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第10話

 .10 「先に風呂いただいて、悪いな」 「構わないさ、順番にこだわりなどないしな」  片付けて、少しは使い物になるようになった研究室みたいな部屋。  そこにあった執務机で書き物をしていたユーグへ声をかけた。タオルを首に掛け、ユーグの隣を抜けて未だ積み重なっている本たちの前へと向かう。昼間に中断した片付けの作業を再開しようとしたら、突然目の前が暗くなった。 「うわ?!」 「それは明日で良いだろう?」  首に掛けていたはずのタオルで頭をわしゃわしゃと揺らされ、堪らずに逃げるようにしゃがむ。振り返れば、そのままの状態でこっちを見ているユーグが居た。いつの間に俺の後ろに……日常的に瞬間移動してるのかと疑いたくなる程、気配が無かった。 「まずは暖炉にでもあたって渇かしておきなさい」 「……分かったよ」  大人しく本を置き、タオルを受け取ると暖炉前の椅子へと腰を降ろす。俺の様子を確認してから、私も入ってこようとやっと出て行ってくれた。  お節介と言うか、遠慮が無いと言うか……こっちのことなどお構いなしに距離を詰められるのは少しだけ息苦しい。これは俺の感じ方のせいなんだけど。  いや、もしかしたら昼間に湿っぽい話をしたせいで、彼なりに気を遣ってくれているかもしれない。それならば悪いことをしてしまった。 「あー……くそ!」  気を紛らわすように未だ頭へかぶさっていたタオルで自身の髪の毛を勢いよく掻き混ぜ、もう一度首にタオルを掛け直してから椅子へ背中を預ける。  もちろん、寝間着は着ている。尻が隠れる程度の長さのロンTみたいな物と、裾の長いズボンはそれぞれユーグの物のため丈が全く合っていない。緩い方が寝やすいし俺にとっても都合が良いから文句はない。それに、いつ異世界召喚されるか分からないから、最低限人前に出れる格好で寝ないと心に決めてるからな! 「異世界……に、召喚をされちゃったんだよな、俺……」  上を見れば、高い天井に炎の光が揺らめいていた。感じる空気は日本とは違いかなり冷たくて、寒くすら感じる。靴を脱ぎ、椅子の上へ足を乗せて体を縮み込ませた。  考えることを放棄し、しばらくぼーっとしていた。上を向いている首が疲れ、なんとなく横へ向けたら、近くで積み重なっている本のタイトルが目に入る。  基礎的魔術教本、日本語じゃ無い文字でそう書かれていた。  縮み込んで座った状態でも、腕を伸ばせば簡単に手に取ることが出来た。古い書物なんだろうか……表紙は色あせていて、所々黒く汚れている。普段なら、風呂上がりにこんな小汚い本を触ろうとは思わないんだが……何故だかすごく中身が気になる。  埃で手が汚れるのも構わずに、ずっしりと重いそれを捲る。半分ほど開き掛けたところで、後ろから伸びてきた腕に本を奪い取られてしまった。 「失礼。彼はいずれ私の物になる予定でね」  振り返ると、髪をしっとりと濡らしたユーグが立っていた。なんでだろう……眠いのか、意識がぼんやりとしている。何か相手が話してるんだけど……頭に入ってこない。 「やはり寄せやすいか……副作用のようなものだな……」  何事か呟いたユーグが手にしていた本を暖炉へ向かって投げる。炎の中へ投げ込まれた途端、部屋中に断末魔が響き渡った。 「ひっ?!」  その音にびくりと大きく体を揺らして、意識が引き戻される。目の前にある橙の炎の中で、本だけが青黒い炎を出して燃えていた。 「え……何……?」 「やあ、マコト。君は本当に災難な魂をしているようだな?」 「は……? っていうか、なんで本燃えてんの……? なんで青いんだ? しかも叫び声もしたよな?!」  薄手のシャツにズボンってラフな姿をしたユーグが、何故だか残念なの物を見るような目を向けてくる。なんかバカにされてるみたいでイラっとするから、やめろよそれ……。 「少しでも魔力を含んでいればああなるさ」 「マジ?」 「大マジだとも。しばらく魔術関係の本は、私がいないところでは触らない方が良いだろうね」 「なんで……」 「意識が朦朧としていなかったかい?」 「……あれ?」  言われてみればそうだ。ぼーっとして、それからどうしたんだっけ……? 本が目についた辺りから妙に記憶が曖昧になってきている……俺、何しようとしてたんだっけ……?  ユーグを見上げれば、目を細めるだけで返答は返ってこない。