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7 心配性な猫の話

   見張る為に、犬を使うって言うのはよくある話だ。  人間よりも敏感だし、足だって早い。だけど、その番犬が人懐っこいのはいかがなものか。  撫でてくれたり、遊んでくれそうな人を見つけると全力で尻尾を振って追い掛けてくる。まあ、甘えたで可愛いとは思う。悪い気もしない。それが、一般的なデカさの犬だったら。 「君、動物に好かれるタイプだった?」  白飯を詰め込みながら話しを聞いてたら、向かいに座ってた先輩が質問してきた。好かれるかどうかは知らないけど、よく犬に追いかけまわされたのだけは記憶にある。思い出すだけでも恐怖体験に、顔をしかめると先輩が笑う。 「もう乱入騒ぎが無いように、警備を固くするみたいだから襲われる事は無いと思うけど、あの子はただカナトくんと遊びたかっただけなんだ。悪く思わないでくれると嬉しいな」 「…なんとなくそれは察しましたけど…あんなのに飛び掛かられたら死にます」 「あはは!そうだね、死ぬね。ボクも2回は死にたくはないなぁ~」  しみじみしながら、から揚げを頬張る先輩に俺も頷く。凄惨な死に方で死んでるんだ、あんな経験もう二度としたく無い。何度も死ぬなんてしてたら、気が狂ってしまいそうだ。そこまで考えて、浮かんだのは賢者の事。  あいつは何度も死んでるけど…死ぬ時は毎回痛いだろうに、なんであんな普通で居られるんだろう。俺があいつの立場だったら、耐えきれないと思う。 「ルカくん、だったよね彼」 「…ルカ?」 「やだ、カナトくん、朝まで一緒だったのに忘れちゃったの?」 「え…あ、賢者の…?」 「そうそう。どう?友達になれた?」 「…どうっすかね」  あいつと一緒に居たら楽だし、楽しい。先輩とはまた違った感じがするし、仲良くはなれたんだと思う。だけど、友達かと言われると、なんだか違う気がする…。それが異世界と日本での違いのせいでなのかは分からないけど…友達ってカテゴリーに入れられないのだけは、はっきりしてた。 「恋しちゃった?」 「は…?」 「恋に悩む乙女みたいな顔してたよ…?」  大丈夫?と覗き込まれ、一気に頬が赤くなっていく。確かに好きだとは言われたけど、あれは別に恋愛感情での好きってわけじゃないし…!やたらと距離が近いけど、スキンシップが人よりアレなだけだし…!俺が賢者の事好きなわけないし?!何てこと言ってくるんだ、この骸骨! 「そんなんじゃない!先輩のばか!!!」  先輩用に残ってたから揚げを奪い取ると、一口で口の中へ突っ込む。ポカンと俺の事を見つめていた先輩は、しばらくすると噴き出すように笑い出した。なるべく笑いを抑えようと、両手を口に当ててる所が、更にイラっとさせる。笑ってんじゃねー!!俺は逃げるように食器を纏めて、流し台へと駆け込むしかできなかった。  ◆  対象者が動物って言うのは今回が初めてだった。魔落ちした獣とかじゃなくて、本当に動物。ペットの猫。  ただ、普通の猫じゃなくて、100年以上生きた化け猫って所で妙に納得できた。魔性を宿した猫に目を付けたのが魔王で、人間を襲う魔物に変えてしまったらしい。魔獣化で理性を無くし村を襲った時に、タイミング良く通りかかったのが勇者達。退治して、普通の状態の魂になった今、俺が迎えに行くっていう流れ。  ドアを開けると、夜の森の中だった。近くに門と篝火が見えるから、村かなんかの近くなのかもしれない。明かりの向こうからは楽しげな音楽が聞こえてくるのに、こちらへ背を向けて座っている白い猫は、じっと暗がりを見つめていた。なんて声をかけるべきなのか…と言うより人間の言葉が通じるのか?悩んでいると、何か崩れる音が聞こえて驚く。暗がりの向こう、茂みの近くで男が何かを蹴っていた。 『めて、やめて、お父さん…!』 『ふざけるな、何を考えてるんだお前は!』  ゆっくりと近づいてみると、必死になって男の腰に縋り付く女の子と、力づくで振りほどき、積み上げられた石の山を狂ったように蹴り散らかす男の姿があった。何度か止めようと試みるも、力では敵わないと判断したようで、女の子は座り込むとひたすらに謝り続けていた。  やがて、石の山の跡形が無くなった頃に乱した息のまま止まると、男は振り返る。鬼の形相で睨みつけられ、女の子の泣き声が止まった。 『あれだけの被害をだしているんだ!次馬鹿な真似をしたら追い出すぞ!!』 