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第16話 おにーさんと自室

   約束の3日後まで、生きた心地がしなかった。  事情をどこまで知っているのか分からないけれど、ヴィンさんが毎日のように大丈夫だってと励ましてくれた。その笑顔とヴィンさんが言ってくれていると言う事実だけで心強い。  ヴィンさんが大丈夫だと言ってくれているのだから、言葉通りなんだ。  それなのに、心のどこかでは最悪の結果を想像してしまい、何がどう大丈夫なのか納得のいくような説明が欲しいと怯える自分もいた。だからと言って、それをぶちまける訳にもいかず…ありがとうございますと笑顔で覆い隠す事しか出来ない。  そのしわ寄せは、気づけば睡眠にきていて、眠りたいのに眠れない夜が続いた。  それでも、自身への治癒のおかげで倒れるなんて事はなかった。けれど、眠れていないのは事実なので、顔色は必然的に悪くなってしまい、誤魔化す事は難しい。  治すことが仕事の僕がひどい顔色では、患者さんだって気を遣ってしまうだろう。  その影響はすぐにでてしまって、常連となっている騎士さんに甘い物の差し入れを貰ったり、補充業務中、各部屋でお手すきな方々に補充を手伝ってもらったり…  しまいには、一悶着あったルーラですら、心配になったと声をかけてきた程だったから、とんでもない顔を晒して歩いていたのかもしれない。  ルーラとは、あの夜以降、事務的な会話を交わす程度の関係になっていた。と言うか、相手は何か言いたげにこちらを見てくるのだけれど、僕の方が気まずくて…なんて話をしたら良いのか分からず、避けてしまっていたんだ。  そんな意気地なしだった僕とは違い、ルーラは、僕の体調を気遣う会話を交わした途端、急に吹っ切れたと笑顔を浮かべる。迷惑かけてごめんなさい、ずっと謝りたかった。もしかして、顔色悪いのも私のせい?とまで言わせてしまい…本当に僕と言う男は情けない。 「ふうん、その話し合いっていうのが今夜なのね」 「うん…」 「眠れない程緊張しているリオには悪いけれど…私も大丈夫だと思うわよ」 「そうかな…ありがとう…」 「気休めとか社交辞令とかじゃなくって、本当にそう思ってるのよ?」  もうルーラに誤魔化す事は必要無いだろう。なぜこんな状況になっているのか、体の関係があったと言う所を濁し、僕がエリオットさんに八つ当たりのような事を言ってひどく傷つけてしまったと話したのに、やっぱりルーラは大丈夫だろうと笑った。  なんでみんな大丈夫だと言えるんだろう…詳細を知らないとしても、そこまで確証の持てる何かがあるんだろうか。それとも、他人事だからこその気休めなのか…どうしても納得がいかない。 「まあ、本人達が気づいてないだけなんでしょうね」 「本人達…?」 「私としては、リオはエリオットに対してもっと我が侭になっていいと思うわ」 「そんな…!」 「先だったのはエリオットの方なのでしょうし…」 「先…?」 「う~ん…教えてあげたいけれど、これは本人に聞くべきかしら…とにかく、リオはいつも通りで大丈夫よ」 「…そうかなぁ…」 「強いて言うなら…素直になること、とか?」  もっと話を聞きたかったけれど、時間は有限では無い。仕事の合間に話せたのはここまでで、ルーラはもう行かなきゃと慌ただしく部屋を出て行ってしまった。  不安でたまらない…けれど、もうこれ以上誰かに迷惑をかけるわけもいかないだろう。約束の時間まで後少し…覚悟を決めなければならない。  ◆ 「お疲れ様でした」  定時少し前には、僕の仕事は全て片付き、ぴったりに治癒室の扉を開ける。室内へ向かって挨拶をしてから外へ出ると、あたりは日が沈んで暗くなっていた。  話では、エリオットさんが迎えに来てくれているはずなんだけれど…どこに居れば良いだろうか…?あたりを見回すと、ちょうどこちらへ向かって歩いてくる人を見つけた。  アシンメトリーのピンクゴールドは、紛れもなく待ち人その人だ。こうやって、一歩下がって見るエリオットさんも凄く綺麗で見とれてしまう。  僕と目が合うと、エリオットさんは驚いてから小さく苦笑を浮かべていた。 