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2 俺が死んだ時の話

   あのマスクを被って死神をしている時は、感覚が狂うようになってるんだと思う。  マスクの効果なのかは分らないけど、普段なら絶対耐えられないような悲しい事も、何も感じない。ただ、泣き喚いていると言う事実だけが伝わってきて、場合によってはそれが煩いとすら思う。バイトが終わり、先輩の部屋まで戻ってくれば、いつの間にか死人と接した実感は無くなっていく。  だからと言って、起こった出来事を忘れているわけでも無い。いつどこで誰を迎えに行ったのか、相手の人柄や話していた内容はどんなだったのか…誰かの体験を事細かにまとめられた本で読んだような感覚で、記憶に残る。そうやってすり替わってくれるのは、とても有難い事だろう。こうでなけりゃ、とっくに心が壊れてるはずだ。  合鍵を使って入った先輩の自室。家主はまだ帰ってきていないのを確認すると、着ていた黒スーツを脱ぎ捨て風呂場へと向かう。死んだはずの体に掛かるお湯は温かくて気持ちが良い。こっちの世界に居る間は、まるで生者のような生活を送っている。  死んだはずの俺が、何でこんな生活を送っているのか…切っ掛けは、俺自身の死亡事件だった。  ◆  通学途中。いつも通りのいつもの駅のホーム。朝のラッシュ時間なんてひっきりなしに電車はくる。  満員の電車に乗り込む気がおきなくて、次に乗ろうと見送った。そのお陰で、電車が走り出して目の前から居なくなり視線の先は急に開ける。  欠伸をしながら首の骨を鳴らした。昨日寝るのが遅かったせいか、未だに意識がぼんやりしてる。寝る前にやったスマホゲームがレベル上がってスタミナ回復したせいでなかなか寝れなかったんだよな…  そいや、今日小テストやるって数学の先生が言ってた気がする。あー…何もやってないわー、急に学校に行くのが憂鬱になってきた。朝のこの清々しい空気と気持ちい日差しを浴びてるのに、こんな気持ちになるなんて…このままサボってどっか遊びいこっかなぁ。  電車がホームに入ってくるアナウンスをぼんやり聞きながら、体調不良で休んでやろうかなんて思っていた所で、唐突に背中を強く押された。 「え…?」  寝不足で反応しきれなかった体は、押された勢いのままに数歩前へ出て、全身に浮遊感を感じる。電車を見送ったせいで先頭に立ってた俺は、そのまま電車が到着している線路へ放り出されていた。成す術も無く落下すると、線路と敷かれている石が体を打ち付けてきて、全身が焼けるような痛みに襲われた。  息もできない痛みに視界が歪む。それでも飛ばない意識を保ちながら、何が起きたのかホーム上へと視線を戻した。目の焦点の合っていない知らない男がこちらへ手を突き出して立って居て、混雑しているホームなのに不自然にそいつの周りだけ人が避けている。  なんだこいつ…?怒りよりも恐怖を感じた所で、悲鳴と怒声と激しいブレーキ音が同時に聞こえた。今どこに居るのかようやく把握した俺は、確認しようと顔を横へ向ける。電車は目の前にまで迫っていた。  ああ、死ぬんだ、俺。覚えているのはそこまでだった。  何も考えられない。何が起こったのかよく分からない。ぼんやりと足元の状況を眺めている。  止まり切れなかった電車は俺が居た位置から遥か遠く、だけど停車位置よりも大分手前で止まっている。辺りは血が飛び散ってるけど、電車がグロい部分を全て多い隠してくれていた。ラッシュ時間もあって、人で溢れかえってるホームは大混乱してるのに、俺を突き落とした男だけは、周りの人に取り押さえられているにも拘らず大声で笑っている。まさに阿鼻叫喚だ。 「あらー、やっぱり巻き込まれちゃったか」  突然背後から聞こえた声に驚いて振り返ると、そこには黒いローブを着て、大きな鎌を抱えた骸骨が立っていた。 