『ごめんなさい…ごめんなさい…』  謝り続ける女の子を強く睨んでから、男はそのままの勢いで明かりの方へと戻っていく。お父さんと呼ばれていたから父親だろうに、暗い森の中に置き去りにされている女の子を振り返る事を一度もせずに消えていった。  衝撃的な光景に何も言えず、猫と女の子を見つめていたら、チリンと言う鈴の音を鳴らしながらやっと猫が振り返った。100年生きたと言われるだけはあり、老猫の顔をしていた。 「ごめんなさいね、死神さん」 「え?!あ、いえ…」  突然話しかけられ、言葉に詰まる。確かに婆ちゃんの声で言葉を話したけど…目の前の猫の口から出ているなんて信じられない。周りを見渡しても誰もいないし…結局元に戻ってきた視線に、猫がクスクスと笑った。 「あらあら、化け猫は初めてかしら?話してるのは私で間違いないわよ」 「あ、ですよね…!すいません…」 「いいえ、初めは驚くものよね」  優しげに目を細めた猫だったけど、息をつくと真剣な顔つきに変わる。釣られるように思わず俺も背筋を伸ばした。 「死神さんにお願いが御座います。今しばらく、回収をお待ち頂けませんか」 「…理由を伺っても?」 「……あの子は、私の事をとても可愛がってくれました。人と馴染めず、村でも浮いた存在の彼女が心配で…」 「……そんなに長くまでは待てませんよ」 「明日の朝までで構いません。せめて、夜の間だけは傍にいたいのです」 「分かりました。ただ、1人には出来ないので…」 「ええ、存じておりますわ」  有難うございますと頭を下げた猫は、女の子の元へ向かうと、足に擦り寄るように近付き座った。すり抜けて行ってしまう体は、触れることは出来ない。自分が傍にいる事を愛する人は認識出来ないのに、それでも一緒にいようとする姿は、猫の愛情深さを感じさせる。  …あれ?そういえば、何で足元に擦り寄れたんだろう?いつもは頭のあたりで浮いているのに、今は生きている人間と同じ位置に立っている事に今更気づいた。実際に地面を踏んではいないけど、久しぶりに土の上に立っている気がする。これも力のある猫が対象ってのが影響してるのかな…?  何時間たったんだろう。夜も更けて、村の方から騒がしい音もしなくなってきた。灯りも少し落ちた頃になっても、女の子はずっとそこへ座り込んでいた。流石に泣き止んではいたけど、ぼんやりと空中を眺めている姿には生気を感じられない。 「…エリー、そろそろ部屋に戻った方が良いわ」  優しくかけた猫の声など届かず、無視される。何度やっても結果は同じなのに、猫は何度も声を掛け続けた。丸くなって座っていた状態から立ち上がり、くるくると女の子の周りを回りだすのを黙って見つめていたら、突然猫の動きが止まる。遅れて足音が聞こえた。振り返ると、猫の見つめる先には、見慣れた賢者の姿があった。 『こんばんは』  女の子の背中へ賢者が声を掛けるが、女の子は動かない。それについては予想済みだったのか、賢者は表情を変えることなく、柔らかい微笑みを浮かべたまま近寄ってくる。俺の立っている所まで近づいた時、動かずに見ていた猫が突然鳴き声を上げた。人の言葉ではなくて、猫の威嚇するそれに驚いて振り返ると、全身の毛を逆立てて、女の子を守る様に前へ立っていた。猫が威嚇すたびに、ビリビリとした気迫を感じる。それは俺だけじゃなくて賢者も感じているようで、驚いた表情で止まっていた。 『…白い…猫?』  ほとんど声には出さず、そう呟いた事に驚く。あいつはまだ生きてるはずだから、俺たちが見えるはずがない。何で見えてるんだ…?立ち止まった賢者の視線の先はしっかりと猫に向かっている。 「エリーに近づくな」  混乱している俺だったけど、猫の怒りを含んだ声で我に返る。今にも飛び掛かりそうな猫の傍へと、慌てて駆け寄った。 「大丈夫!あいつは勇者のパーティの、」 「賢者の男。知っています。ですが、あの男からは死臭がする」 「え…?」 「目的が分からない以上、近付かせたくはない相手です」 「あ、あの!死臭ってどういう事ですか…?」 「死に過ぎなのでしょう。魂に魔を秘め始めています」 「それって、どうなるんですか…?」 「いずれ、死ぬことも生き返る事も出来ず…中途半端な状態でこの世界に止まる事になるでしょう」  なんだよそれ…そんな事になったら、魔落ちした獣に食われるしか救いが無いって事かよ…。数回しか話してない男だけど、あいつがそんな風になるのはすごく嫌だった。