6 / 11

6 わけの分からない感情の話

  「元気出して、カナトくん。あれは事故だったんだから」 「…そうだな」  あの衝撃的な淫魔事件から3日。正直、魔落ちの時よりも参っていた。  恥ずかしながら童貞のまま死んだわけで、そう言った経験が全くなかった俺の初体験が、まさかの尻でのセックス。しかも入れられる方、媚薬てんこ盛りで、意識が飛んでも犯されて目を覚ますぐらいの激しさ。  そんな上級者向けで処女喪失した上に、相手が会って2回目のそこまで親しくも無い男。イケメンだったのが唯一の救いだ…。  おまけに、凄惨な現場を、帰りが遅いと心配してやってきた先輩にばっちりと見られてしまう。淫魔の体液を浴びせられたって言い訳した賢者に、それは辛かったろうに…と体力が切れてヘロヘロな俺に引く事も無く労りの言葉をかけてくれただけじゃなく、一人で風呂も入れない状態の俺の体を洗って、パジャマに着替えさせて、次の日は有給までくれた。この人、死神じゃなくて天使だよ、死神辞めた方が良い。  全ては事故。淫魔のせいであんなとんでもない事になった。自分にそう言い聞かせて、気持ちを切り替えタブレットの電源を入れる。さて、今日のバイトの対象者は…と目を通して固まる。加えていた固形栄養食を落としても、拾えないぐらいの衝撃に固まり続ける。  鏡を見ながらフードを直していた先輩が、俺の様子に気付いたのかやたらといい笑顔を浮かべた。 「ヤり逃げは男の恥だからね。僭越ながらボクがセッティングしておいたよ」 「え、いや…」 「この前は体でお話してきたみたいだけど、今回はちゃんと言葉を持ってお話できると良いね」  前言撤回。  この人、天使なんかじゃない…傷口抉ってくる死神だ。  大体ヤり逃げしたのは相手の方で、俺はヤられた方だし。弁解したくなるけど、恥ずかしい内容で詰まる声のせいで、先輩に何も言い返すことも出来ず見送る事になってしまった。なんか最近、振り回されてる気がする。その根源となる人物と今夜も会うハメになるとは… 「どんな顔すりゃいいんだよ……」  リスト最後に乗ってる名前を指で叩きながら、溜息が漏れた。  ◆  開けたドアの先は、珍しく戦闘中じゃなかった。宿屋で休憩中の勇者達の先、暗くなっている窓の外をぼんやりと眺めていた賢者がそこに居た。死神が迎えに来てる事に気付いてるはずなのに、賢者は振り返りもせず座り込んでいる。 「……おい」  なんて声を掛けるべきか、悩んだ結果いつも通りの呼び掛けになってしまった。それでも、賢者には届いたみたいで、緩慢な動きで振り返る。興味なさげだった賢者だったのに、俺の顔を見た瞬間目を見開いて固まった。  な、なんだよ、その反応…思わずたじろいだ俺に、立ち上がった賢者の方から近寄ってくる。 「な、何だよ…?」  逃げるわけにもいかず、へっぴり腰で迎え撃つ俺の目の前まで無言で歩み寄ってきた賢者は、俺の全身を見てから、良かったと大きく息を吐き出した。一体なにが良かったのか…さっぱり分らん。俺の疑問に気付いたのか、賢者はバツが悪そうな顔をした。 「…もう来てくれないかと思った」 「そんなわけ…」 「会うために、俺が死にまくってたの知ってた?」 「え、何それ…?」 「話したかったから…お前に会うためには、死ななきゃいけないでしょ」  確かにその通り。すでに死んで死神バイトなんかをしてる俺と会おうとするには、死んで迎えに来てもらうしかない。だけど、俺がこいつの専属でもないので、死んだら絶対に会えるわけでもない。俺と話したいだけで、何度も死んだなんて…なんて不毛な事してるんだ、こいつ…  先輩はこの事を知っていたからセッティングしたなんて言ってたのかもしれない。 「とりあえず、ここじゃ危険だから…待機室行くぞ」  俺に会うためだけに死んだってのが、じわじわと恥ずかしくなってきて、視線から逃げるように背中を向けた。マスクのお陰で隠されているけど、絶対に俺の顔赤くなってる。しおらしい賢者の態度のせいもあって、調子狂うなぁ…  白い廊下までくれば、魔落ちが襲ってくることはない。安全地帯までやってきたから、これで周りを気にすることもなく話はできるだろう。それなのに、真ん中で突っ立っている賢者は、床を見つめたまま動こうとしない。