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第12話 同僚との夜

 どうやって宿舎まで戻ってきたのか、覚えていなかった。  ただ、何も考えられず足だけが勝手に動く。その間、右手を引いてくれたルーラの手が、とても温かかった。  部屋に入り、灯がつくと少しだけほっとする。  促されて座ったベッドは、ふわりと花の香りがして、ここが自分の部屋じゃないことを教えてくれた。  右手を引かれたまま連れてこられてのは、ルーラの部屋だった。同じ間取りなのに、僕よりも荷物が多いせいか、少しだけ狭く感じるけれど、綺麗に整頓されていて汚さは感じない。  やることもなく部屋の主を目で追うと、彼女は隅に置かれていた箱の前で腰をかがめている。  何かを掴み、こちらへ振り返ったところで目が合った。僕がじっと見つめていたことに驚いた様子だったけれど、すぐににこりと笑いながら僕の隣へと座る。手に持っていたのは瓶入りのお酒で、こんなものを部屋持ち込んでいるなんて意外だ…今日だけでも、ルーラについて初めて知ったことが多い。  いつも一緒にいる相手でこれなんだ、エリオットさんについて僕が知っていることなんて、微々たるものなんだろう。  小気味よい音を立ててグラスに注がれる液体を眺めていたら、注がれたばかりのグラスが渡された。受けとって良いのだろうか…そこまでお酒は強くないから、これを飲んだらいけない気がする。迷っている僕に構うことなく、ルーラはグラスを押し付けると、新しいグラスにもう一杯注ぎ始めた。 「飲むと楽になるのよ」 「…でも…」 「特に、泣きたい時なんかは」  チラッと寄越した視線をすぐに戻したルーラは、グラスに入っている液体を口に含む。女性に先に飲まれてしまっては、断りにくい…さっきのエールも全部飲みきっていなかったし、少しだけなら大丈夫かな…。  グラスに口をつけると、予想外にも甘い香りがした。これはいけるかな?って思って口内に含んでみれば、度数の高さに吃驚する。だからと言って吐き出すわけにもいかず、味を確かめる余裕もなく喉へと落すと、胃が燃えるように熱い。これを飲めば弱い自分は絶対に酔いが回ってしまう。わかっているのに、何故だかこの甘い口当たりを止めることができなかった。一口だけで体がふわふわしてくるそれを、黙々と飲み続ければ、半分ぐらいは簡単になくなってしまう。 「泣いても良いのよ?」  ふらふらとする体を落ち着かせようと息をついた時、隣から静かに声をかけられた。だけど、そちらを向く気にはなれずぼんやり液体の表面を見つめる。  泣いて良いなんて言われても、酒場でなんで涙が出たのか分からないし、今だって我慢をしているわけじゃない。悲しくもなんともないのに、泣けるわけもない。  だから、ゆっくりと首を横へと振った。 「…辛いんじゃないの?」 「…分からない」  僕は辛いのだろうか?そう聞かれても、自身で自分のことがよく分からなくなってしまった。  でも、他の男の人と寄り添い歩くエリオットさんの姿を見て、単純にショックを受けたのは間違いない。  なんで、あの男の人なんだろう?やっぱり身長が高くて、大人な人じゃなきゃダメなんだろうか…あの人の代わりには、僕はなれないんだろうか…。 「僕じゃ、ダメなのかな」 「リオ…」 「隣に並ぶには分不相応だって分かっていたのに…いざ他の人に立たれると…とても、悔しい」  そうか…不甲斐ない自分に悔しくて。堂々とエリオットさんと触れられるあの男の人が羨ましくて…子供みたいに僕は泣いたんだ。  なんでそんな風に思ってしまったんだろう。いつから、隣に立つことを夢見ていたんだろう。どうやれば、年の差を埋められるんだろう…  止まったはずの涙が、再びぱたぱたとこぼれ落ちる。これ以上みっともなく泣かないようにと手のひらをきつく握るのに、涙は止まるどころか更に溢れてきた。  なんで止まらないんだ、もう泣きたくないのに…!止められない自分にも悔しくて、歯を強く食いしばっていたら、白くなった手の上を一回り小さい手が重なった。 「もう、立派な片思いじゃない…」 「片、思い…?僕が?」  突然の言葉に、理解が追いつけなくてルーラの方へと視線を向ける。彼女の大きな瞳に映り込んでいた僕は、ぽかんとしていてなんとも情けない表情を浮かべていた。  だって、信じられない。憧れではあったけれど、そんな相手を好きになるなんて…憧れと恋は似ていると聞いたこともあった。でも、僕はそれを勘違いしないと自信を持っていたんだ。エリオットさんを好きになるなんて、おこがましいにもほどがあるから。  