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第9話
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俺の母親は、超が付くほどの教育ママだった。今でいう毒親ってやつかもしれない。
それに関して父親は無関心。今思えば、口を挟めば面倒くさくなると分かっているので、あえて触れなかったのかもしれない。
一般的な家庭の為、そこまで裕福はさせられない。だから、貴方は勉強をして少しでも良い会社へ入りなさい。そうすれば幸せになれる。そう言われて生きてきた。
だけど、俺はそこまで要領が良い方じゃない。いくら勉強しても、理解するのにはそれなりの時間が掛かった。効率の良いやり方なんて考えにも至らず、ただなぞるような勉強ばかりをしてるせいで成績も奮わない。結局そこそこな私立中学までにしか行けず、高校は無難な公立へ通った。
その代わり、6歳下の妹は要領が良かった。
同じように期待をして、それ以上の結果を残す妹へ母親の期待が移っていくのも当然で、子供の俺から見ても分かるぐらいに妹を贔屓するようになった。
それに対し、不満は特にない。
むしろ、俺に対して必要以上の期待を持つことをやっと止めてくれた……そう嬉しくさえ思った。
大学受験をさせてもらえると知り驚いたけど、母親には一校のみだと言われた。これで落ちるなんて、迷惑を掛けないでね、と。
無事にそれなりの大学を出て、それなりの企業へと就職が決まった。一部上場企業ってことで、及第点だったらしい。妹は複数の滑り止めを受けた上に、志望だったエスカレーター式の進学校へと進んでいた。将来は俺なんかよりも有望だった。
それに比べて、俺は苦労して入った会社でも散々だった。
就いたのは営業職、向いていないのぐらい自分でも分かり切っている。ノルマの重圧、先方の無茶な要求、終わらない事務仕事、休みの日でも掛かってくる電話、休日出勤なんて当たり前。深夜帰宅して、冷えてしまっている食事をとり、朝は7時には家を出る。少しでも迷惑を掛けないようにと必死だった。
たまにとれた休日、死んだように眠る俺のことを、"だらしない"と"あんな風になってはいけない"と母親はよく言っていた。
そんな生活を1年続けたある日、上司に呼び出された。
俺の残業時間がかさみすぎて上から指摘を受けたんだ。何度か指導されていたことだったが、誰かに頼ることも出来ずにいたせいで改善せず……結果、上司が怒られることになった。ここでもやっぱり、"迷惑を掛けないでくれ"と口にされた。
その次の日には辞表を出した。限界だった。
その日の夜の内に家族にも知られ、母親がずっと罵倒し叫んでいたことだけは覚えている。妹には、冷えた目で早く仕事に就けとだけ言われた。どうやら家族内にニートが居るのが耐えられないようだった。
働いて欲しいなら、働いてやる。そんな投げやりな感情で受けたのは深夜のコンビニバイト。もちろんすぐに受かって、1ヶ月後にはフリーターとして働きだした。
バイト先の人間に前歴を聞かれて驚かれることも多かった。どうしてと聞かれれば、キツくって、ブラックでしたわーと笑って答えられた。
この頃には、俺の食事なんてものは用意されなくなった。廃棄弁当をもらえるバイト先で良かったとぼんやり思ったぐらいだ。
フリーター給料じゃ厳しい物もあるが、家でも出ようか……そんなことが頭を掠めていた頃、バイト先で妹の友人とばったり出会った。どこで会ったかなんかもう覚えちゃいないが、お互いが顔を覚えてたのだけは事実だった。
途端に、俺の情報はクラス中へ広まったらしい。大手企業の正社員が正義であり、フリーターをゴミくずとでも思っている様な奴らしかいないクラスだ、どういった結果になるかはすぐに察せた。
