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第6話 先輩たちとお昼休み

   視線が痛い…向けられる興味津々な視線を避けるようにして、ひたすらにタイルを見て歩く。顔なんて上げられない…。  逃げるように顔を下げたけれど、その視界の中に黒い服の裾が揺れているのが見える。それを見て、今僕は特務隊の方と行動を共にしているんだって言う事を再確認させられてしまい、視線を集めている事に行きつき、逃げたくなって…の無限ループ。憧れの制服だったのだけれど、今だけは遠慮したい気分だ。なるべく視界に入れないよう反対側へ視線を動かしてみようか… 「下ばかり見ているとぶつかるぞ」  待ち構えていたかのようなタイミングで声を掛けられ、反射的に顔を上げる。隣を歩いているのは、エリオットさんを叩き起こしにきたクレアさん。僕の反応を見て、眼鏡を押し上げながら苦笑を浮かべていた。  エリオットさんの部屋でしっかり寝坊をした僕を見つけたクレアさんは、僕を部屋から連れ出すと、迷わずに宿舎の出口へ向かって歩き出していた。後ろからエリオットさんが何か叫んでいたけれど、引っ張られるように早足で歩いていた為に部屋からはすぐに離れてしまったので、内容までは聞き取れなかった。  宿舎を出た所で手は放して貰えたけれど…治癒室まで送ろうと言われ、断り切れずに隣を歩く事になった。午前中、皆が出勤して賑わっている明るい城内へ、あまり会えることのない特務隊の方が現れたらどうなるか…?きっと、僕がその辺で働いている人間側だったらガン見する。だって、特務隊なんだ。おまけにその特務隊の方の隣を一般治癒師が歩いていれば、そっちにだって興味が惹かれる。つまりは、そういう事で…色々な感情が混ざったそれが僕にも集まり、冒頭の行動へとつながる。 「す、すみません…」 「いや、気をつけてくれればいい。君は…リオと言ったな?」 「は、はい…!」 「エリオットに付き合わせてしまって悪かった…」 「いえ、そんな…!僕の方こそ、遅くまでお邪魔してしまって…!」 「あいつの部屋汚いだろう。体、大丈夫か?」 「あはは…僕、体は丈夫な方、っくしゅ」  まるで肯定するようなくしゃみを披露してしまい、クレアさんがほら見ろと笑う。眼鏡の奥にある鋭い目は、今は優しく細められていて、印象がだいぶ変わった。  初めて見た時は、見た目通り冷たい人だと思っていた。話している姿を目にしたのも、怒っている事ばかりで…そうさせている原因の人と一緒に居る時しか見てないのだから、仕方のない事なのかもしれないが…。本来のクレアさんは、きっと今のように優しい方なのかもしれない。  少しだけだけれど、クレアさんの事を知れて良かった、なんて思いながら歩いていれば、治癒室はもうすぐだ。流石に本当に部屋の前まで送ってもらうのは申し訳ないし、皆に見られるのが恥ずかしい。一つ前の角で、ここで大丈夫ですと伝えると、察してくれたクレアさんはそうかと頷いてくれた。 「遅刻を指摘される事があれば、私の名前を出して構わない。朝一から借りていたとヴィンにも言っておこう」 「え、でも…」 「特務隊特権だ。権力なんて、こういう時に使うべきだろ?」  カチャっと音を立てて眼鏡を押し上げたせいで顔の半分が隠れてしまう。けれど、少しだけ見えている口元の端は吊り上がっている。冗談を言って、僕の気を紛らわしてくれている事に嬉しくなって、僕も素直にその特権に甘えようと思った。礼を述べて頭を下げると、ぽんぽんと優しく頭を撫でられる。ああ…今の僕、最高にだらしない顔をしてるかもしれない。  クレアさんがコートの裾を翻して仕事場へと戻る姿を、背中が見えなくなるまで見送る。貴重な体験をしたなぁとホクホクしながら治癒室へと向かおうと振り返ると、目の前に人が立っていた。 「うひゃぁ?!」  いきなりの登場の上に、近すぎる距離に驚いて、その場で腰を抜かしてしまう。みっともなくついた尻もちのせいで、尾てい骨へ痺れるような痛みが走る。あんな至近距離に立っているなんて、一体誰だ…?!確認しようと顔を上げれば、無表情でじっと見下ろしているのは同僚のルーラだった。なんだ、知り合いか、吃驚した…と思ったのも束の間で、彼女は何も言わずにただ見つめてきている。異様な状態に、恐怖すら感じてしまう。 「ル、ルーラ…?」  おそるおそる声をかけると、数回瞬きをしてやっと動いてくれた。 