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11 初めてのスタジオ

  「言ったよな、俺、言ったよな。絶対に間に合わないって、言ったよな?」 「うう…ごめんなさい葵様…ごめんなさい…」  真っ暗なベランダでスプレーをかけ続けている啓太は、背中越しに涙声で謝罪してくる。本当はもっと色々と言ってやりたかったけど、一緒になって楽しんだ俺も強くは言えない。言えないけど…ゲーム始める前に注意したんだ。今これをしたら絶対に準備間に合わないぞって。  スタジオ撮影が明日にまで迫った前日の夜9時。  後は塗装して乾かして終わりって所までは進めた武器作成を、ここ数日サボっていた。理由は簡単で、新しいゲームが発売されたから。  前日の夜に啓太のマンションに泊まり、一緒にスタジオへ行く予定だったので来てみれば、飯の後に速攻で2コンを持たされた。  明日までに絶対に間に合わないよな?乾くのか?って聞いたら一晩あれば大丈夫!と言って、笑顔で電源を入れてる。それから数時間…気付いた時には日付が変わり、1時間経過する寸前だった。  これは完全に間に合わないし、明日は無しで良いんじゃないかって言う俺に、今から作る!間に合うかもしれない!!と慌て始めて、塗装開始。2時を回っても未だにスプレーをシューシューしている後ろ姿を見て、ため息が出る。このままだと、明日の体調の方が心配だ。 「啓太、もう良いから…寝よう」 「あとちょっと…!」 「パッと見は完成してんじゃん。このまま続けて、明日の朝起きれない方が怖い」 「う…」  さっさと寝る支度を整えると、啓太のベッドへと入り込む。ペラと毛布を捲って、啓太分のスペースを開け、そこを手で叩いて気を引かせた。 「ほら、おいで」 「ううう…!あおちゃんが可愛く誘ってくるよぉ…!」 「人聞き悪い言い方だな」 「男の恥だ…!お邪魔します!させて頂きます!」  持っていたスプレーをその辺に置くと、窓とカーテンを閉めて突撃してくる。不思議なテンションで潜り込もうとしてきた啓太を、慌ててとめた。 「ストップ!せめて手洗ってから寝ろ!」 「えぇ?!あおちゃんから誘ってきたのに?!」 「毛布汚れるだろ」  分かったよぉとふて腐れながら洗面所へと向かう啓太の背中を見送りながら、息を吐く。アイツのことだから、ほっといたら絶対に朝までやり続けるはずだ。いくら趣味だからって、身を削りすぎだ…こうやってストップをかけれる位置にいれて、良かったとしみじみ思った。  数時間後には起きて、電車に揺られる。数回乗り換えて着いたのは、大きなショッピングモールがある駅。その他には競馬場ぐらいしか周りにないこんな所に、本当にスタジオなんかあるのか…ショッピングモールへ向かうカップルやら女達やらの流れに乗って歩きだすと、その施設を通り越して隣のビルへと入っていく。  ここも小さいながらショッピングモールではあるけど…こんな中にスタジオなんか入ってるのか?  開店前なのか、警備員に入口を開けられて中に入り、エレベーターへ。下りて右に曲がると、異様な光景…一つの店舗の前にカートを持った女が列を作っている…。  どうやらここにコスプレ専用のスタジオがあるのは本当らしい。言われるがままに並び、会計を済ませて中に入ると、そこはもう別世界だった。  食事も提供しているようで、カフェスペースがすぐに出迎えてくれたけど、後は全てが撮影エリア。入り口はエステか美容室のようなおしゃれな感じなのに、中は撮影ブースって…想像出来ないだろう。  色々なコンセプトで撮影ブースが作られていて、見て回るだけでも飽きなさそうだ。テーマパークのような作りにテンションも上がる。  そんな俺を見て、啓太はにこにこしながら更衣室はこっちだよと先導して歩き出した。  コスプレの世界においての男女比はまだまだ女子の方が多い。そのため、どこのスタジオでも男性更衣室は簡素な作りなんだそうだ。黒い小部屋なのにドアは無く、カーテンで廊下と区切られているそこが更衣室だと言われた時は結構驚いた。タックは事前に家を出る前に済ませ、後は着替えるぐらいにしておいて良かった。  テキパキと衣装に着替え、隣の化粧室に移動する。ちなみに、女子は更衣室で全て終えることが出来るらしい。男子は部屋が暗いからここで化粧なんて出来たもんじゃないと啓太がため息をついていた。  この前啓太のマンションでやったメイクをもう一度してもらって、ウィッグを被る。前髪の分けている方向を確認しようとスマホをつけて、スタジオに到着してすでに1時間半は経ってることにやっと気づいた。  入ってからこんなに経ってるけど、今日呼んでるっていうカメラマンは大丈夫なのか…? 「え?まーやんさん?大丈夫、2時間後に着てってお願いしてるよぉ」  サイドの髪を糊で貼り付けている啓太が鏡越しにこっちを見てきた。