淫魔のせいもあったけど、犯されたの俺の方なんだけど…そんな思いつめた顔をされても、どう接して良いのか困る。 「お、おーい…?」  なんとか出た声に反応した賢者は、勢いよく顔をあげると、苦笑を浮かべながら悪いと口にした。  前回とは違って、お互い無言のまま廊下を歩き始めた。賢者と一緒に居るってのに、静かな廊下に足音だけが響くのは不思議な感覚だ。他の奴とでも、いつもは啜り泣く声の一つぐらい聞こえてくるし…。  話したいと言っていたわりにはだんまりな賢者に、気まずさを覚えながら歩き続ければ、すぐに待機室が並ぶ場所まで辿り着いてしまう。部屋番号を確認するために、タブレットを起動した俺に合わせ、賢者も止まる。くるくる回るアイコンを眺めていたら、やっと賢者が口を開いた。 「あの、さ…」 「…ん?」 「その…この前は、悪かった」  ぐっ、やっぱりその話題か…!恥ずかしいから無かったことにして欲しいレベルなんだけど… 「…おう」  恥ずかしさと戦いながらも、それだけ返す。何か続けて言おうとした賢者だったけど、これ以上傷口を抉られたく無いと言う一心で、被せるように行こう!と声をあげた。  思ったよりもテンパって裏返った声だったけど、俺がこれ以上この話題をして欲しくないと言うのは察してくれたようで、賢者は何か言いたそうな顔をしながらも頷いてくれた。今回指定された待機室はだいぶ先の部屋だ。無言で歩く距離としては少し辛い。俺の一歩後ろを付いてくる賢者を気にしながら歩き出した時だった。  突然、ビービービー!と言うけたたましい警報音が廊下全体に鳴り響いた。続いて、天井から赤色灯が現れ、点灯を始める。  真っ白だった廊下は真っ赤にチカチカと光り、一気に非常事態の雰囲気に包まれた。 「な、なんだ?!」  驚いて辺りを見回して見るけど、音と光以外に異常は無い。それでも、赤い警報のせいで早く逃げなければと言う気持ちにさせられる。どうしたら良いのか分からなくて、助けを求めるように賢者を見たけど、同じように首を傾げて当たり前だけど答えをくれそうにはない。 「緊急事態発生、緊急事態発生。討伐科は、直ちに待機室第45区画へ向かって下さい」  討伐科、45区画……その言葉に血の気が引いた。45って今俺達がいるところだし、討伐科が緊急出動するなんて、一般では太刀打ちできないような奴が現れたって事だ。  こんな時はどうすれば良いか、慌ててタブレットを開く。Q&Aをタップして、ひたすら接続を待つ。こんなにも繋がりが遅いとイライラした事は無いかもしれない。 「ねぇ、大丈夫なの…?」  忙しなくタブレットの端を叩く俺に不安を感じたのか、遠慮がちに賢者が声をかけてきた。大丈夫じゃないけど、大丈夫にしなきゃマズイ状況なのだけは俺にも分る。  なんて答えて良いのか言葉に詰まってる間に、画面が切り替わった。一番上に、待機室45区画で障害発生のリンクがあって、迷わずそれをタップする。早く繋がってくれ…!念を送りまくる事しか出来ない俺の後ろで、物凄い轟音が響いた。  驚いて振り返ると、廊下の角から煙が上がっている。それに、こっちに近づいてくるような足音も聞こえる…やばい、これは本気でやばいかも…?! 「うっわ…何あれ…」  地響きに似た音を立てながら角から現れたのは、体から煙をあげている狼に似た獣だった。炎を纏ってるせいで、一気に廊下内が暑くなる。あんなのに襲われたらひとたまりもない…!  逃げなきゃやばいなんて、言われなくても分かってる!もうQ&Aなんかも見てられない!!タブレットを小脇に挟み、呆然と獣を見上げていた賢者の腕を掴むと一目散に走り出した。 「ちょっと、なんでこんな所にあんなのが?!」 「俺だって知らない!!」  後ろで叫ぶ賢者に、前を向いたまま叫び返す。大きい雄叫びと一緒に、足音と火傷しそうなぐらいの熱波が近付いてるのを感じるだけで、あの獣が追ってきてるのは把握できた。 「えぇ?!追ってきてるって!!」 「わざわざ実況ありがとう!!!」  ここで死ぬわけにはいかない。自分のためにも、賢者のためにも、なんとか逃げ切らなきゃいけない…!だけど、四足の獣と二足の人間とじゃ速さの違いはありすぎて、簡単に追い詰められて行く。もうすぐ収容予定の部屋の前に到着する…その前に、なんとか獣の注意を逸らしてから部屋の中に逃げ込みたい。  