「お疲れ、リオ」 「お疲れ様です…!」 「そんなかしこまんなって…とりあえず、行こーぜ」  促されるように背中を押され、僕の体も無意識のうちに歩き出す。  この間のことを早く謝りたいけれど言葉が出てこず、どこへ行くのかなんて気軽に声もかけれなく…ぱくぱくと口だけを動かす僕を見て、エリオットさんはやっぱり苦笑をした。  それから、全く関係の無い今日の仕事で嫌だった事を話し始めてくれて…こんな所でも気を遣わせてしまった。  背中を押す手で、方向を教えてくれたせいかすんなりと着いたのはエリオットさんの自室だった。  相変わらず物が多くて、どこを歩いて良いのか分からない。無難にエリオットさんの後ろを着いて歩き、座ってと指示されたベッドへと腰を下ろした。あらかじめ用意してくれていたのだろう、瓶入りのジュースを手渡される。  受け取り、じっとそれを見つめていると、今度はベッドが沈む。視線をやれば、コートを脱いで楽な格好のエリオットさんが隣へと座っていた。ふわりと香る嗅ぎ慣れた香りがして、無意識に嬉しいと感じてしまう。  僕は、本当にこの人のことが好きなんだなと思い知らされる。 「あー…リオ」 「は、はい…!」 「まずはありがとな、時間とってくれて」 「そんな、僕の方こそ…!あの、僕…!」 「待った、俺からでもい?」 「え…?は、はい…」  先に謝りたくてたたみかけるようにしたけれど、エリオットさんに止められてしまった。合わせられず下を見つめていた視線を盗み見るようにして向けると、手元の瓶を不安げに見つめるエリオットさんが見える。この人でも、こんな顔をするんだ…意外だった。 「恥ずかしいし、大人げない話なんだけど…俺さ、リオが女の部屋から出てきたって聞いてすげーショックだった」  ショック?エリオットさんが?なんで?信じられずに思わず見つめてしまう。視線を感じたのか、顔を上げたエリオットさんはマジだって、と苦笑を返されてしまった。 「俺がビッチのせいで、くそ真面目に何の下心もなく慕ってくれる人なんて、今まで居なかったんだ」 「それは、エリオットさんの体質の問題じゃないですか…!」 「そーやって理解してくれる人って、案外少ないもんなのよ。だからさ、お前とはまっとうな付き合いしようって思ってた。体の関係があると、何かと面倒ごとに巻き込んじまうし、リオの評価も下がるだろ」  そんなことは無いと言いたかった。けれど、実際に周りから向けられる目は変わったし、知り合いからは心配されることも多くなった。  僕にとってはどうでも良いけれど、エリオットさんが気にしている事なんだとしたら、そんなことは無いと簡単には否定出来ない。 「けど、俺の意思が弱いせいで、簡単に手ぇ出しちまったな…真っ当に生きて欲しいと思いながらも、それを俺自身が邪魔したんだ。リオの為にも早くこんな関係やめなきゃって思ってるのに、真っ白で素直なお前に教え込むのが楽しくって、どんどんハマってった」 「違います、僕が悪いんです…!エリオットさんのせいじゃありません!」 「ほら、そうやって俺のこと庇おうとする。そう言う優しい所も堪んない」  切なげに目を細めて、手の甲で頬をするりと撫でられる。それだけなのに、なんだかとても恥ずかしくなってしまって、動きが止まってしまった。 「区切りつける為にも、リオに女が出来たら手を引くつもりだった。と言いつつもさ、俺が近くに居る限りはあり得ないなんてたかくくってた。それなのに、リオが女の部屋から出てきたって聞いてさぁ…噂聞いてから本人に会ってみりゃ、よそよそしく目も合わせてくれない。これマジなやつだって凹んだよ」  違う、それはエリオットさんへの思いを認識してしまって、恥ずかしくて目が合わせられなかったんだ…!申し訳ないと思いつつも、僕の態度だけでそんなに感情を動かしてくれているって知って、嬉しいと感じてしまう。 「もうやめようって切り出したら、リオ怒るし。ワンチャンあるんじゃないかって誘えば、簡単に乗っかったし…ねえ、本当に俺にもチャンスってある?」 「チャンスって…?」 「女から俺への鞍替え、する気ない?