「何でそれで太らないのぉ!羨ましい」 「これとか空気ですよ」 小さな綿菓子の袋を律紀に渡している花結。 「そうよねー、綿菓子は軽いから太らないわよね…って花結ちゃん!」 「そうは言ってないです…」 「ねぇ、勇大君は甘いもの好き?」 「俺はあまり…いや、綿菓子は…好きな方かもな」 「ふふ、じゃあ3人で分けっこしましょ!これでカロリーも1/3よぉ!」 春の宵祭。例え明日の本祭りの方が多くの人の記憶に残っても。 夜桜の下で開けた綿菓子の仄かな甘い香りは、楽しかった記憶と共にいつまでも。 END.

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