「ひっ?!」  まんま死神姿の骸骨に恐怖を覚え、思わず後ずさる。足が縺れ、その場に尻もちをついてる俺の前で、死神はポケットに手を突っ込むとスマホっぽいものを取り出した。手慣れた様子で弄ると、耳へと当てる。 「あ、お世話になっております~。 J-Ⅰ地区Tブロックなんですけど、確定魔落ち前に事故発生です。ええ、対象は未だ生存、討伐課の応援お願いできますか?はい、朝一からすみません~。座標を申し上げますね…」  何なんだこいつ…?見た目に反して人間染みてる電話を始めた死神を呆然と見上げる。なにか数字を読み上げてからペコペコ頭を下げて通話を終えると、俺の方へと向き直った。いくら人が好さそうでも、動いて喋る骸骨相手じゃ怖い。怯えながらも近寄ってくる死神を睨み付けるが、相手は気にする事も無く顔を間近まで寄せてくる。暗い空洞の目で見つめてきた死神は、明るい声で、うん!と一人納得すると、再びポケットへ手を突っ込んだ。 「一発逆転チャーンス!好きなカードを選んでね!」  バっと目の前に出されたのは、4枚の黒いカード。ババ抜きのようにこちらへ裏側を向けたカードを片手に持ち、差し出してきた。 「……は?」  状況についていけない。一体何が起こっているのか分からず死神を見つめるが、相手は説明してくれるはずもなく、ただカードを引けと促してくる。引かないなんて選択肢は用意されていないようなので、おずおずと手を伸ばした。  正直どれでも良い…一番右のカードでいいや…。引き抜こうとしたが、中々抜けない。 「?」 「好きなカードを選んで良いんだよ」  いや、選んだけど抜けないんだってば。目で訴えても聞いてくれない。仕方なくそのカードから手を離し、隣のカードを選ぶ。しかし、それも同じで抜けない。好きなカードって言ったよね? 「…あの…」  力抜けよと言いたいのを飲み込んで声を掛けると、死神の手がもぞもぞ動く。今選んだ隣のカードだけが、異様に抜きやすいように飛び出てきた。え、好きなカードって言ったよね?  絶対にそれは引きたくなくて、一番左のカードを掴もうと手を伸ばしたけど、掴む瞬間に相手が腕を動かし、飛び出た一枚を無理やり掴ませた。慌てて放そうとしたが、死神の方が動きが速く、持っていた手を先に放した。足元へ散らばる3枚のカードと、俺の手に残る無理やり選ばされた1枚のカード。 「おい!好きなカードって言ってたじゃん!」 「まあまあ、ほら、選んだカードを見てご覧!」  表情なんか無い骸骨の癖に、良い笑顔を浮かべられてるような気がする。溜息を吐きながら、手に持っているカードをひっくり返すと、死神のイラストが描かれている。なんだろう…ジョーカー…? 「おめでとう!君は今から死神になりました!」  骨を鳴らして拍手してくる死神の言葉に、やっぱり俺は付いていけない。ババ抜きさせて、その結果で運命でも決まるのか?大体この状況は何なんだ。知らない男に突き落とされて、気付いたら空中にいて、いきなり死神になりましたとか、馬鹿にするのもいい加減にしろよ。  湧き上がってくる怒りに任せ、持っていたカードを握りつぶす。俺の様子が変わった事に気付いた死神は、拍手を止めると咳ばらいをし後ろを向いた。もぞもぞと腕を動かしたと思ったら、突然目の前に木製のドアが現れた。 「言いたいことや聞きたいことは沢山あるだろうけど、とりあえずここは危険だから。移動しよう」 「嫌だ」 「頼むよ、ボクもあまり手荒な事はしたくないし、君にとっても悪い話ではないんだよ?」  今この時点で既に悪夢だよ。もう放っておいてほしい。死神へ背を向けて拒絶を示した所で、突然足元から新しい悲鳴が上がる。  これ以上何を叫ぶ必要があるのか、イライラしながら視線を向けると、そこには俺を突き落とした男が泡を吹いて倒れる姿があった。倒れた男の体から黒い煙のようなものが噴き出し始め、俺たちと同じ位置で溜まり出している。