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第2話 先輩との午後

 結果から言えば、僕の荷物は最後までエリオットさんに持って頂き、気付けば治癒室まで運ばせてしまった…!  人数は減っただろうけれど、治癒室の中には人が居る。さすがにほかの人まで荷物持ちの姿など晒させる訳にはいかないので、治癒室前で箱は降ろしてもらった。とんでもなくお世話になってしまった…お礼を言っても言い足りない…!気持ちが収まらなくて、何度も頭を下げていたら、何回目かでチョップされた。 「しつこい、もうしなくてよろしい」 「う゛…っ、す、すみません…」 「別に怒ってねーよ」  怒られてしょんぼりしながら顔をあげると、予想外に楽しそうな笑顔を浮かべたエリオットさんがそこに居た。ひらひらと振られる手に自然と目がいく。すると、その手に小さな切り傷があるのを発見した。 「指…」 「え?あー、これ?クレアちゃんがうっさくてなー、書類整理してたら紙で切ったんだ。こんぐらいなら舐めときゃ治んだろ」 「そんな、駄目ですよ!」  せめて傷を治癒しよう!咄嗟に思いついたけれど、僕にしてはとんでもない名案に一人頷き、エリオットさんの手を両手で握る。 「ちょ、待って、何する気?」 「これでも、治癒班で詰めてる日もありますから、大丈夫です。じっとしてて下さいね」 「待て待て、まずいって!」 「行きます」  目を瞑り気を集中させる。繋いだ手から、自分の魔力を送り込む…そんなイメージ。相手の脈に乗ったのか、すぐに温かいものが僕の方にも流れ込んできた。いつもなら温かいなぁで終わる感覚なんだけど…なんだろう、これ…?今回はいつもとちょっと違う。初めての感覚に戸惑うけれど、繋がっている所から次々に流れ込んできて止めることが出来ない。温かいものが入りすぎて、少し息苦しくなってきたようで…でも、物足りなくて… 「 ――― ッ、ぁ、」  その感覚に夢中になっていた僕は、堪えるような苦しげな声を聞いて、弾かれたように手を離し目を開ける。  そうすれば、目の前に居たエリオットさんが、顔を赤らめて息も絶え絶えな状態で立っていた。何でこんな苦しそうなんだ…?僕は、治癒を施したはずなのに、明らかに体調が崩れている。 「だ、大丈夫ですか…?!」 「何これ…すっご…」 「も、もう一度施します、手を、」 「いや、もう大丈夫…あんがと」  掴もうとした所で、すり抜けた手は隠すように背中の後ろへと持っていかれてしまった。僕の治癒のせいで悪化させてしまったのだろうか?それとも、何か気に障るような事をしてしまったのか…どちらにせよ、マイナス要素が大きすぎて一気に全身の血の気が引く。憧れの人に優しくしてもらって、調子に乗ったのがいけなかったんだ。ど、どうしよう… 「何か声がすると思ったら、アンタかよ。今何時だと思ってるんだ?」 「ひゃあ?!」  突然聞こえた第三者の声に、情けない声を上げて跳ね上がった。驚いて振り返ると、治癒室の扉が開いていて、先輩のヴィンさんが顔を覗かせていた。自分の世界に入って考え込んでいたせいか、扉が開いた事なんて全く気付かなかった…そんな僕の反応を見て、ヴィンさんが声を出して笑う。 「どうしたリオ、だらしない声だなぁ」 「すみません、びっくりしてしまって…」 「謝んなって。遅くまでお疲れ。そこのビッチ野郎になんかされなかったか?」 「え…?」 「おい、何だよその言い方」 「何だよって、本当の事だろう。ウチの子たちまで食うのやめろよなぁ」 「俺の体質的に仕方ないっしょ。それに、合意の上でなんだから悪いのは俺だけじゃなくない?」 「はいはい、そうな。リオの事送ってくれてありがと。アンタも気を付けて帰れよ~」  適当と言うのは正にこの事…適当にエリオットさんをあしらいながら、ヴィンさんは床に置いてあった箱を持ち上げると治癒室の中へと戻っていく。おいで、と促され、反射的に頷いてからヴィンさんに後に続く。だけど、このまま室内に入るには失礼かと思い、振り返れば、まだ少しだけ顔を赤くしているエリオットさんがこちらを見ていた。 「どーした少年。早く入りな?」 「は、はい!えっと、有難う御座いました…!」  頭を下げたけど、それに続くエリオットさんの声は無い。やっぱり気付かないうちに失礼をして、嫌われてしまったのかもしれない…。