本気で思い出せない……やばい、なんか怖い…… 「マコトの身を守るためだ、分かったな?」 「……分かった」 「表紙を人の皮で作った物とか、読むと発動する呪い持ちだとか……そう言った物騒な物もあるからね」 「なんだそれ?!」  そんなのゲームの中でしか聞いたこと無いわ……! 確実にSAN値チェック必要になるやつじゃんか。触らぬ神に祟りなし、その手の物は絶対にユーグの言うことを聞いておこう。 「無惨にも燃え朽ちる本を見ながら、ワインでも洒落込みたくなってきたなぁ」 「趣味悪……」 「そうかい? 綺麗な青じゃないか」 「よく分からないけど……用意してくるから待ってて」 「おや、君が持ってきてくれるのかい?」 「俺、アンタの従者なんだろ?」  今日街で買った物の中に、ワインが入っていたはずだ。今日買い出しに行っといて良かった。未だに腐海のままのキッチンを漁りながら、晩酌の用意を始めることにした。  ◆  洒落たワイングラスなんか見つからなかったせいで、初の晩酌はビーカーとマグカップというなんとも締まりの無い組み合わせとなってしまった。  つまみにスモークチーズと干し肉を数切れ、これもシャーレみたいなのに乗せて積み重なった本をテーブルにしている。飲み薬を作る時に使ってたやつだから綺麗だとは言われたし、念入りに洗ったから大丈夫! ……だと思いたい。  酒はそこまで強く無いので少しずつちびちび飲む俺とは対照的に、ユーグは水のように飲んでいく。今夜のうちに一瓶開けてしまいそうな勢いだ。  ユーグのどうでもいい殿下のポンコツ話とか、宮廷魔術師をしていて体験した面白い話とか……そんな他愛も無いことを話しているうちに、盛んに燃えていた青黒い炎は消えて無くなり、暖炉の中は暖かな橙で埋まっていた。 「……マコト」 「んー?」  良い感じに酔っ払っている……カップを呷っているせいで間延びした返答を返す。だけど、いつまで経ってもそこから先が聞こえてこなくって……口に入っているワインを飲み下しながら視線を向ければ、グラデーションが綺麗な瞳と目が合う。 「ユーグ?」 「……君は、元の世界へ還りたいか?」  思いがけない発言に、言葉が詰まった。  正直還れるなんて思っていなかった。こういうのって、一般的には片道切符しか用意されてないものではないのか……?  だけど。少しの間しか共にしていないけれど、この人は意味の無い質問はしないはずだ。 「還れる、のか……?」  俺の質問に、ユーグの口角が上がった。 「扉を繋げることは可能だ」 「本当、か?」 「君の気持ちは?」 「……還れるなら、還りたい」  ユーグは良くしてくれているし、一緒に居るのも悪くないとは思える。だけど、今の俺は従者とは名ばかりで、世話になってばかり。実際の収入だって無い。迷惑じゃ無いと言ってくれてはいるが、もし見放されてしまったらどうしたらいい?  ここは俺が居るべき世界じゃないのは、よく分かっている。  右も左も分からない異世界よりも、住み慣れている日本の方が生活していけるんじゃないか。  今後を考えて天秤に掛ければ、還りたい方へと気持ちは傾く。 「でも……本当に可能なのか?」 「ああ、可能だ。だが、魔力が足りない」 「魔力? ユーグでもダメってことか?」 「私だけの力ではどうにもならない時だってあるさ」  意外だ。出来ないことなんて無さそうなのに。  私だけってことは、他に協力者とかが居ればなんとかなるのか……? 「足りないって、どれぐらい?」 「そうだな……大人の男、5人程度だろうか」 「5人協力者を募ればなんとかなるのか……」 「ああ。だが、難しいだろうね」 「そうなのか? 召喚とか、需要がありそうな気もするけど……」  ロマン溢れる単語だろうに、異世界召喚。俺に力があるなら協力してみたいが、反対派みたいなのもいるんだっけか?  やっぱり立場を考えると難しくなるものなんだろうか。もしくは、適正者が少ない?  魔力なんてそうそう持って無さそうだしなあ、普通。 「興味は引かれるだろうが、代償が大きすぎる」 「代償?」 「まさか、命を賭けてまで協力したいとは思わないだろう?」 「……え?」  今、なんて言った?  信じられなくて思わず聞き返した。そうすれば、目を細く三日月の様にして……怖いぐらい綺麗な顔で笑う。 「言葉通りさ。魔力、肉体、魂……全てを差し出して貰うんだ」

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