しっかし、イケメンが自分の顔に紙を貼り付ける時に使うあのオレンジのキャップの糊を塗りこんでるのは異様な光景だ。アイプチ用の糊よりも落としやすいんだって言われて、俺の頬にも塗りたくられたけど…未だに信じられない事が多い。 「2時間?!いや、まぁ、ちょうど良いんだろうけど…」 「普通は1時間後ぐらいなんだけどね、今日はあおちゃんのメイクも俺がしてるから。あ、それよりも名前考えた?」 「名前…?」 「うん、コスネーム」 「ああ…そうだったな」  今日までにコスネームを考えておいてねと啓太に言われていた事を、今思い出した。確かに本名じゃまずいだろうし…だからと言って、これと言った名前も思いつかない。  ゲームする時に入れる名前だって、決まってアオイだった俺が、ぱっと思い浮かぶはずもないし…啓太も自分の名前なんだ。俺もそれで構わないんじゃ無いのか…? 「う~ん…面倒だし、アオイで良いよ」 「俺的には呼びやすいからとっても有り難いんだけど…本当に名前変えなくていいの?」 「えー?…じゃあ、漢字変えるとか?」 「おお!じゃあさ、苗字っぽくしてみたら?」 「苗字?苗字ねぇ…」  手にしていたスマホに、あおいと入力、変換をタップ。一覧に出てくる漢字を眺めていると、啓太が肩口に顎を乗せて後ろから一緒に覗いてきた。 「あおい…蒼井は?どう?」 「じゃあそれで」 「え?!そんな即決で良いの?!」 「そこまで悩むようなことでも無いだろ」  実際、今日は名刺を用意してないから口頭でしか名前を伝えない。名前も決まった所で、荷物をロッカーにしまい、カメラマンと待ち合わせをしてるっていうカフェスペースへと向かった。  椅子に座って10分程度、レイヤーよりも大きな荷物を引っ張るおっさんが入ってきた。啓太もなかなか荷物が多いと感じたけど、それを越す荷物の多さ…あれは全部機材とかなのか…?カメラマンって大変なんだな…。  俺がじっとそのおっさんを見ていたのに気付いたようで、向かいに座ってた啓太もそっちへ視線を向ける。それからすぐに立ちあがると手を振った。 「まーやんさ~ん!」 「ああ、ケータ君!」  俺が眺めてたおっさんがこっちへと歩いてくる。相手も啓太に負けず劣らずのふわふわした笑顔を浮かべていた。  荷物に意識が行ってたけど、真横まで来たおっさんは中々にデカイ。啓太並の身長に無精髭、黒縁眼鏡。髪は短いから髭はあっても汚くは見えない。年は俺たちよりも一回りは上そうだ。 「時間早くないですか~?」 「うん、乗り換え上手くいったからね。早めに着いたよ」 「荷物も多い~!とりあえず座ってよ!」  啓太が移動して元々座っていた席、俺の前の席へおっさんを座らせる。反対側から回ってきた啓太は、俺の隣へと座った。 「あおちゃん、この人が今日撮影してくれるまーやんさんだよ」 「初めまして、まーやんです。よろしくね」 「よ、よろしくお願いします…!」 「で、この美人が俺の自慢のミレイユ、蒼井くんだよ」 「蒼井です。よろしくお願いします」 「こちらこそよろしく。すごいね、男の子だって聞いてたけど…え、本当に男の子だよね?」 「えぇ、まぁ…」  顔を近づけて覗き込まれて、思わず苦笑する。確かに俺自身も、今の俺は美少女だと思うけど、元々の姿を知らない人間にはそこまで疑われるもんなんだな。 「こんな美人さんと一緒に撮影出来るなんて嬉しいよ、今日は張り切っちゃうからね!」 「まーやんさん、俺の時はそこまでテンション上がんないのに…」 「あはは、ごめんごめん。ケータ君も格好いいから撮るの楽しいんだよ?」  頬を膨らませて拗ねる啓太に、おっさん改めまーやんさんが笑う。年上の男と話す機会なんて上司ぐらいしかなかったけど…趣味が一緒だと、こんなにもフレンドリーに話せるなんて不思議だった。  ◆ 「黒ホリ空いてた!荷物置いてきたから移動しよう!」  撮影を始めて数時間。サイバースペースって言う黒い部屋の壁にLEDライトが埋め込まれ、SFチックな部屋から場所を移動しようって話しになった。  黒ホリで多灯焚きして格好いいの撮りたいと言い出した二人の会話についていけず、それでいいかと問いかけられ、とりあえず頷く。そうすれば、啓太が空いてるか見てくる!と速攻で走り出した。そして数分後には笑顔全開で戻ってくる。  言われるがままに移動した部屋は、着替えた所と同じような部屋の壁全てが黒に統一されている何も無いスペースだった。 「あ、ごめん、撮影前にトイレ行ってきて良い?」 「調整掛かるだろうから、ゆっくり行っておいで」 「ありがとぉ、あおちゃんは?大丈夫?」 「俺は平気」 「そっか。じゃあ行ってきま~す」  適当に自分の荷物を端に寄せた啓太は、また慌ただしく黒ホリスペースから出て行く。いつもテンションが高いやつだけど、今日はいつにも増して高い。  好きなことをしてるからなのか…全力で楽しんでいる姿を見れば、思わず頬が緩んだ。 