「…おそよう、リオ」  こちらへ手を差し伸べながらのルーラの発言に苦笑を浮かべてしまう。これは怒っている。僕が遅刻をしたせいで、僕の仕事が彼女に回ってしまったのかもしれない。手を握り返すと、強く引かれ体は立ち上がる。 「ごめん、遅刻して。忙しかったよね?」 「…別に」 「本当にごめん、午後は君の分少し巻き取るよ」 「…お昼」 「え?」 「お昼、奢ってくれれば許すわ」  頬を染めてそっぽを向いたルーラが呟く。ご飯の方が良いと本人が言うならば、僕はそれで構わないけれど…そんなにお腹すいてたのかな…?首を傾げて考えていたら、不満そうな視線が刺ささってきた。返事を催促されている。 「分かった、お昼は一緒に食べに行こう……食堂でも良い?」  話してる途中で、はっとして念のために聞いておく。ここで城下の高い店が良いと言われたらどうしようかと思ったけれど、了承してくれて良かった。  ◆  相変わらず混んでいる食堂で、本日のおすすめプレートを二つ頼む。ルーラはそれにデザートを追加していて、中々のお値段になってしまったけれど…遅刻した手前、ダメとは言えなかった。うう…なんでお菓子ってこんなに高いんだろう。お互いに自分の食事を手に持ち、奇跡的に空いていた窓際の席へと落ち着く。 「…?なんで隣に座るんだい?」  向かいも空いているのに、何故だか隣の椅子を引いたルーラを見つめる。僕の質問に、彼女は顔を赤くすると乱暴に腰かけた。 「今から反対側へ回るの大変じゃない」  確かに、食堂のテーブルは端から端まである長い物だ。窓際に座ったから、向かいの席に行くには今通った道を戻って、再び窓際までくる必要がある。言われてみれば大変だ。 「ところで、なんで紙袋なんて持っているの?」  食事の隣へ置いた紙袋は、先日城下に下りた時に買ってきたクッキーだ。エリオットさんへ渡したものと同じ物だけれど、ヴィンさんにも迷惑をかけてしまったので渡そうと持ってきていた。今日のヴィンさんは午後からの出勤だったはずだから、仕事に入る前にここで食事をとっているはずだ。 「ああ、これはね…」  その事を説明しようと思ったら、向かいから食器同士がぶつかる音が聞こえた。顔を上げれば、噂のヴィンさんが立っていた。 「よ!」 「ヴィンさん!」 「お疲れ様です」  笑顔で片手をあげて挨拶をされ、僕もルーラも深々と頭を下げる。 「席空いてなくてな、ここ良いか?」 「もちろんです!ね、ルーラ」 「え、ええ…」 「悪いな、デート中だったのに」  苦笑を浮かべながら椅子に座るヴィンさんの発言に驚く。デートって、僕たちの事を言ってるんだろうか…?あまりにも予想外の発言に、思わず笑ってしまった。 「ただ一緒にご飯を食べていただけですよ」 「ん?そうか?」 「それよりも、ヴィンさん、これ」  隣に置いておいた紙袋を、向かいのヴィンさんへ差し出す。なんだ?と不思議そうにしながらも受け取ってくれて一安心だ。この前エリオットさんに話を通してくれたお礼で、中身はクッキーだと告げれば目を大きく開いて僕を見つめてきた。 「え…あれぐらいで、お前…」 「僕のせいでヴィンさんに迷惑を掛けてしまって…この節は、本当にありがとうございました」 「いや…全然問題ないが…礼の対価がデカすぎやしないか…?」 「あ…もしかして、クッキーは苦手でしたか…?」 「いや、好きだけど……あ~~、まあいいか。ありがとな。でも、次からここまで気使わなくて良いぞ」  迷惑をかける事を二回も起こしたくはないけれど、ニっと笑いかけられしまい、反射的に頷いて答える。もし、また機会があるとしたら、僕は絶対にお菓子を持参してしまうと思うけれど…。既に話題は他に物に切り替わっていて、それについて口にする事は出来なかった。  昼休憩も半分は過ぎ、食事が一段落した所で、ヴィンさんが先ほど僕が渡した紙袋に手を掛ける。 「花ついてる…リオ~、お前中々タラしてんじゃん?」 「えぇ?!ち、違います、それはおまけで…!」 「はいはい、おまけな」  笑いながら流したヴィンさんは、立ち上がると手を伸ばしてきた。手にしていたのは、おまけでつけてもらった白い花だ。どうするのか眺めていれば、その花は僕の髪へと差し込まれる。エリオットさんが差してくれた所と反対側へと飾られた花を見て、ヴィンさんは満足げに笑う。 「おー、似合うなぁ」  わしゃっと髪の毛を乱しながら撫でられ、顔が火照っていくのを感じる。