衝撃的な事実に動揺している俺の後ろから、女の子の声が聞こえた所で、バイト中だったことを思い出す。いけない、まずは優先させるのは対象者についてだ。  生者達へ視線を戻すと、女の子が虚ろな目をして振り返っていた。女の子が動いたせいで、賢者も我に返ったのか、微笑みながら近づくと視線を合わせるように女の子の前でしゃがむ。 『皆さん心配していますよ、戻りましょう』 『…大丈夫です』 『夜は冷えます。体を悪くしてしまいます』 『…大丈夫です』  同じ返ししかしてこない女の子に、微笑みを張り付けたままの賢者は小さく息を吐くと視線を外した。女の子の更に先、男が蹴り散らかした場所をじっと見つめる。ぼんやりとしていた女の子だったけど、賢者が猫の墓を作っていた事に感づいたのに気付いたようで、突然背筋を伸ばし違います!と首を振った。 『違うんです、あれは、その…!』 『…貴女の家族の墓を、その様に言ってはいけません』 『え…?』 『伺いました。あの白猫は、貴女の大切な家族だったと』  賢者の一言のせいで、必死に否定していた女の子は動きを止める。途端に目に涙を溜まった。瞬きすれば零れそうな程に潤んでいるけど、必死に我慢をしている…そんな姿に、賢者は優しく微笑んだ。 『僕にも、妹がいました。大切な人の墓を作ると言う事がどんなに大事なことか、分かりますよ』 『作って、良いの…?お墓を作っても……?』 『ええ。しかし、それをよく思わない人が居るのも事実です』 『あの子は悪くない!魔族のせいで…!!』 『ですから、僕とこっそり作るのはいかがです?』 『こっそり…?』 『明日の朝、日が昇る前に入口まで来れますか?』  予想外の嬉しい提案に、女の子は何度も大きく頷いた。彼女の反応に一瞬ほっとしたよう表情を浮かべた賢者は、約束ですよと告げて上がり手を差し伸べる。帰りましょうって促すと、女の子は簡単にその手を取ると立ち上がった。  さっきまで虚無感を漂わせていた女の子とは思えない程の変わりようで、二人は並んで村へと帰っていく。そんな後ろ姿を見送りながら、猫は小さく息を吐いた。 「あの役目はいつも私のものだったのですが…年甲斐にもなく、少し悔しいわ」  苦笑を浮かべて見上げてきた猫に、似たような笑いを返す事しか出来なかった。  家の前まで送ってくれた賢者の背中が見えなくなるまで見送ってから、女の子は玄関を開けた。炎の触れに合わせてゆらゆらと動く灯りに照らされた室内に、二つの人影がある。  片方は、先程女の子を叱りつけていた男。テーブルに突っ伏して寝ていて、その周りには沢山の瓶が転がっている。もう片方の人影は女で、ゆっくりと動くと女の子を見て止まった。 『あの、お母さん…』 『部屋に戻っていなさい』  有無を言わさない声でそう告げられ、女の子は頷くと大人しく奥の部屋へと向かっていく。女の子が居なくなった瞬間に、ただでさえ重かった空気が更に重く感じる。死人よりも生者の方が力は何倍も強いって言うのは知ってたけど…ここまで生者の負の感情と言うのは重い物なのか…正直重圧で押しつぶされそうだ。 「外に出ましょう」 「…いいんですか?」 「ええ。早く、外へ」  猫に促されて家の外へ出る。息苦しさから解放されて、思わず深く息を吐いた俺に猫は苦笑を浮かべた。外から室内が見える位置まで移動してくると、窓枠へと腰かける。泣き疲れたせいか、女の子は部屋に戻ってくるとすぐにベッドに倒れ込み、眠りについていた。そこまで確認すれば、後は夜明け待ちか…。  眠くはないけど、雰囲気の流されて出た欠伸をかみ殺していると、隣で座っていた猫が小さく笑う。 「眠っても大丈夫ですよ?」 「あ、いえ、流石にそれは…ところで、あの子の家はいつもあんな感じなんですか…?」 「…そうね。父親の男は外向きの顔は大変良いけれど、家庭内ではいつもあんな感じ…」 「…これからが、心配ですね」 「ええ…あの子がお嫁に行くまでは支えてあげたかったのだけれど…これも私の力不足が招いた結果ね」 「そんな事…」 「もっと力があれば、魔獣化することも無かった。私は村の皆さんに可愛がって貰ってた猫だから、特定の飼い主はいなかったの。けれど、私があの子の事を気にして頻繁にここへは出入りしていた…そのせいで、この家の人たちは魔獣化した猫の飼い主だと、責められる」 「え、村猫だったのに…?」 「人間とはそういう生き物よ。擦り付け合いはたくさん見てきたわ。