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第11話 同僚と酒場

「治癒で治ってはいますが、念のためにも安静になさってくださいね」  高熱で倒れたと運び込まれた侍女さんは、僕の言葉に深々と頭を下げた。  急患担当が埋まっていて困っていた所で、雑務に向かおうとしていた僕を見つけ、彼女の担当へと回されたのはついさっきの事だ。一人で立つことも難しく、同僚に引きずられるようにしてやってきた侍女さんだったけれど、僕を見上げる顔色は大分良さそうだ。良かった。  さて、治癒も終わったし通常業務へ戻らなきゃいけない。時間が押してしまっているので、半分ぐらい昼の時間に食い込むだろうなぁ…でも、急患が最優先なのもわかるので仕方ない。  この後の事を考えていたら、侍女さんは横になっていたベッドから起き上がり、立ち上がろうとしていた。本調子じゃないせいか、ゆっくりとした動きがはらはらする。大丈夫だろうかと心配していた矢先、侍女さんの体が傾いた。慌てて抱きとめると、申し訳御座いませんってか細い声がする。まだ体が辛いのかな…頬も少し赤い。 「あ、すみません」  とっさに抱きとめてしまったけれど、女の人を長時間触るわけにはいかない。  謝りながら離れるため体を引いたのに、侍女さんの体は僕を追うように密着してくる。何かおかしい…違和感に首を傾げていると、突然名前を呼ばれた。 「リオさん…!」 「は、はい?!」 「こんな所で突然ごめんなさい。どうしても、伝えたい事があるんです…」 「えっと、なんでしょうか…?」  僕より少しだけ背の低い侍女さんが、胸にすがり付いたまま見上げてくれば、必然的に二人の距離は狭くなる。  熱っぽい瞳をしているな…もう熱は下がっているはずなのに、どうしてこんなに潤んでいるんだろう。それに、なんで僕の名前を知っているんだ…?僕、名乗った覚えはないんだけれど… 「ずっと…お慕いしておりました」 「はぁ、ありがとうございます…って、え?!」 「あの、お付き合いして頂けないでしょうか…!」 「え、いや、ちょっと待って下さい…!」 「駄目でしょうか…?!」 「ちょっと、落ち着いて…!熱上がりますから…!」  引っ付いてこようとするのを力づくで離して、少しでも距離をとる。それでも近づいて来ようとしてくるので、彼女に追い詰められるように後退していく。じりじりと距離を縮められて、気持ちはどんどん焦っていく。  どうしよう…!こんな時、どうしたら良いんだろう?とりあえず、相手を刺激しないように、返事をしよう…! 「えっと…ごめんなさい、貴女とは付き合えません」 「どうしてですか?」 「え?だ、だって、僕たち初対面ですよね?お互い何も知らないし…」 「やっぱり、あの人ですか?」 「…あの、話、聞いてますか?」 「エリオット様がいるから…あの方のせいで、リオさんまでおかしくなってしまった!」 「エリオットさん…?!待って、何でそこでエリオットさんが出てくるんだ?!」 「お願い、リオさん、あの方だけは止めた方が良い。仕事柄、色々な話を伺いますけど、あの方は良い話を聞きません」  その発言に、思わず唇を噛んだ。前に騎士さんにも言われた、エリオットさんの噂話。  あまり良くないと言う評判は嘘だけだなんて、直接話せばわかることだ。もしかしたら、干渉のせいで僕と似たような関係の人が他にいるなかもしれない。けれど、一番最初に治癒をしようとした時、あの人はやめさせようとした。それを考えれば、自ら性処理の相手を好んで増やしているように思えない。  真実を知らない人による想像や、妬み、見た目の綺麗さも相まって良くない噂が独り歩きをしてしまったんだ。  本当は、とっても優しくて、甘えたで、少し寂しがりな人なんだ。  エリオットさんのことを何も知らないのに、悪く言わないで欲しい。けれど、その印象を払拭させるほどの事を、僕にはできない。いつの間にか噛む力が強まって、口の中で血の味が広がった。 「仕事が残っているので、失礼します」  もうこれ以上聞きたくない。何か話している侍女さんの前を通り抜けて、逃げるように薬室へと向かう。話しかけないで欲しいと伝えているのに、それでも後を追ってくる彼女に苛立ってしまう。でも、ここで僕が当たり散らしてしまえば、エリオットさんのせいにされかねない。  悔しい。少しはエリオットさんの役に立っているかななんて思っていたけれど、足を引っ張ってばかりだ。  関係者以外立ち入り禁止の場所までくれば、さすがに相手も追ってこれないだろう。泣きそうな声で名前を呼ばれたけれど、振り返る事は出来なかった。  