妹からは散々な言われようだった。まあ、まとめれば出来損ないのくせに私の邪魔をするなと言っていた。母親の耳にもすぐに入り、どれだけ迷惑を掛ければ気が済むのと叫ばれる。二人揃って、なかなかなヒステリックで……親子なんだなぁと、少しだけ笑えた。
こんな事があったから妹は俺との関係性を問われるのを極端に嫌うし、迷惑ばかりを掛ける出来損ないだと言われ続けて、フリーターって道に逃げたってわけだ。
ユーグの言う通り、諦めきっている敗者。その言葉はしっくりとくる。
一気に話し終えても、ユーグはただ黙って話を聞いていてくれた。自分のことを話すなんて初めてだったけど……隠さなくて良いってだけで、少しだけ心が軽くなった気がした。
「だからさ、高望みはしないことにしたんだ」
家庭環境がそうさせたなんて言い訳は言わない。負け続けの人生だったのは変わりないし、だからこそ、勝ちたいとも羨ましいとも思わない。
昔は少しだけ感じもしたが、打ちのめされていく度にその考えをどんどん捨てていった。人生なんてこんなもん。俺にはこれぐらいがちょうど良い。
諦めることを正当化していけば、最低ラインで満足出来る男の出来上がりだ。
「妹を憎む気持ちは無いのか?」
「あー……あるにはあった。昔はね」
「今は無いと?」
「今は感謝と少しの罪悪感かな……昔は死ねば良いのにって、いっつも思ってたよ」
半笑いを浮かべ軽い口調で口にした言葉に、ユーグの喉が鳴った。
一時期、自分の未来を奪い取られたと思って妹を死ぬほど呪ったことがある。自分の不出来を棚に上げ、死ねば良いのにといつでも思っていた。前回より順位を上げたとしても、褒められるのはいつでも妹で、こいつさえいなければなんて思って時期もあった。
俺が何も言われなくなる代わりに、妹が期待を一身に受け頑張ってくれている。最低ラインで許されてたのは、少なからず妹のお陰でもあると思えば、そんな考えはすぐに吹っ飛び、感謝しかない。
「だからさ、結構美咲のことは気に掛けるようにしたんだ。フリーターバレしてからは外では完璧他人の振りするけど、家の中では割と話してた。俺は聖人でもないし、美咲はクソ生意気だから喧嘩はしょっちゅうだったけど」
「なるほど……君たちの関係性はよく分かった」
もしかしたら、俺はこの世界にこれてほっとしたのかもしれない。
辛かった暮らしから逃げ出せて、楽に暮らせるかもと夢見たのかも知れない。そんなずるい考えをユーグに見透かされて、突き飛ばされるのが怖かった。ユーグならもしかしたら大丈夫なんて、変な期待を抱いたんだ。
実際、彼は俺のことを突き飛ばしはしなかったが、いつまでそれが許されるのかは分からない。大人の癖にいつまで甘えてんだって話だ。こんなの気持ち悪いだけだ。
「なんか、ちょっと参ってたのかも……甘えるようなことしてしまって、申し訳ない」
「構わないさ。それに、今の職は私の従者だろう? 私の面倒を見るために必要と思った物なら、それは甘えなんてものではなく、単純に必要なものだ。迷惑じゃないからきちんと言いなさい」
「……ああ」
「ついでに言えば、落ち込んでいるのはつまらないし、興味があるのに気を遣って我慢するのも気にくわない」
「え、」
「君の考えなど筒抜けなんだ。今更我慢されても私が困る」
立ちあがったユーグが、ローブを叩きながらとんでもないことを言ってきた。
え、待って、俺の考え筒抜けって……そんな顔に出やすかった……? さっき街中で、気になるけど諦めようとしてた所全部を見られてたってことか……?
「人間とは強欲な生き物だろう。さてマコト、まずはどこから行きたい? 言ってみると良い」
「え、っと……」
「もじもじするのは気色悪いぞ?」
「うっさいよ!」
軽口に思わず突っ込みを返してしまう。さっきまでのしんみりした空気が段々と恥ずかしくなってきた……! なんだって、俺はこんな男に話してしまったんだろう……!