それに、人を好きになった事がない僕だ。本当にこれが恋愛感情なのかすらも分からない。  想像でしかないけれど、恋ってもっと、綺麗で楽しいものじゃないのか…?嫉妬に塗れたこんな汚い感情なんか、好きとは言えないよ… 「自分のことを見てくれず、他人と仲良く話している姿を見て嫉妬して…そんな自分にも嫌になって…違う?」  まさにその通りだった。あまりにも自分の気持ちそのままを口にされて驚いてしまう。そんな僕を見て、ルーラは小さく笑った。 「そんなに驚くこと?」 「えっと…僕とあまり変わらないのに…ルーラも大変なんだなって…」 「片思いぐらいするわよ、私だって。だから、辛いのも分るの」  覗き込むようにして近づいてきた顔は、悲しげに笑っていた。  ずっと重ねられていた手が動くと、僕の握りこぶしを解いて、手のひらを合わせるような握り方へと変わる。きゅっと力が込められて、彼女の手の小ささがよく分かった。身長はそこまで変わらないはずなのに、こんなに小さな手だったんだ… 「楽になれる方法があるわ」  予想外の発言に驚く。このもやもやした気持ちをどうにかできるとは到底思えないけれど…でも、どんな方法なのかは気になったのも確かだ。ルーラの言葉を待つように見つめると、薄く笑みを浮かべた。 「忘れてしまえば良いのよ。叶わぬ相手なのだから、やめてしまえば良いわ」  呪文のように唱えられて、そう言う物なのかと納得してしまいそうになった。  でも、今やっと好きなのだと自覚した感情を、すぐに殺すことなんてできるのだろうか。気づくのにすらここまで時間がかかったんだ、そんな器用な事を僕ができるとは思えない。  それに、エリオットさんを諦めるって言うことだけは、どうしても出来そうにない。無意識のうちにあの人の事思ってしまうんだ、止められる訳がないじゃないか。  無言で首を振ると、まあそうよね、と苦笑が返ってきた。無理だって分かってるのに提案してくるなんて…ルーラも意地が悪いよ。 「じゃあ、一瞬でも目を逸らせる方法にしましょう」  代替え案まであったのか…それが一体何なのか聞く前に、体が勝手に動いた。背中に衝撃受け今まで見ていた視界が一転、白い天井が広がる。それを覆い隠すように、ルーラの顔が覗き込まれてきた。 「ルーラ…!」  さすがにこの状況まで追い詰められて、この後何が起こるか分からない僕ではない。咎めるように名前を呼んだけれど、彼女は微笑みを浮かべたまま跨がるように僕の体の上へと乗り上げてきた。 「快楽に溺れれば良いわ。その瞬間だけは忘れられるから」 「そんな、一時的な事じゃないか…!」 「そうよ。でも、それが必要になって行く…気持ちいい事だけ、考えましょう?」  甘ったるい花のような香りと共にルーラの顔が近づいてくる。駄目だ、これ以上は駄目だって思っているのに、なぜだが体はピクリとも動かなかった。  動揺しているのか、呼吸が荒くなる。半開きになっている口元へと彼女の唇が寄せられた。 「んっ、ルーラ…ッ」  触れるだけの軽い物を数回繰り返されてから、塞ぐように口付けられる。迷わず入ってきた舌は、奥の方で縮こまっていた僕の舌へと絡ませられた。  僕とルーラでは大きさが全く違う。彼女の小さな舌では、僕の舌を舐めあげる事も大変だろう。時折苦しそうに漏らされる息で、無理をしているのが分かる。  小さな舌でチロチロと舐められるのは、それはそれで気持ちが良いけれど…エリオットさんが与えてくれる物に比べたら拙くて、溺れるなんて事は出来なそうだ。  それでもめげずにキスを続けてくるルーラは止める気は無い。仕方ないか…彼女の舌を絡め取り、主導権を握る。  付け根から始まり、歯列をなぞって、上顎の部分まで舌を這わす。仕上げとばかりに、彼女の舌を軽く吸い上げると、体を震わしながら力が抜けて行くのが分かった。  それを見てから唇を離せば、恍惚した表情を浮かべたルーラが胸へと倒れ込んでくる。押しつけられるように柔らかい感触は、エリオットさんには無い物。  いつもなら硬くなっているエリオットさん自身を痛いぐらいに下半身に当てられて、エリオットさんが僕なんかとの行為で興奮しているっていう事実に、僕の物の硬くなって行って…けれど今は、こちらにも柔らかい感触がゆらゆらと押し当てられている。  いつもとは違いすぎる状態が違和感過ぎて、行為に興奮するなんて事はどこかへ飛んでいってしまう。  ルーラは綺麗な女性だ。胸だって決して小さくないし、女性らしい香りと、強請るような表情を浮かべ、誘うような腰使いで下半身を刺激されれば、簡単に崩落しただろう。年若く体が小さいと言ったって、男だ。