荒々しく閉めたドアにもたれ掛かかり、深く息を吐いた。窓もなく、日差しが入らない薬室は灯りをつけないと真っ暗だ。暗闇の中、独特の匂いに包まれながら、ずるずると体が落ちて行く。噛みしめていた唇から力を抜き、詰めていた息を吐いた。 「……痛い」  この痛みは、きっと唇の端が切れたせいじゃない。  ◆ 「リオ。ちょっと良いかしら」  仕事上がり。  いつもと違うルーラの声に、動きが止まった。  侍女の一件から、エリオットさんがどれ程までに印象が良く無いのかは分かっていたし、ルーラがエリオットさんの事をよく思っていない事も知っていた。彼の治癒で指名をされ部屋に向かう僕へ、物言いたげな視線を向けていた事も…。  僕が気付かないふりをしていた事を、彼女も分かっていたはずだ。それを、あえて声を掛けてくる…とうとう沈黙を破る日がきたんだ。 「うん、どうしたの?」  嫌な予感を感じつつも、そうやって答える。話がある、ここでは話しにくい内容だからついてきて欲しいと言われ僕の返事も待たずルーラは歩き出してしまった。  声をかけても黙りで答えてくれない…仕方なく、彼女の後を追えばどんどんと人気の無い方へと進んでいき、予感は核心へと変わる。  あまり使用されていない治癒師団用の物置までやってきて扉を閉めると、嗅ぎなれた薬草の香りが充満している。薄暗い灯の中、彼女の背中を見詰め続ける。声をかけても良いものなのか…しばらくたっても切り出されず困っていたら、彼女にしては珍しいか細い声が聞こえた。 「リオは…エリオットと付き合っているの?」  あまりにも真っ直ぐな質問に言葉をつまらせる。付き合っているのか、なんて僕だってエリオットさんに聞きたいぐらいなんだ…。  付き合ってる同士で行う域にはまだ達していない…けれど、友達同士で行う域は超えてしまっている。それは一番自分が分かっている事だ。治癒の干渉だとわざとらしく理由を付けて、目をそらしていた所を指摘され苦しくなった。 「どう、だろうね…?」  なんて答えて良いのか分からなくて、曖昧な笑顔を浮かべての返答。それを聞いて、僕に背を向けていたルーラが勢い良く振り返る。何か言おうとしたんだろうけれど…彼女は僕の顔を見ると驚いたような表情を浮かべ、きゅっと唇を噛んだ。 「どうしてそう思ったの?」 「……この一ヶ月間、三日に一回の間隔で指名が入っているし…二人の雰囲気が…」  確かに、エリオットさんの指名は頻繁だったし、その度に性的な接触があった。でも、それだけなんだ。  好きとか嫌いとか、感情を確認する事は何もない…第一、あの人は魔術師団の特務隊だ。対して僕は一介の治癒師…あまりにも差がありすぎる。  憧れの年上の人と、特別な関係なんて望んでいない。話せて、治癒をかけられる…それだけで満足なんだ。今の関係が壊れるよりも、このままが良い。 「エリオットさんはちょっと特殊で…でも、大切な患者さんだから」 「そう。それなら良いの…あの人はやめた方が良い」  なんでそんな事を言うんだ。  皆そうだ…皆、何も知らないのに良くないと口にする。エリオットさんの何を知っているって言うんだ。 「リオの為なのよ。私は、リオの、」 「ねえ、もうやめてよ」 「え…」 「もう、聞きたくない。エリオットさんの評判が良くないって、聞きたくない。本当はどんな人なのか知らないのに、どうしてそんな事言うんだ」 「だ、だから、リオの為に…!」 「僕が付き合う人は、僕が決めるよ!」  声を荒げたルーラにつられるように、僕も声の音量を上げる。もう限界だった。侍女さんとルーラの他にも、似たような事を言う人は居た。遠まわしでも、直接的でもあったけれど…もう嫌だ。知り合いのルーラってところもあって、今回の話で我慢していたものが込み上げてくる。  僕がここまで怒るとは思わなかったんだろう、呆然と僕を見つめる彼女をきつく睨み付ける。早く、どこかに行ってくれ、これ以上僕に構わないでくれ。  それなのに、彼女は小さく息を吐くと挑戦的に笑った。 「いい機会だわ」 「…は?」 「そこまで言うなら、着いてきて。私が正しい事を証明するわ」  はったりかもしれない…けれど、彼女は視線を逸らすことなく僕を見つめ続けている。自身があるのならば、見せてもらおう。エリオットさんが良くないと言う理由を。何を知ってもあの人の事を軽蔑するなんて事はあり得ない。  静かに頷いた僕を見てから、ルーラは部屋の扉を開けた。  彼女に連れてこられたのは、夜の城下。賑わっている通りから一本外れ、お世辞にも治安は良いとは言えない通り。