本気になったら一途だし、テクは俺の方があると思うんだけど」 「え…ま、待って下さい、そんなまるで、僕のことを好きみたいな…」 「そう言ってんだけど…」 「えぇ…?!あり得ないですよ、エリオットさんが僕なんか…!」 「そう言うと思って、ハマってく経緯まで話したってのに…」  聞いてたのか?と軽く頬を抓られる。痛みに、これが夢じゃない事を証明された。  夢じゃない…エリオットさんが、僕の事を好きだと言ってくれている…  抓っていた頬を離され、ふにふにと揉まれた。  両頬を挟まれて、エリオットさんの方へと顔を固定されると、金色の瞳が覗き込んできた。 「好きじゃなきゃ、三日に一回で指名して…リオの事、追いかけてないよ」  真剣な顔で告げられた言葉を理解するのに、少しだけ時間がかかった。  僕とエリオットさんとの関係は、エリオットさんが僕を気にかけてくれているから持っていたようなものだ。ただの興味本位で面白がられているとばかり思っていたのに。僕の事を気にかけてくれていたのは、僕の事を好きだったからと言う理由だなんて…  顔へどんどん熱が集まっていって熱い。赤面している僕の目の前で、エリオットさんは表情一つ変えないでじっと見つめ続けている。 「リオは?どうなんだ?」 「僕、は…僕も、好きです…好きなんです…」  嘘みたいな本当の話って、起こる物なんだ…。エリオットさんが、僕の事を好きだと言ってくれて、両思いになれるなんて、あり得ないと思っていた。  嬉しいって気持ちが溢れて、目の前がぼやける。堪っていた涙をエリオットさんが拭ってくれたけれど、量が多すぎて次から次へと零れていってしまった。  泣くなよって笑うエリオットさんも涙ぐんでいて、嬉しいですって素直に気持ちを伝えると、俺もって笑ってくれた。 「俺のこと好きって言ってくれてすっげー嬉しいんだけどさ…女の方は良いのか?」  僕が落ち着いてきた頃合いで、気になっていたであろう話題が上がる。聞きにくいのか、申し訳なさそうな顔をさせてしまった…ああ…そんな表情をしなくて良いのに… 「僕、お付き合いしてる人はいませんよ。女の人は、ルーラの話だと思います」 「ルーラって…同僚の子だっけ?」 「はい。ちょっと取り乱しちゃって…ルーラに話を聞いて貰ってたんです。そこで、エリオットさんの事を好きだって自覚して…」 「ああ…それで、あの態度だったってわけか」  治癒室での出来事を思い出したエリオットさんが、苦笑を漏らした。それでも安心したのか、ほっとしてへにゃっと笑う姿がすごく可愛い。  この笑顔を見れただけでも良いかなって思うけれど…僕も、ルーラと噂になる原因となった出来事の真相を知りたい。例え聞かなきゃ良かった内容でも、お付き合いしていくのならば、知っておかなきゃいけない事だと思うんだ。 「あの…僕も一つ、聞いて良いですか?」 「ん?もち、リオには隠し事しないから」 「その…実は…この前、エリオットさんの事を城下の酒場で見かけたんです」 「酒場…あー、奥まった所にある?」 「そうです。それで、その…エリオットさんの行動を見ていて…二階の部屋へ男の人と消えていったのを見て…」 「それ見て、取り乱してルーラの部屋行ったって事か、なるほど繋がった」  困ったような笑いを浮かべたエリオットさんが頷く。聞きたくない事実を言われるかもしれない…不安になる僕を察したようで、くしゃりと髪の毛を撫でられた。 「あれは仕事の相手。あいつから情報引っ張ってくるのが任務だったから個室行ったんだ。ベッドに持ち込んだ方が聞きやすかったんだけど、その手法はもうやめたから」 「そう、なんですか…?」 「っていうか、気持ち悪くて出来なくなったってのが正しいかな。リオと出会ってから、どうもダメなんだよなぁ…リオじゃなきゃ気持ちわりぃの。お前と出会った日から、リオ以外に体許してないし」  仕事の為ならホイホイ体差し出してたのに、信じられないよなぁと笑う姿に、鼻の奥が痛くなる。  この人は、干渉のせいで諦めなければいけない事がたくさんあったんだろう。体を売るような仕事のやり方だって、そのせいだろうに…仕方ないと割り切ってしまっている事が悲しい。