そこまで刺激をされれば、性欲を感じざるを得ない。  それが、少し前の僕であれば。  ここまで刺激をされているのに、僕の下半身は柔らかいまま動かない。せいぜい、くにくにと押しつけられる力で形を変えている程度だ。それはルーラ自身も気づいているようで、体を起き上がらせると、自身の上着のボタンを開け始めた。目の前で揺れる胸に視覚を刺激されているはずだけれど…  揺れるのであれば、間接照明に照らされて揺れる、ピンクゴールドの髪の方が僕には厭らしく思えてしまう。 「ルーラ…」  もうやめよう。こんなこと。  呼びかけるけれど、彼女の動きは止まらない。僕の服にまで手を伸ばして、胸のあたりまで捲りあげられる。外気に晒されて反応した乳首へ生暖かい舌が這わせられた。  小さい舌で舐めながらぷっくりした所を吸い上げられると、ゾクっとした物が走る。けれど、それだけで、それ以上は何も感じない。  エリオットさんにしてもらった時は、気持ちよすぎて、声が抑えられない程だったはずなのに…これは、経験の差なんかじゃない。  僕が、エリオットさんじゃなきゃ駄目な体になってしまったんだ。 「ねえ、ルーラ」  名前を呼ぶけれど、やはり僕の声は無視されて、触る位置がどんどんと下の方へ移動していく。ズボンへ手をかけられた所で、やっと、彼女の手首を掴んだ。 「リオ…」  見れば、今にも泣き出しそうな顔をしている。どうしてそんな顔をしてまで僕と関係を持とうとするのか…いや、それは愚問か。そうしたい理由なんて、一つしかない。 「だめだ、ルーラ」 「どうして…私じゃだめ?魅力無い…?」 「ルーラは魅力的だよ、だけど、これは、」 「じゃあ良いじゃない、私は、あの男の代わりで良いの…!」 「なおさらだめだ。君を代わりになんて出来ない」  ゆっくりと起き上がり、膝の上に座っているルーラの服装を正してやる。僕がボタンを留めていくのを、彼女はぼんやりと見つめていた。 「代わりで良いなんて、言っちゃだめだ。最中は良いかもしれないけれど、終わった後に辛くなるだけだ」 「…そんなこと、リオには関係ないわ…」 「だめだよ。ルーラが悲しむ事を、僕はしたくない。分かって?」 「…我が侭よ、そんなの…私は、抱いて欲しいのに…!」 「うん、そうだね。でも、僕はルーラが好きだから。そんな気持ちで君を抱くなんて出来ないんだ」 「ずるいわよ、リオ。エリオットのとは違う好きなくせに、そんな言い方…」 「うん、ごめん」  彼女が僕へ好意を寄せてくれている事を自覚した今、それを逆手に取るような行動を取る事が卑怯なのは分かっている。けれど、そうすれば彼女が強くでれない事も、分かっている。  下を向いたまま、鼻を啜る彼女には感謝しているし、大切なのは変わりない。  ここで勢いに任せてしまっては、お互い辛い思いをする。だから、きちんと言わないと。 「ありがとう。それから、ごめんね。僕は、他に好きな人が出来たから」  抱きしめると柔らかい体。細すぎる腰。香ってくる花の香り。全てが僕の好きな人とは違う。縋るように抱き返してきたくせに、泣く事を必死に我慢するのは彼女の意地だろう。  膝の上からルーラを降ろし、立ち上がる。戻るねって声をかけたら、弱々しくだけどいつものように笑顔を返された。  大分時間が過ぎてしまったようで、開けた扉の先は真っ暗だった。消灯時間はとうにすぎている事が分かる。 「おやすみ」 「ええ、おやすみなさい」  ゆっくりと扉を閉め、歩き出す。しんと静まりかえった廊下は、僕だけしかいないような錯覚を起こしそうだ。  今日は色々あった。ルーラと喧嘩をして、エリオットさんの知らない顔を見て、自分の気持ちと向き合って。酔いも一気に覚めてしまうような事もあった。  この変化のせいで、今後どんな風に転がって行くかは分からない。もしかしたら、良くない方向へと進んでしまうかもしれない。不安で仕方ない。次回以降、エリオットさんからの指名の時、どんな顔をしたらいいんだろう。また勝手に嫉妬をして自己嫌悪したらどうしよう。  次から次へと出てくる不安だけれど、やっぱりエリオットさんに会いたいなぁ…  憧れだとばかり思っていたのに、これが好きになるって事だったなんて…お付き合いしたいとは思わないけれど、この気持ちは大事にしておきたい。  言うつもりもないこれは、きっと辛い恋なんだろう。 「片思いって、本当に辛い…」  吐き出した弱音は、暗闇へと消えていく。明日には、しっかりと笑っていよう。  ルーラがそうしたように、僕も強くなりたいと思った。

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