わふっと犬のような鳴き方をドスの効いた声で叫びながら走る獣は、間落ちした獣じゃない。禍々しい感じが一切感じられないし…どこかで経験したことのある懐かしい感覚だ。…そう、小学校の時、めちゃくちゃでかいラブラドールレトリバーに追いかけ回された、あの感じに似ている。一か八か…!賢者の手を離すと立ち止まった。 「何やってんの?!」 「5063号まで走れ!!」  被っていたマスクを勢いよく頭から毟り取ると、獣目掛けて全力で投げる。それに反応したのか、大きく振られた尻尾のせいで、物凄い熱波を体全身に受けた。飛び込んできたマスクを捕まえようと前足を上げた獣は、動きを止めてくれた。予想通りだ!この隙に全力で走り出すと同時に、地面に叩きつけられた前足のせいで地震と熱波が襲う。だからって止まってられない。収容予定だった部屋の前まで辿り着いたら、いつもの鍵を差し込んでドアを開け、転がるように部屋の中へと逃げ込んだ。  床に倒れ込み、やっと息が吸える。目だけで賢者を探すと、ドアを背もたれにして呼吸を荒らげながら座り込んでるのを見つけた。部屋の前を鳴きながら駆け抜けてく獣の音を聞いてから、助かったとやっと体の力が抜けていく。 「さっきの…なに…?」  視線に気づいたのか、目があった賢者が息も絶え絶えに尋ねてきた。そんなん俺だって知りたい…首を振って分からない事を伝えながら、起き上がる。 「けど、悪いヤツでは無いと思う」 「なんか犬みたいだったね。じゃれてきてたって言うか…」 「あんなんにじゃれつかれたら死ぬわ」 「骸骨マスク投げてたけど、大丈夫なの?」 「あー…どうだろ、あれ正確には俺のじゃないからなぁ…」 「へぇ。それも大変そうだけど、あの犬に匂い覚えられたんじゃない?」 「げ…」  遊んでくれる人だと覚えられたら、今度こそ死ぬかもしれない。先輩に相談する項目が増えて、眩暈がした。  ◆  学ばない自分の情けなさときたらない。  この部屋がオートロックであることは、淫魔事件の時に学習済みだった癖に、またもや一緒に入って閉じ込められると言う失態を犯してしまった。今回は緊急事態だったって事もあるけど、2回も同じ過ちを、こんな短期間でするとは思わなかった…  中にはドアノブすら無いから、完全に外からしか開ける方法は無いっぽい。今日はガラケーも無いので連絡手段もなし。バイトで使ってる鍵ならワンチャン?!と思ったけど、待機室内では使えなかった。完璧詰んだ状況に自己嫌悪の溜息しか出てこない。  譲られた椅子まで戻ってくると、ベッドに腰掛けてた賢者に顎で机をさされる。そこには、湯気をあげるカップが置かれていた。香り的にコーヒーだと踏んで手に取ると、中身は真っ黒なままだ。うげ、ブラック…コーヒー牛乳しか飲んだこと無いけどいけるかな…。ゆっくりと口に含む。あまりの不味さに吐き出しそうになったけど、そこは意地で飲み込んだ。 「プッ」  そんな俺の行動に堪えきれず笑いを漏らしたのは、ただ一人。顔を背けて肩震わして笑っている、目の前の賢者。こいつの笑いのツボが分らない、今の何が楽しんだ。笑いがおさまるまで、ジト目を向け続けてやった。そのせいか早めに笑いをおさめると、俺のカップを持って立ち上がる。隣の部屋に消えた賢者だったけど、すぐに戻ってきて俺へカップを渡してきた。今度はたっぷりの牛乳か混ざっている中身を確認してから受け取る。おそるおそる口に含むと慣れ親しんだ甘いコーヒー牛乳の味で、ほっとした。   「次にここが開くのは、8時間後って所かな」 「何で分かるんだ?」 「俺が死んだ後に宿屋に泊まったから…蘇生は次の日まわしだと思う」 「……そんなもんなのか?」 「そんなもん」  正直勇者達の感覚がよく分からない。死んだ人間を生き返らせれるなら早く対応するに越したことは無いと、俺は思ってしまう。それがバッチリ顔に出てたのか、賢者が苦笑を浮かべた。 「慣れるんだろうね、特に俺は回数多いし」 「……俺は蘇生された事無いからよく分かんないけど、お前が生きにくそうなのだけは分る」 「へぇ…そう思う?」 「猫かぶりすぎだし」 「あはは、それは俺も自覚ある。勇者パーティの賢者様だからね、それなりに出来た人間演じないと」 「向いてないよな」 「見る目あるじゃん、人の為になんてクソ喰らえって思ってるよ」 「腹黒い賢者だなー」 「そんな賢者の、偽善者てんこ盛りな話してあげようか?」  