そんな異様な光景が怖くて後ずさった。  それなのに、足元の奴らは男の死体に騒ぐばかりで、黒い煙に気付ていない。俺にしか見えてないのか…?どんどん大きくなる黒い塊のせいか、鳥肌が立ちっぱなしで止まらない。 「ああ、まずい!魔落ち始めた!ほら、急いで逃げないと!」  背後から焦った声と共に腕を掴まれる。本当に意味が分からない、俺は何に巻き込まれたってんだよ…?! 「行くよ!」  大声をあげた死神は、骨とは思えないぐらい強い力で俺を引っ張ると、ドアを開けて中へ逃げ込む。その先に広がっていたのは真っ白な廊下で、あまりの白さに目が痛い。俺が入りきると、急いでドアを閉める死神だったが、完全に締め切る前にデカイ鉤爪が入り込んでドアに食い込んだ。 「わああ!シッシッ!入ってこないで!討伐課は何してるんだよ~!?」  涙声で叫びながら、死神は両手で必死にドアノブを引っ張っている。メリっと嫌な音を立ててドアが軋み始めていて、これ以上力を加えられればぶっ壊れそうだ。早いとこ閉めなきゃ本気でマズイ。  慌てて辺りを見回せば、死神が持ってた鎌が足元に転がっているのを見つける。咄嗟にそれを拾い上げると、力任せに振り上げた。 「放せよ、この化け物!!」  確かな手ごたえと共に、絶叫が響き、生暖かい物が体へと飛び散ってくる。少し遅れてドアが閉まる音が聞こえると、辺りには静寂が戻ってきた。  鎌の上の部分を床につけて見渡せば、ドアは消え去り、真っ白な廊下が広がっている。だけど、俺の足元だけは赤く染まっていて、さっきまでドアに食い込んできていた指3本、第一関節までが転がっていた。顔にまで付着した液体が気持ち悪くて手で拭うと、べったりと赤い物がついている。そこからあがる獣臭さに吐き気がしそうだ… 「有難う…本当に助かったよ…」  俺の方へ背を向け、その場に座り込んでる死神の情けなさったらない。 「ぎゃぁあああ!!!君なにそのカッコ?!血まみれだよぉ?!」  ローブの裾を叩きつつ立ち上がり、振り返ったと思ったら絶叫される。そりゃあ、指切り落としたんだから、血も出ると思うけど…なんて反応して良いのか分からずに居る俺に近寄ると、ポケットから取り出したハンカチで頬を拭い出す。 「うう、可哀想に…とりあえずお風呂入ろう。こっちだよ」  鎌は預かるね、と軽々奪い取ると、歩き出す死神。  説明が足りなさ過ぎて状況が全く分らないけど、こびり付いてるの赤い物を洗い流したいのは確かに最優先なので、大人しく後を追うことにした。  綺麗な8帖1Kの部屋に通され、風呂に押し込まれた。ごく一般的な風呂でシャワーを借りて出ると、洗濯機の上にバスタオルと着替えが用意されている。さっきまで着ていた制服も無いので、用意されていたスウェットを着て部屋に戻ると、死神がお茶飲んで寛いでた。飲んで零れないのか…? 「さっぱりしたね。お茶いれるから適当に座って」  ケルトの電源を入れて宣言通り紅茶のティーパックを取り出すのを横目に、ラグの上へ腰を下ろす。テーブルとタンスと部屋の真ん中に吊られるハンモック以外は何も無い、殺風景な部屋。窓も無いから圧迫感を感じる。 「はい、お待たせ。とりあえず、お疲れ様」 「……どうも」  渡されたマグカップを受け取る。表情は変わってないけど、微笑んでるよう感じた。 「まずは、君の状況から説明した方が良いね。分かってると思うけど、君は通学途中、見ず知らずの男に突然線路に突き落とされ、死にました」 「死んだ…」 「でも、本来の君の最期はあそこでは無かった。突き落とした男が死ぬ予定だったんだけど、事故に巻き込まれたんだ」  ぶっ飛びすぎてて自分の事だと理解出来ない。呆然としている俺の前で、死神は更に続けた。 「注意しているけど、不慮の事故って言うのは年に数回は発生しているんだ。