それで死んでいった人達を、貴方たち死神が迎えに来る所もたくさん見てきた…あの子が死んでしまったら、私のせいね」 「それは違う」  悲しげに目を伏せて呟いた猫の一言に、反射的に顔を上げた。まだまだバイトの身で、何もかも未熟だけど、人が死ぬのに理由なんてない事だけは理解したんだ。被せる様な俺の言葉に驚いた猫に構うことなく、続ける。 「誰が決めたかは知らないけど、死ぬ時は皆決まってる。遅かれ早かれ、その時は絶対に来る。どんなに回避しようとしても、死ぬのは必然だ。それを自分のせいだと言うのは、傲慢だ」 「…あら、年若い死神さんだと思っていたけれど、驚いたわ」 「…え?!あ、す、すいません、傲慢だなんて偉そうに…!」 「いいえ。とても勉強になったし、心が軽くなった。有難う、死神さん」  猫に優しく微笑まれ、恥ずかしさに一気に頬が赤くなる。猫とは言え遥かに年上に説教をした自分が信じられない。膝を抱え顔を埋めるように座った俺をみて、やっぱり猫はくすくすと笑っていた。  程なくして、辺りは薄っすら明るくなってきた。そろそろ約束の時間だ。  部屋の中を覗き込むと、タイミング良く女の子がベッドから抜け出した所だった。掛けてあったマントを着込むと、こちらへと近づいてくる。慌てて窓枠から降りた所で、窓が開いた。顔を出し辺りを確認すると、慣れた様子で窓枠を飛び越え外へ出てくる。普通に玄関から出てくるものとばかり思ってた…猫へ視線をやると、ウインクを返される。 「あの子は人と馴染めないって言っていたでしょう?」  確かにそうだけど…もっと大人しい方を想像するじゃん。普通。突っ込みたい気持ちをぐっと堪え、女の子の後を追う。指定通り村の入り口には既に賢者の姿があった。手に量の少ない花束を持っている事に驚いたのは女の子も同じだったらしい。少ししか用意できませんでした、と申し訳なさそうに微笑む賢者に女の子はぶんぶんと首を振っていた。  村を出てしばらく、森の中なのに、開けた丘のような所に出てきた。夜明けが近いせいか、空は紫色に変わってきている。急ぎましょうと石で辺りを掘って土を集め、小さな山を作り始めた。その上へ申し訳程度に石を積み上げると、完成のようだ。墓と呼ぶには粗末なそれ、おまけにお互い泥だけになっていたけど、二人は満足げに笑い合っていた。 『貴女から渡してください』 『え、でも、これは賢者様が用意した物だし…』  用意していた花束を差し出され、女の子が戸惑ったように賢者を見上げる。それに対し、受け取る様にとしか返さない賢者に負け、女の子は恐る恐るその花束へと手を差しだした。  受け取った花束を握りしめると、今さっき出来上がった墓の前へ女の子が膝をつく。丁度俺たちの後ろから朝日が昇り始め、女の子と賢者を太陽が照らしていた。 『今まで、ずっと一緒に居てくれてありがとう。貴女がそばにいるだけで、毎日が楽しかった。もういないのはとても悲しくて…つらくて…ミルクの用意も、もうしなくていいんだよね…』 「エリー…私こそ、毎日楽しい日々をありがとう。幸せだったわ」  俺の横でずっと座って見つめていた猫が立ち上がる。 『貴女を助ける事が出来なくて、ごめんなさい…』 「死神さん。首についている鈴を、外して頂ける?」  外しやすいように猫が顔を上げてくる。頷いて、首輪に下がっていた鈴を外してやると、その鈴をそっと口にくわえ女の子の方へと歩き出した。  墓の斜め後ろ辺りまで来た猫は、背筋を伸ばして座る。それから、音が鳴る様に鈴を地面へと落とした。リンと言う音が響き、俯いていた女の子が顔を上げ、墓を見つめていた賢者の視線が動く。二人は驚いた表情で、白い猫を見つめていた。 「大丈夫、私にもきちんとお迎えがきたわ。優しいエリー、本当にありがとう。大好きよ」  猫がそう言うと、突風が吹き抜ける。思わず目を瞑った女の子をみて、ここが潮時だと思った。  鍵を取り出して後ろを向き、ドアを呼び出す。開けてから振り返ると、すでに二人に背を向けこちらを向いていた猫の後ろで、ぼろぼろと泣き出す女の子と、前髪を押さえつけたままこちらを見つめる賢者が居た。 「行きましょう、死神さん」  音もなく足元を通り抜けて、猫がドアの中へと入っていく。今の賢者に、俺が見えるはずない。そう分かりつつも、ドアを閉める時に顔だけ振り返ってみると、賢者と目があった。 『ありがとな、カナト』  少し涙ぐんだ賢者は、確かに俺の名前を呼んだ。 (心配性な猫の話)

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