カップ片手に悪そうに笑う賢者の提案に、俺も似たような笑みを浮かべて頷く。まずは正義厨な勇者と出会った所から、と始まった話に、簡単に惹き込まれて行った。  賢者の話はとにかく面白かった。前提として、俺の暮らしたことない異世界事情から楽しいし、親しみあるRPGあるあるネタにもたくさん頷ける。ゲームの中でしか冒険したことのない俺だったけど、賢者がお前冒険者経験あるでしょ?って疑ってくる程には知識があったって言うもなんか嬉しい。いつの間にか縮まった距離に、久しぶりに友達とくだらない話で盛り上がってた生前の事を思い出す。閉じ込められたって自己嫌悪したけど、案外悪い事じゃなかったかもしれない。  ここの設備の使い方がよく分からない俺に代わり、飲み物のおかわりを入れに行った賢者の背中を見送る。一人になった所で背筋を伸ばすと、だいぶ凝り固まっていたのかポキポキ骨がなった。もっと伸びたくて、目の前にあるベッドへダイブすれば、予想以上にふかふかな感触が返ってきた。うつ伏せて両手両足を伸ばしてごろごろしていると、戻ってきたのか賢者の小さな笑い声が聞こえる。 「何してんの」 「お帰り」  顔だけ振り返って答えた俺に、賢者は怒る事も無く近づいてくると、机の上へカップを置いてから、ベッドの端へ腰かける。重みで少し軋んだ。少し先にあった枕を手繰り寄せて頭を乗せると、幸せを感じる。場所がどこであれ、やっぱりベッドの上でごろごろすんのは最高だ。 「だらしない顔だなぁ」  ギシっと言う音と共に暗くなったと思うと、覆いかぶさるように賢者が顔を覗き込んできてた。幸せを噛みしめてる顔はかなりだらしないのは自覚があるから、何とも言えない。 「……ねぇ、本当に怒ってないの?」 「何が?」 「この前の事」 「ぐっ、また蒸し返してくるか…」  忘れた頃にまたその話をしてくるとは…本当に恥ずかしいから、やめて欲しい。そんな思いを込めて不満げな顔をしてみたけど、真面目な顔をした賢者と目があって言葉を飲み込む。 「必死に死にまくってまでして、謝りたかった。許して欲しかった。けど、許して貰えてるのか…いまいち判断できない」 「…それは…」 「…本当に許してくれるの?」 「…別に、怒ってはいない…」  恥ずかしくて、目を逸らしながらもごもごとした発言だったけど、しっかりと賢者の耳には届いたらしい。戸惑ったような雰囲気に、はっきり言わないと伝わらないと腹を括ると、視線を合わせる。 「だから、許すも何もない。あれは事故だったし、お前が俺にしたのは治療だろ」 「嘘、あれ治療だと思ってたの…?」 「…え?」 「手助けなら抜くだけで良いでしょ。わざわざ抱いたりしない」 「え、そ、そうなの…?」 「きっかけは淫魔だったかもしれないけど、結果的に、お前を抱いたのは俺の意思。それでも…許す?」 「し、しつこいな!気にしてないつってんだから、もう良いだろ…!」  もう駄目だ、顔見てらんない。恥ずかしさで死にそうだ。賢者の視線から逃げるように枕へ顔を埋めた俺のせいで、会話が途切れる。事故だと片付けてたのに、まさか本気で抱いたなんて言われて恥ずかしくないわけがない。しかも、それが信じられないぐらい気持ち良かったって言うプラスな感想しか無くて…悔しい…。 「…そっか。俺、お前の事結構好きだからさ、安心した」 「え…」  聞き捨てならないセリフに驚いて顔を上げる。もう一度振り返ると、逆光気味だけどすごく嬉しそうに笑う賢者の顔があった。 「有難う、カナト」 「お、おう…」  な、なんだよその顔…?!  急に心臓が締め付けられるような痛さを感じて、間抜けな返事を返した気がする。まさか、そんな…相手は男なのに…一気に顔が赤くなるのを感じる。それを見てなのか、優しく微笑む賢者の顔が近付いてくるのに、なぜだか動けない。  キスされる…!そう思って、慌てて目を固く閉じたけど、唇には感触が全くなくて…代わりに、額に柔らかさを感じた。 「大丈夫、今日は襲わないよ」  デコをくっ付け、至近距離で賢者が微笑む。  な、なんだこれ…イケメン過ぎて…ずるいだろう…!?わけの分からない胸の痛みが、更に強くなった気がした。 (わけの分からない感情の話)

ともだちにシェアしよう!