重くなりかけた気持ちだったけれど、もう一度髪を乱すような撫で方をされ、頭が揺れる。それに驚いて顔を上げれば、楽し気に笑っているエリオットさんが居た。 「ここ、夜は危険だから気を付けろよ。じゃあな、リオ」  ぽんぽんと軽く2回撫でると、黒いコートを翻して暗い廊下の奥目指して歩き始める。ピンと背筋を伸ばし、片方だけ肩まで伸びている色素の薄いサイドの髪を揺らす姿は、堪らなく格好いい。 「あ、有難う御座いました!」  もう一度勢いよく頭を下げて、エリオットさんを見送る。憧れていた特務隊の魔術師さんとお話しできて、送ってもらって、優しくしてもらえて…夢みたいな出来事にふわふわしているのと、大人なエリオットさんが我慢しているだけで、失礼があったかもしれないなんて不安がせめぎ合う。  いっぱいいっぱいな僕は、もうエリオットさんの姿なんて見れなくて…足音が消えるまで、そこで頭を下げ続けた。  ◆  いくら夜遅くまで仕事をしたからって、次の日の出の時間が変わるわけじゃない。  いつもより少ない睡眠時間のせいで、目の下にはクマが出来ていたけれど、その程度で休む理由にもならず…欠伸を噛み殺しながら出勤した。  仕事中は忙しくて眠気を感じる暇さえなかったのに、休憩時間となればそうもいかない。食事を乗せたお盆を持ちながら席につく間に、止まっていたはず欠伸が連発する。気が緩んでしまうと、すぐに出てくるみたいだ…。早めに食事を終わらせて、どこか休める場所でお昼寝したいなぁ…豆のスープを口に運びながらそんなことを考えていたら、向かいにお盆が置かれたのが見えた。 「眠そうだなぁ、リオ~」  喉を鳴らして笑う声で、弾かれたように顔を上げる。なんと、向かいの席にはヴィンさんが座っていた。それが認識できた瞬間に、体は勢いよく席を立っていた。 「ヴィンさん!お疲れ様です!」 「おう、お疲れ。とりあえず座れよ」  着席の許可に、背筋を伸ばして座る僕を見て、更にヴィンさんは笑う。 「なんだよそれ、飯食いにくくないか?崩して食えって」 「すみません…!」 「悪くないのに謝んな…ってか、お前の昼飯、豆のスープとパンだけなのか?」 「あ、はい」 「育ち盛りだろ~、肉食えよ、肉。ほら、俺の一個やるから」  大丈夫です、と断る前にヴィンさんはフォークで肉の一切れを持ち上げてしまっていた。流石にそれを見て断るわけもいかず、僕は恐る恐る自分の皿を差し出す。皿に肉を移したヴィンさんは、満足そうに笑うと昼食を再開させた。  節約の為に、安い物しか頼まなかったんだけど…変に気を使わせてしまって申し訳ない…今度はもう少し頼もうかなぁ…。後悔しながら、ヴィンさんから頂いた肉を一口齧ると、溢れ出る肉汁に震え上がる。そう言えば、肉を食べたのはものすごく久しぶりかもしれない…!勿体ないから少しづつ食べようって思って、もう一口、小さめに齧り付いていたらヴィンさんと目があった。  ああ…もしかして、とっても行儀悪く食べていたかもしれない…!途端に恥ずかしくなって止まった僕の前で、ヴィンは無言で手を伸ばしてくる。緊張しながら見つめていたら、目の前にある僕の皿と、ヴィンさんの皿がその場で入れ替わった。 「え…?」 「こっち、食っていいぞ」 「え…え?!」 「そんな嬉しそうに食べてもらえるなら、肉もリオの方が良いだろ」 「ええ?!で、でも…!」 「あ、でも俺も一口は食いたいかも。それ、くれよ」  それ、と指を刺されたのは、僕のフォークに刺さっている肉。こんな食べかけ、渡しても良いんだろうか…?!混乱し始める僕の前で、なんとヴィンさんは口を大きく開けた。  治癒師の中でもトップクラスの腕前を持ち、明るく面倒見の良い兄貴分。おまけに整った顔と、程よく焼けた肌、筋肉質な体を持つヴィンさんはとっても人気がある。ヴィンさんに癒してほしいって指名が殺到する程に人気がある。そんなヴィンさんが、今、目の前で、僕の肉を待っている…!めまいがしそうな状況の中、意識を保っていられるのは奇跡に近い。あーーっと催促のような声を聞いて、手にしていた肉を、向かいの開け放たれている口の中へと震えながら奉納する。  パクっと口を閉じて咀嚼したヴィンさんは、眩しいぐらいの笑顔でうまいと笑って下さった…はぅ…格好いい…こんなの見たら、眠気も吹っ飛ぶ…。  けれど、ヴィンさんは何かを勘違いしたようで、起きろ~と目の前で手を振られてしまった。 