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第3話 施術
目を開くと、ぼんやりと無機質な白い壁と天井が見えた。その頭上に影を作らないように、設置された手術灯が白々とした淡い光を放っている。
「こ、ここは.......」
「施術室ですよ。ルシアンさま、目が覚められましたか。」
緑色の手術衣を着けたコーエンが、側にいた医師に目配せをした。
「すぐに、旦那さま.....テオドールさまがお見えになります。ルシアンさまが麻酔から覚めるのを心待ちにしておいでになりました」
カツン、カツン......と硬質な床に突き刺さるように、規則正しい靴音が響いた。首を巡らせると、同じように緑色の手術衣をつけた長身の威厳ある姿が目に入った。
「無事に目が覚めたようだね。良かった.....」
大きな掌が、優しくガルシアの髪を撫でた。
「兄さま、いったい何を......」
把握しようの無い事態に戦慄きながら、おそるおそる尋ねるガルシアの唇を、ゆっくり指先で辿りながら、テオドールがいかにも優しげに囁いた。
「魅力的な『女の子』になるための、ほんのささやかな下準備をしただけさ」
「下準備?」
未だ要領を得ないといったふうのガルシアに、促された医師が重々しく口を開いた。
「ルシアンさまは、バイオチップというものをご存知ですか?」
「バイオ......チップ......?」
「そうです。生体と同じ組織の中に必要な情報プログラムを組み込んだものです......殿下の奥方に相応しい淑女になっていただくために、ルシアンさまのお身体に、綿密にプログラムされたチップを埋め込みました。......脳下垂体と骨髄、それと直腸上部、結腸の底部です」
「卵巣と子宮を活性化させるんだよ」
にっこりと微笑むテオドールに、ガルシアは驚愕し、跳ね起きようとした......が、その両手と両足は、施術台に固定され、ほんの僅かに背中をもたげることしか出来なかった。
「そんな......!」
「ご心配はいりませんよ。ルシアンさま」
医師は、自信に満ちた声音で告げた。
「ルシアンさまご自身の性徴に伴って成熟するようにプログラムされていますから、お身体の変化は、ごく緩やかなものです」
「そんな......卵巣だの子宮だなんて...僕の中にあるわけが......」
思わず、テオドールの目を盗んで平素に使っていた男の言葉を使いそうになった、その唇をテオドールの指が押さえた。
「あるのだよ、ルシアン。君は幸福な子だ。君はもともと、女の子の機能と男の子の機能の両方を併せ持って生まれてきた。......神の祝福を受けた尊い子だ。......そうそう、もう『僕』なんて言葉を使ってはいけないよ。正真正銘の女の子になるんだから......」
「そんな......そんな馬鹿な...」
「ルシアンさまは、不幸なことに外性器が男性の部分が発達してしまって、女性の外性器が形成されずにしまったのです。ですから、今回、直腸が女性の外性器の機能を兼ねることが出来るよう、細胞の作りを変えるチップを埋め込んだのです」
「脳下垂体とか......骨髄とかって.....」
真っ青な唇を震わせて、ガルシアはやっとのことで言葉を絞り出した。
「男性ホルモンの分泌するのを抑え、女性ホルモンの分泌を促すためです。ルシアンさまのお身体は男性優位でしたから......」
「そんな......」
「大丈夫ですよ。もともとルシアンさまの体細胞から作り出したチップですから......」
「僕の細胞からって......いつ、そんなこと......」
「眠っている間に......です。ルシアンさまには十日ほど眠っていていただきました。その間にデータの入った組織を採取したルシアンさまの細胞に埋め込んで、戻したのです」
ガルシアは両目をこれ以上無いくらいに見開いた。驚愕と絶望が全身を支配していた。溢れてこみあげてくる怒りと哀しみと恐怖で頭が混乱して、言葉にならなかった。
テオドールは冷ややかに微笑みながら、ガルシアの手足の枷を外した。
「安心しなさい。チップはすでに拒絶反応もなく、君の肉体と同化している。変化は緩やかなものだ。ルシアン、時が経てば自然に受け入れられるようになる」
「テオ......」
「ルシアン、君は我が国のバイオ-テクノロジーの精華だ。君がやがて私の子を無事に出産したら、君の兄弟達にも恩赦を授けよう......きっと兄上達も喜んで祝福してくれるよ」
テオドールの腕に抱きしめられ、優しく髪を撫でられ、慰憮されながらガルシアは拭いようのない違和感におののいていた。
それは、極めて正しい反応だったのだが、閉鎖された施術室の中で、それは誰にも訴えられることなく、ガルシアの裡を掻き乱した。
テオドールは、再びガルシアを抱き上げ、いつもの離れに連れ戻った。
「私の部屋じゃない......」
これまで使っていたのとは違う、大きな天蓋のついたベッドに横たえられ、ルシアンは眉をひせめた。離れの調度品は知らぬ間に全て替えられていた。
ベッドの正面には大きな姿見とドレスの沢山かかったクロゼットが据えられ、見慣れぬチェストが置かれていた。
そして、その傍らに見慣れぬ男女が控えていた。蛇のような滑り気を帯びた冷たい瞳をした無表情な男は、テオドールとガルシアに恭しく礼をした。
「今日から、君の教育係になるガネルクと世話係のワルダだ。」
「マナは? ハシムは何処?」
不安気に辺りを見回すガルシアにテオドールは微笑みながら、言った。
「ふたりは、私を騙していた。だから罰を受けねばならない」
―まさか...―
恐怖が、ガルシアの脳裏をかすめた。
全身から一気に血の気が引いた。
「まさか、殺したりしていないでしょ? お願い、ふたりとも、何も悪い事はしていない。だって、私は男の子だったけど、女の子でもあるんでしょ?」
必死に取りすがるガルシアの顎に手をかけ、テオドールは、不安気に潤む瞳を見つめた。
「仕方ないな......君が良い子でちゃんと私の言い付けを守れるなら、赦しても良いが.....」
「ちゃんと守るから!......言うとおりにするから.......ふたりを赦して!」
半ば泣きじゃくりながら懇願するガルシアにテオドールは勝ち誇ったように昏い声音で告げた。
「どんな言い付けでも、決して背いてはいけないよ、ルシアン」
ガルシアは、涙ながらに、ただ頷くしか出来なかった。
――――――――――
ガルシアは、何も知らなかった。
本当は、母子ともに囚われた時に全て露見していたことも、最初のバイオ-チップは既にその幼子の頃に埋め込まれ、強制的に女性器の生成が行われていたことも......。
第二次性徴を迎えて、そのプログラムを『活性化』させるために、誕生日の夜に第二のチップを埋め込まれ、女性としての性欲を更進させるために遺伝子操作された骨髄を移植されたことも...。
何も知らぬままにに、テオドールの欲望の赴くままに、その全てを作り替えられようとしていた。
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