フラッシュバックするのは、夕日を背にして妖艶に微笑むエリオットさんの顔…思わず反応しそうになった下半身を、慌てて両手で抑えた。もじもじと膝を合わせ俯いて座る僕を見て、照れていると受け取ってくれたヴィンさんに感謝だ。 「ヴィンさん、リオは男ですよ」 「怒んなよルーラ、美人が台無しだぞ~。ルーラには白よりも赤って感じだからなぁ」 「そういう問題では…」  早く落ち着かせなきゃ…!真横と目の前に居る二人のやりとりが、どこか遠くに感じる。昨日の夜も苦労したけれど、なんで僕ってばこんな簡単に反応してしまうんだ…試しに爪で太ももを抓ってみたら、ピクっと体が揺れる。逆効果な事をしてしまい、俯く角度が深くなった。 「リオ…?体調が悪いの…?」  とうとうルーラが異変に気付いて心配そうにのぞき込んできた。荒くなりそうな呼吸を必死に抑えながら、なんとか笑顔を作る。 「だ、大丈夫…元気だよ」 「今朝も特務に付き添われて遅れてきてたじゃない…特務に何かされたんじゃ…」 「何もないよ?!」  クレアさんとは何もない、クレアさんとは何もなかった。スレスレな所を掠めたルーラの発言に、過剰反応をしてしまった。怪しむルーラから逃げるように視線を泳がせると、前に座っていたヴィンさんと今度は目が合う。薄い茶色の瞳は、見通すようにじっと僕を見つめている。まるで自白を迫られているような気分になり、更に目を泳がせる。 「…リオ」  名前を呼ぶ声はとても静かなのに、断らせない重みを感じる。自然と眼球が動いて、再びヴィンさんと目があった。 「…何か、されたのか?」 「…さ、されて、ません…」 「…今朝一緒だったのは、エリオットか?」 「ッ?!」 「そうか…あの野郎…許さん」  朝だけじゃなくて昨日の夕方からずっと一緒で、エリオットさん風に言えば、大人のオトコにして頂いたなんて…口が裂けても言えない。あの行為が何だったのかは分からなくても、ほかの人に言っちゃいけない事なのはなんとなくわかる。だけど、体は正直で、エリオットさんの名前が出されれば簡単に反応を示してしまった。  僕の動揺っぷりをみて、ヴィンさんからは聞いたことも無い低い声が漏れる。どうしよう、あんな恥ずかしい事を知られたくない…!焦っているけれど何も言えない僕に代わり、話の流れを変えてくれたのはルーラだった。 「エリオット…?あの眼鏡ってエリオットって名前だったかしら…?」 「眼鏡?」 「はい。今朝一緒だったのは眼鏡のロン毛男でした。いつもと少し雰囲気は違っていたけれど…」 「クレアか…?そう言えば、リオを朝一で借りたと言ってたな…あとで本人に詳しく聞いておくか」  一人で納得すると、パっと雰囲気をいつも通りに戻したヴィンさんは、袋からクッキーを取り出す。この話は終わりだと言うように、そのままクッキーは僕の方へと向けられた。 「?」 「リオも、食えって」 「え、でも…」 「いいから、いいから。甘いの好きだろ?」  ずっと顔の前に出され、断り切れずに受け取る。資料室でエリオットさんと食べた物と一緒のクッキーが、手のひらに収まった。蘇ってくる記憶のせいで、せっかく収まってきた下半身が再び熱を持ち始める。もう…なんでこんなに簡単に反応するんだ、僕の下半身…!内心涙目になりながら、自棄になってクッキーを口の中へ入れると、甘い味が広がった。 「あれ?味が違うのか、リオのも美味そうだったなぁ。味見しときゃ良かった」  ルーラにもクッキーを配っていたヴィンさんが、残りのクッキーを見て笑う。冗談交じりで言ったんだろうけれど…僕に、返事を返す余裕なんてなかった。 「リオのの方が美味しそう」 「味見、してもいーい?」  近付いてくる綺麗な顔、狙いすました金色の瞳、舌の上に広がるほのかな甘さ…。資料室で体験したあのゾクっとした感覚が呼び起こされる。 「ン、…ッ!」  クッキーを口に入れていて良かった。閉じていなければ、完璧に声が漏れていたはずだ。こんな昼間、人の多い食堂で、顔見知りの前だって言うのに、ここにはいないエリオットさんの事を思い出して下半身が疼くだなんて…最低だ…! 「リオ…?」  限界だった。心配げな表情のヴィンさんに挨拶なんてする余裕もなく、勢いよく立ち上がると全速力で走り去る。後ろの方で、僕を呼ぶルーラの声も聞こえるけれど、それを無視して逃げるようにトイレ目掛けて駆け抜けた。

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