そんな悲しい事を、笑いながら言わないで欲しい。  気づけば体は勝手に動いて、エリオットさんを抱きしめていた。身長差があるせいで、包み込むなんて事は出来ない。むしろ、僕が抱きついているような体勢になってしまったけれど、それでも止めようとは思えなかった。 「もうそんなことしないで下さい」 「リオ…?」 「もっと、自分を大事にして…」 「そーだな…リオは本当良い子だわ。俺には勿体ないかも」  最後の方は小さく呟いた独り言のようだったけれど、聞き流すわけにはいかない。  勢いよく体を起こしエリオットさんの顔を覗き込む僕の動きに驚いたのか、見開いた金色と目があった。 「僕は、良い子なんかじゃない。酒場で見た男の人がエリオットさんの事を抱き寄せたのを見て、許せなかったんだ」 「リオが俺に嫉妬…?マジで…?」 「当たり前です!関係が切れないように必死だったし、治癒を言い訳にしてエリオットさんの体にも触った。貴方が望んでいない関係を持ってきた人達と、結局は」  同じなんだ、そう言いたかった。言いたかったけれど、声は出なかった。  口はエリオットさんの唇で塞がれていた。合わせるようなキスは、すぐに舌が入り込んで深い物へと変わる。舌を絡め取る動きは、それ以上は言わさないと言っているようだ。根元から吸い上げられ、気持ち良さに力が抜けていく…耐えようとすれば、エリオットさんの服を掴む力が強くなった。  ああ、やっぱりこの人はキスが上手い…でも、それ以上に思いが通じ合った人とキスをしているって言う事が、堪らなく嬉しい。 「っ、は…!」  やっと解放された唇から酸素を吸い込む。何か言うよりも早く体は後ろへと倒れ、ベッドに背中が沈む。覆い被さるようにエリオットさんが乗りかかり、顔がよってきた。 「俺の好きなやつを悪く言うのは、本人でも許さねーから」  ほのかに感じる苛立ちに、言葉だけじゃない事が伝わってくる。本当に、この人は僕の事を好いてくれているんだ…そう感じる事が出来た。自然とでた謝罪を聞いて、やっと表情を崩してくれる。  ふわりと優しく微笑んでいる瞳の奥で、くすぶっている物が見えた。 「許して欲しいなら、もっと言って」 「え…?」 「俺のこと、好きって、もっと言ってよ」  僕の手を持ち上げ、上へ向かせた手のひらへ懇願するようにキスを落とす。数回続けてキスをしてから、伺うように見上げてくる金色と目が合うと、気持ちが弾け飛んだ。  ああ、好きだ、エリオットさんに好きって言って良いんだ…!思いを伝えられる事が、こんなに嬉しいことだったなんて初めて知った。 「好きです…好きだ…、エリオットさん、好き…!」  唇からゆっくりと離して、頬を撫でるように手のひらで覆う。しっかりと目を合わせて思いを告げれば、俺も、と嬉しそうにはにかむ姿がとても愛おしいと感じた。  近づいてくる綺麗な顔にあわせて、目を閉じる。触れあうようなキスが何度も降ってきて、幸せを噛みしめる。 「リオ」  名前を呼ばれ薄く目を開くと、物欲しそうな顔をしたエリオットさんが飛び込んでくる。ああ、もう、本当にこの人は可愛い…こんな所で我慢なんかしなくて良いのに。  体を起こしてエリオットさんに抱きしめると、一気に力をかける。何も予想をしていなかったエリオットさんの体は簡単に横へと倒れ、その上へ僕の体が覆い被さる。さっきとは上下反対になった体勢だ。  何が起こったのか、理解ができずに不安げに揺れている瞳に劣情をかきたたれる。  我慢しなくて良いんだ、貴方も、僕も。  素直になるべきだと、ルーラが言っていた。甘えて良いと、クレアさんだって言っていた。  だから、きっとこれは許される行為。 「好き。好きだよ、エリオットさん。だから、貴方を僕に頂戴」  僕の言葉に、エリオットさんは頷きで返してくれた。そんなエリオットさんへと唇を寄せる。  周りのことなんて考えられない、今はとにかくエリオットさんに触りたい。  受け入れてくれた彼の唇は、いつもよりも柔らかくて温かいような気がした。

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