「蒼井君はさ、ケータ君と長いの?」 「まぁ…そうですね、幼なじみなので」 「あれ、そうなの?!じゃあ、君が…?」 「え?なんですか…?」 「あ~…ううん、何でも無い。それにしても、あんな楽しそうにしているケータ君見るのは久しぶりだよ」  思わず、機材のセットをしているまーやんさんを見つめてしまった。いつでもあんな風に楽しそうにしてるのかと思ってたけど…そういうわけじゃ無いのか…?  俺の視線に気付かないのか、デカイ布を被せた様な四角い照明をスタンドの上へ固定しながらまーやんさんは続ける。 「彼、イケメンな上に良い人じゃない。そのせいで、どの合わせ行っても人間関係つらそうでさ…主に女の子関係でね。俺、ケータ君がコス始めた当初から彼を撮影してるから、可愛い弟分みたく見えちゃって。きついだろうなぁって合わせは、なるべく顔出してあげてたんだよ」 「そう、なんですか…」 「うん。あ、蒼井君そこ立ってもらえる?」  セットが終わったのか、ホリの真ん中を指さされる。  指示された通りに立つと、まーやんさんはカメラを構えてこちらを覗き込んだ。 「ストロボのチェックだから楽にしてて良いよ」 「は、はい…!」 「今回なんて嫁って豪語してるキャラクターと合わせでしょ?どんな子くるのか心配してたんだけど、君で良かった。ケータ君、蒼井君のこと大好きオーラすごいし、ずっと楽しそうだし。今日は良い写真撮れそうだ」  カシャっとシャッター音がして、後ろからピピピとストロボっていうフラッシュを焚く機械が電子音を上げる。それが定期的に続くんだけど、告げられた言葉が恥ずかしすぎて…俺は前を見れそうに無かった。  口元を押さえて目を逸らす俺を見て、まーやんさんがカメラから顔を上げる。 「おや~?照れてる?」 「う、煩いです…!」  絶対に顔が赤くなってる…!照れてるのを隠すように声を荒げたら、逆に笑われちまった。  楽しげにしてるまーやんさんと、ひたすら恥ずかしがってる俺って所に戻ってきた啓太が不思議そうにしてたのは当たり前だろう。だからって、絶対に説明はしてやらなかったけど。 「う~ん…やっぱり、高低差あった方が良いかなぁ…蒼井君、しゃがんでみてくれる?」 「はい」  何パターンか撮影してから、まーやんさんが突然そんなことを言い出した。言われた通り啓太の足下にしゃがむと、剣を構えろと指示される。  しゃがんで構えるってどうしたらいいんだ…?必死にイラストを思い出す俺の頭上からあおちゃんと聞き慣れた声が降ってくる。 「片方の膝を突いて、もう片方を立てて」 「なるほど」 「そうそう。で、剣構えてみて、ミレイユだから両手持ちだね」  いくら軽い素材で作ってるからと言っても、両腕を中途半端な位置でキープするのはそれなりにつらい。プルプルと震えながらもポーズをとると、程なくしてシャッターを数回切られる。  画像を確認している間だけでもと剣を下ろして一息ついていたら、今度は向かいからうなり声が上がった。 「蒼井君、もっかいポーズとってもらえる?」 「はい…」 「あー…もうちょい腕あげれる?…オッケー!後、上半身をもっと正面向けれる?」 「正面…?こんな…?」 「もーちょい……うん!その体勢!後顔作ってね、引きつってるよ」  はい、撮るよ~と言われ、必死になって顔を作る。3人も居るのに全員が黙って写真を撮ってるなんて、異様な光景だ。  何回かシャッターを切った後に、オッケーの言葉が聞こえた瞬間、その場へと座り込んだ。 「キッツ…!」 「悪いね~、いやでもいい写真だよ」 「ほんとだ…!見て見てあおちゃん、すごいカッコイイ!!」  渡されたカメラの画面で撮影して貰った写真を確認して、息を飲む。  逆光気味に当てられている光を背にして、武器を構えてるのは紛れもなくファンタジックアースのキャラクター。まるでイラストみたいな出来に、語彙力の無い俺はすごいとしか言えないのが悔しい。 「後ろのストロボにカラーフィルター巻こうか?青系とかかな?」 「そうっすね!!いっそ何人か殺してそうなヤツでいきましょ!」 「オッケー、じゃあ用意するから待っててね」  荷物の方へと戻っていくまーやんさんを見送りながら、コスプレの厳しさを知った。まだやるのかよ…もう体中痛いんだけど…助けを求めるように啓太を見上げると、困ったような笑顔を返される。 「ごめんね、つらいよね。これ終わったら着替えてアフターいこ」  アフターってなんだよ、お前夜の商売でもやってんのかよ。  さっき俺と似たようなポーズを撮っていたはずなのに、ピンピンしている啓太を前に泣き言は言えない。意地で頷いて、撮影に臨んだけど…  写真写り一番を目標にしているせいで、人間の限界に挑戦するレイヤーの撮影は本当にキツイ事を知ったスタジオ撮影だった。

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