自然と赤くなる顔を見てユーグは満足そうに数回頷くと、俺の腰へと腕を回してきた。ぐっと縮まる距離に文句を言う前に体が宙へ浮く。
「ちょ……?!」
「近道だ、安心すると良い」
柵の無い、時計塔のてっぺん。5階ぐらいの高さからユーグが身を乗り出す。
体全身に感じる浮遊感が気持ち悪くて、必死に抱きつき目を瞑る。衝撃に耐えたが、信じられないほど優しい足への感触。恐る恐る目を開ければ、すでに体は着地しており、さっきの大通りが目の前に広がっていた。
今居るのは横道に入った所のせいか、辺りは暗いが……訳が分からず勢いよく辺りを見回すと遠くに時計塔が見えた。また一瞬で戻ってきた、のか……?
信じられない……隣に居るユーグを見上げれば、にこりと笑い返された。
「これでも魔術師だぞ」
「……何でもありすぎる……」
◆
ユーグに連れ回されて、足下には大量の紙袋が広がっていた。
どちらかが気になると思った店に片っ端から入り、何かしらを購入していったせいで、荷物が膨れ上がり、大の大人2掛かりで両腕に抱える量になっている。大半はユーグが気になると言って買った本だったり魔石だったりするのだが、ワインやココアみたいな嗜好品も混ざっているのは有り難い。
日も落ち始め、うっすらと街灯が点くような時間になった頃にやっと休憩だと入ったのは、最初に目に付いたケバブみたいな店だった。テイクアウトの他に席も用意しているところで本当に良かった。
レモネードに似た味がするジュースを飲んでいる俺の前で、ユーグは食べ物と格闘していた。
「うわっぷ?!」
長い髪の毛が落ちてきて、齧りつこうとした口元を邪魔している。食べにくいな! と文句を付けながら髪を耳に掛け、再び口を開いた。
そうすれば、齧り付いた場所が悪く挟まっていた肉が出てくる。危うく生地から飛び出しそうになったのを、指で押さえ込んでいた。タレで汚れた指先を舐めているけど、なんだか楽しそうに見えたので、不満ではないらしい。
「食うのへったくそだなあ」
再び齧りつき機嫌良くもぐもぐしているユーグの頬にはタレがひっついていた。その綺麗な顔でタレくっつけてるってどんな状態だよ。
笑いながら自分の頬を指さしてタレついてるとだけ教えてやれば、?を浮かべながら反対側を擦っていた。いやいや、逆だよ。
テーブルの上のナプキンを引っ掴み手渡してやると、それで指を拭き始める。仕方なくもう一枚取って手を伸ばし、頬にひっついてたタレを拭ってやる。嫌がると思いきや、ユーグは大人しく拭われてくれた。
「ありがとう。マコトが飲んでいるのは何だ?」
「これ? チュイン水ってやつ……チュインって何?」
「南方の特産品じゃなかったかな?」
「へぇ。レモネードみたいな感じで美味いよ」
「レモネード……?」
レモネードはこの世界には存在しない言葉だったみたいだ。食べ物の見た目は見ているが、呼び名がかなり違うので伝えるのがなかなか難しい。
とりあえず、飲んでみた方が早いだろう。グラスをユーグの方へ寄せると、意図を汲み取ってくれたようで、ストローへと口を付る。半分ぐらい一気に飲んでいる様子を見るに、とても喉が渇いていたのか、気に入ったのか。
「美味いな!」
「だろ?」
どうやら後者のようだった。嬉しそうな顔をしているユーグを見てると、なんだか俺まで嬉しくなってくる。こんな笑いながら取る食事なんていつ振りだろうか。久しぶりに暖かみを感じて、じんと胸が熱くなる。誰かと一緒に食べるってこんなに楽しいことだったんだと、思い出させてくれた。
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