チラチラと向けられる視線がねっとりとしている。声を掛けてくる事はないようだけれど、不快なのは変わらない。  そんな中、迷わず進むルーラの後をついて入ったのは、酒場のようなところだった。  窓際、柱の陰に隠れそうなテーブルへ座った彼女の向かいへ座る。すると、すぐに露出度高めの女性がテーブルまでやってきた。 「あら、可愛らしいお客様ね。どうする?」 「エール二つ」 「ちょっと、そっちのキミは飲めるわけ?」 「ああ…僕は、」 「就業済みよ。二つで良いわ」 「はいは~い」  ルーラのあまりよろしくない対応を咎めるように目で訴えるけれど、ここではこんなで良いのよと返されてしまった。彼女が一体どんな所で飲んでいるのか…少しだけ見る目が変わったと思う。  すぐに届いた泡だらけのエールを一口だけ口に含む。なんだか生温くて美味しいとは思えない…なんでさっきまで険悪だったルーラと、居心地の悪いお店に飲みにこなきゃいけないんだ。 「リオの為よ」 「…またそれだね」 「素面で目撃させないだけ感謝してもらいたいんだけど」  何を見せるつもりなんだろう。エリオットさんを悪く思う事は絶対にないけれど…何が待っているのかは少しだけ不安になる。  少しずつ飲む僕と、ルーラの間に会話は無い。そうなれば、騒がしい店内をぼんやり眺めつつ、入ってくる客層を観察する事ぐらいしかない。当然ながら僕たちのような人は一人もいなく、傭兵の様な出で立ちが多い。何人かそう言うお客さんが続いて、次に現れたのは黒いローブを羽織っている人だった。フードを被っていても、少しだけ出ているピンクゴールドの色を見つけて、息が止まる。エリオットさんだ。  エリオットさんなら僕ら以上に目立つはずなのに、周りのお客さんはまるで気付いていない。僕だって、じっと入り口を見つめていたから気付いただけで、入店時を目撃していなければ気付けなかったかもしれない。それぐらい気配を消して、入ってきたエリオットさんは、テーブル席を通り抜けると、カウンターへ向かう。  一人で飲んでいた男の人の隣へと腰を掛けると、柔らかい微笑みを浮かべ話しかけた。待ち合わせをしていたんだろうか…?相手の男の人の顔は見えないけれど、見た事も無い笑顔を浮かべたエリオットさんの顔は見える。 「…来たわね」  ルーラの声に、思わず握っていたグラスへ力を籠めた。やはり、エリオットさんで間違いない。  彼は、店員へ何かを頼むと、隣の男の人と肩が触れるぐらいの距離まで椅子を詰めた。笑っているけれど目は笑っていない、だけど、怒っているわけでもない…不思議な表情のまま、ひたすらに男の人へと話しかけている。  出されたグラスを飲み始めてから、他の動きが加わったのが分かった。最初は気づかなかったけれど、腰へ手を回した所ではっとする。遠慮気味に触っていた腕が、次第に大胆になっていき、しな垂れかかるような体勢へと変わっていく。男の人もまんざらでも無いらしく、時折エリオットさんの足や腰、しまいには頭を撫で始めていた。 「もう分かったでしょう。行きましょう、リオ」  これ以上見る必要がないと切り上げようとしたルーラの言葉に、反応は返せなかった。最後まで、どうなるかまでを見なければいけない…そんな気がしたんだ。  動かない僕に、何度か声をかけたルーラも無駄だと気付いたようで、上げかけていた腰を再び落ち着かせた。僕たちが話している間にも、エリオットさんたちの接触は続いていく。男の人が店員へ声を掛けると、何か鍵を渡される。それを受け取ると、二人が立ち上がった。 「嘘、やだ…」  口を抑えても聞こえてしまったルーラの声で、察しがつく。男の人の腕が腰に回されたエリオットさんは、その人へ抱かれるようにして店の奥にある階段の方へと消えて行った。  実際、彼らがどんな用途で奥へ向かうかなんて分からないけれど…あの階段の先に個室が用意さているのだけは理解できる。そして、この店でそこを使うと声を掛けた人たちが行う事と言えば、大抵…そういう事なんだろう。それなのに、最後までフードを下ろさなかったエリオットさんに笑ってしまう。 「…帰りましょう、リオ…リオ?!」  驚いた声に、どうしたのかと顔を向ける。そうしたら、何かがテーブルに落ちた。視線を向ければ、それは二つの染み…ぱたっとまた増えるそれに、自分が汚していたとやっと気づく。 「あ、れ…?」  ああ、泣いてたんだ、僕。なんで泣いてるんだろう…?  ルーラに、大丈夫って笑いかけたはずなのに、彼女も泣きそうな顔でこちらを見ていた。

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