そんな死者に対して、転生までの一定期間は仮の命を与えるんだけど、その間に死んでしまったら、普通の死亡扱いになる。虫になる可能性だってあるのに、そんなのあんまりじゃないか。 そこで思いついたのが、ボクの助手と言うバイトだよ」 「……バイト?」 「うん。転生までの期間、ボクの死神としての仕事を手伝ってもらうんだ。仕事した分は転生後の人生に加算されるから、待遇も良くなるよ」 「転生って…俺は、もう今までの生活には戻れないんすか?」 「そうだね、残念だけど死んだという事実は変えられない。ボクが手を加えられるのは、死後の待遇ぐらいなんだ」  ごめんね、と申し訳なさそうに謝られ言葉を失う。  死んだ?本当に?事故で…?  ただ、学校に行く途中だったのに、まさかこんな事になるなんて思いもしなかった。読みかけの漫画とか、付けっぱなしのゲームとか、親にだって何も言ってない…。今日なんて、起こしてくれた母さんに逆ギレしたんだぞ、俺…。毎朝早く起きて、弁当作ってくれてるのに、有難うなんて言ったこと無い。  いつでも言えるから別にいいかって、当たり前に思ってたのに…もう会えないなんて… 「……とりあえず、生活用品とか色々必要だね。持ってくるから、この部屋に居てね」  察してくれた死神は、立ち上がると静かに部屋から出ていった。  1人になった瞬間に、目から勝手に涙が零れてくる。  なんで俺なの?なんで、俺が死ななきゃいけなかったんだよ…?あの時電車に乗ってれば、きっと死んだのは俺じゃなかった。ゲームなんてしないで、早寝して、早く出ていれば…もしもの話をしても何も変わらないし、溢れてくる怒りをぶつけてもどうしようも無い事は分かってる。だって、最後の瞬間を鮮明に思い出せるんだ。俺が一番死んだ事は分かってるはずなんだ。一方的に人生を終了させられた理不尽さ、ただただ運が悪かっただけなんだろう。  それでも。どうしようもない事で、受け入れるしかないんだとしても…仕方ないって頷けるほど俺は大人じゃない。 「んでだよ……なんでだよぉ!!」  テーブルに突っ伏して、大声をあげて泣いた。  泣き止むまで待ってくれてたんだろう。  落ち着いてきた頃に戻ってきた死神は、数個のダンボールと敷布団、ジュラルミンケースを抱えていた。敷布団は俺用らしい。  部屋へ荷物を運びこみ、死神はダンボールの1つを開ける。中を覗き込むと、部屋着のような衣服と黒スーツ、白手袋が詰め込まれていた。せっせとクローゼットの中へ詰め込んでいく後ろ姿を見ているだけじゃ手持ち無沙汰で、他のも開けていいか声をかける。驚いた風の死神だったが、すぐに優しい子だねぇと嬉しそうに笑いながら頷かれた。なんか照れくさくて背中を向けるようにしてダンボールを開ける事にした。  あらかた片付いた所で、再びテーブル前に向かい合うよう腰を下ろすと、死神はジュラルミンケースを開け始める。中からタブレットと骸骨のフルフェイスマクスを取り出すとテーブルの上へと置いた。  タブレットの電源を入れ少し弄ってから差し出される。誓約書のような文章と、下に名前を書く欄があった。 「バイトと言っても、一応規約があるからサインは必要なんだ。読み終わったら、一番下の所に名前を記入してね」  堅苦しい文章は苦手だ。なかなか内容が入ってこず、眉間に皺を寄せながら読んでた俺を見て、貸し出す備品無くさないで、個人情報を漏らさなきゃ大丈夫だよと要約してくれた。それに無言で頷いてから名前を記入する。  もう本当に戻れないのかと思うと、目の前が滲んだ。あんだけ泣いたってのに、まだ全然出てくるよ畜生。 「カナトくん、か。どうぞよろしくね」 「……うっす」  差し出された手に自分の手を重ね、握手を交わした。握り返す先輩になる骸骨の手は、想像通り冷たかった。 (俺が死んだ時の話)

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