「午後まで時間あるし、一眠りしてくると良い。俺のオススメの場所教えてやるよ」 「ふえ?!」 「今まで誰にも見つかったこと無いから、人と会う事も少ないと思う。ゆっくり休んできな」 「で、でも…!」 「昨日頑張ってたからな、遅刻も一刻ぐらいは目瞑ってやるって」  大きな手が伸びてきて、頭を揺らすように撫でられる。少し痛しいし目が回るけど…ヴィンさんにそうしてもらえるのが嬉しくて、僕は大人しく頭を差し出し続けた。  ◆  教えてもらったヴィンさんのオススメの場所は、古びた資料室だった。  この国を歴史について書かれた本ばかりが集められているようだ。痛みも激しいから、引退した同じカテゴリーの本たちをまとめてここに保管しているのかもしれない。古本の独特なにおいに包まれた室内だけれど、自然と落ち着くのも確かで…こんな良い場所を、僕なんかに紹介してしまって良かったのかって心配になってしまう。だけど、僕一人のせいか、心配よりも眠気が勝ってしまい、遠慮しようと言う気持ちは遠のいていく。日当たりの良さそうな場所に目星をつけると、とうとう床へと寝転がった。悪いと思いつつ、落ちていた本の上へ頭を置いたら、瞼はすぐに降りてきて…いつの間にか夢の世界に旅立っていった。  気付けば、お花畑の中で横になっていた。とてもいい匂いがするんだ、お花畑に違いない。資料室で寝ていたはずなのに、なんでだろう…?それに、定期的にお腹を優しく叩かれて気持ちが良い。ぽんぽんって、昔お母さんが眠るまでしてくれたあれと同じやつだ。  顔の右側に温かい物を感じて、擦り寄るようにして寝返りを打つ。そう言えば、枕も硬い本だったはずなのに、柔らかい物に変わっていた。 ああ、本当にいい匂い…どこかで嗅いだ覚えがあるけれど、どこだったっけ…?つい最近…昨日ぐらいだったような…?ぐりぐりって顔を押し付けると、柔らかい感覚に包まれて、そのいい匂いが強くなった。 「んっ、はは、やめ、くすぐったいだろ」  遠くでそんな声が聞こえる。髪の毛を指で梳かれて気持ちが良い。 「こら~少年~。寝てて良いのかぁ?」  だってこんな気持ち良いんだ…もう少し、ここで微睡んでいたい…。 「それはおにーさんも大賛成なんだけど、ヴィンに怒られたりしない?」  ヴィンに怒られ…  …ヴィンさん…?  ヴィンさん!!!  勢い良く目を開けると、真っ黒が視界いっぱいに広がる。そこから少しずつ上へとずらしていけば…そこには麗しのエリオットさんの顔があった…。なんでここにエリオットさんが…?混乱した頭でじっと金色の瞳を見つめていれば、スっと優し気に細められた。 「おはよー、リオ」 「お、はよう…ございます…」 「随分と気持ち良さそうに寝てたけど、俺の膝もなかなかなもんっしょ?」 「え…」  なんとなく予想はついていたのだけれど…ご本人様からのお言葉にゆっくり視線を横へずらせば、そこはエリオットさんのおみ足。 「ひゃぁあ?!?!」  なななななんて事をしてしまったんだ、僕は…!全速力で起き上がり、尻もちをついた態勢で後ろへと後ずさる。けれど、本棚だらけの部屋のせいで、すぐに背中は行き止まりに行きつき、大した距離を開ける事もできなかった。あんな至近距離でエリオットさんとお話しするなんて…!バクバクと煩く動く心臓が、口からでてしまいそうだ…! 「ぷっ、本当、お前の反応にハナマルあげたい…!」  俺のツボつくんだよなぁと楽し気に笑う姿を見て、褒められているのか微妙な気持ちになる。クツクツ喉を鳴らして笑っていたエリオットさんと目が合うと、今度は意地悪げな表情を浮かべた。 「ところで、良いのか?午後の鐘、けっこー前に鳴ってたけど?」  壁掛けの時計を見れば、ヴィンさんが言っていた午後の始業時間からの一刻はもうすぐだ。ここからだと、走って戻れば間に合うかもしれない…! 「す、すみません、僕、戻ります!」  立ち上がり、エリオットさんに頭を下げる。ひらりと手を振って見送ってくれている…本当は、もっと丁寧にお礼も言いたい。けれど、午後の僕の担当は、治癒班。唯一、僕の力が役に立てる仕事だ。とにかく早く戻らなきゃ…!気持ちは焦るばかりで、見送ってくれているエリオットさんへの挨拶もそこそこに、治癒室までの道を駆け出した。

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