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 翌日の朝、退院する俺を迎えに来てくれたのは、雅ではなく香坂だった。怪我人を乗せた車を怪我人に運転させるわけにはいかない、と香坂が説得したらしい。二人の間に会話があったらしいことが知れて、少しだけ安堵した。  車中で香坂は色々なことを教えてくれた。まずは香坂と辻のこと。香坂と辻が付き合い始めたのは二年生の終わり頃らしい。俺は知らなかったのだが、香坂は辻が所属していたバレー部の顧問だった。遠征や合宿の折に他の奴らと一緒に風呂に入ることを露骨に嫌がった辻を、香坂が気にかけたことが切欠だったらしい。辻本人から同性愛者であることを告白されたときには、もうお互いに惹かれあっていたとか。  今更ながら辻の「俺たちは似ている」と言った言葉を理解した。辻はずっと前から気づいていたのだろう。俺たちが、同じ傷を持った仲間だということに。だからいつも俺を気にかけていたのだ。  それから、香坂と雅のこと。「生徒に聞かせるような話じゃないんだけど」と前置きをして、香坂は雅との確執を語ってくれた。こちらは長い話になった。 「母親がちょっと問題のある人だった、っていうのは聞いた?」  こくりと頷く。さすがに教師だ、遠まわしな言い方だった。香坂は無意識なのかポケットをさぐり、煙草に火をつける。車内に煙の匂いが広がったが、不愉快ではなかった。 「完全に俺と雅が決裂したのは、俺が高校に上がると同時に家を出てからなんだ。このままではろくな人生にならないと思って、必死に逃げた。父方の祖父母の家から高校に通って、そのまま養子になった。……雅にはどうやらそれが許せなかったらしい。母親の葬儀で久しぶりに会ったとき、遺影も花も何もかもなぎ倒して俺を殴ったよ。この家を捨てて出て行ったくせに、自分だけまっとうに生きようとしやがって、この裏切り者が、って」  香坂が家を出ていってから母親が亡くなるまでの数年間、雅とその母の生活がどうだったかは分からない。しかしその頃の雅の荒れようはひどかったらしい。  前科がついていないのがおかしいくらいにやりたい放題だった雅だが、香坂が当時付き合っていた男性に乱暴を働き、訴えられる。結局は示談になったそうだが、その一件以来一度も連絡がとれなかったという。 「雅は本当にキレると何をするか分からない。おまえに大きな怪我がなくて本当によかったよ。俺も一度刺されかけたことがある」 「刺され……っ」  さすがに血の気がひいた。青ざめた顔をしている俺に、香坂は左手をハンドルから離してこちらに手のひらを見せた。手のひらの中央に、引き攣れた傷跡があった。今まで何度もその手を見ていたはずなのに、気づかなかった。 「だからまだ不安がないといったら嘘になる。あいつにおまえを任せていいのかと」  仕方のないことだとは思う。それだけにふたりの確執は深く、複雑な感情を抱いてきた期間も長い。  そこに俺なんかが割り入っていいのかという戸惑いはある。雅の抱えた闇を受け止められるかの不安も。まだ全てが上手くいったわけではないのだが、それでも妙に気分はすっきりしていた。  窓の外を眺める。通り過ぎていく景色。中途半端に晴れた空。これまでは気づかなかった、俺の周りにはいろんなものがある。小さな子どもが転んで母親にあやされているのを見て少し笑いながら、言った。 「正直俺も自信はねえよ。人ってそんな簡単に変われねえし。また殴られるかもしれないし、俺もまた馬鹿なことするかもしれない。でもなんとなくだけど……大丈夫な気はする」  お互い、自分が何をしたいのか、何を望んでいるのかは分かっているから。そこへたどり着く道筋や方法は間違えるかもしれないけれど、少しずつ修正していければいい。  そんな風に楽観して未来を考えられる自分に驚いていた。この驚きは、不快ではなかった。  俺の返答を受けて、香坂は柔らかく笑った。 「そうか。……兄を頼むよ」  その笑い方は少し雅に似ていて、ああ兄弟なんだなあと実感した。  緊張に喉が渇いてもう水を三杯も飲んでいた。  書店の三階に併設されたカフェで俺は、人を待っている。隣には、雅の姿があった。 ただでさえ周囲の視線がまるで俺を責めているかのような感覚がしていたたまれないのに、雅のやたらに目立つ容姿のせいで周囲の注目をすっかり集めてしまっていた。それにしても、元から目立ちすぎる見た目をしている雅だが、今日は一段と見られている気がする。若い女性だけならまだしも、会社員風の男や高校生などからもちらちらと見られている。原因は分からないが居心地の悪さといったら尋常ではない。  隣でアイスティーなんてすすってすましている男を横目で睨みつける。と、その向こうに目的の人物の姿が見えた。  ほんのりと吐き気がこみあげる。若干よたつく足取りで階段を登り切り、誰かを探すようにキョロキョロと目線をさまよわすのは、冬服であろう長袖のセーラー服を着た――あの日の女子高生だった。  鼓動が速くなる。季節はすっかり秋で肌寒いくらいなのに、どっと汗が噴き出た。俺の様子に気づいた雅が、背をさすってくれる。その熱い手に促されるように深呼吸をして、立ち上がった。 「あの……っ」  大丈夫。大丈夫。拳をギュウと力強く握りしめた。自分で痛めつけた右手の傷はすっかり消えていた。 「よかったね、わかってもらえて」  ソファにぐったりと横になった俺の前に、ほかほかと湯気をたてるマグカップが置かれた。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。ココアのようだ。寝転がったまま手を伸ばすとぴしゃりとその甲をはたかれた。仕方なく起き上がって、熱いマグカップを両手でくるんで持ち上げる。 「許すのは難しいって言ってたけど」  俺は雅に付き添われて、あの日階段から突き落とした女子高生に謝罪をした。どういうからくりか分からないが、雅が書店に口を利いて連絡をとってもらったのだ。  彼女はあの日のことを自分の不注意が招いた事故だと思っていたらしく、俺が本当のことを言うと戸惑っていた。それはそうだ、俺と彼女にはなんの面識もなかったのだから。  しばらく考えたあと、彼女は俺を許すことはできないと言った。当然だと思った。なんの罪もないのに階段から突き落とされ、怪我をさせられたのだから。だけど、責めることもしないと言った。彼女もまた両親との折り合いが悪く、険悪だった頃にあの事故、いや、事件が起きた。娘が怪我をしたと知って両親は血相を変えて病院に駆け付けたという。その姿を見て、自分はなんと大事にされているのかと思えた、と言う。いいことと悪いことと半々だから、君を許すのと許さないのとも、半々、と彼女は笑った。強い子だと思った。俺にはないその強さが眩しかった。 「でも、これでやっと一歩進めたね」  そんないかにも大人らしいことを言って、雅は隣に腰かける。程よく柔らかいソファが沈み、反動で雅にもたれるような恰好になった。雅の鼓動が聞こえる。ゆっくり、落ち着いた音だ。  他人の体温がこんなに心地よいなんて、以前は分からなかった。両手で包んだカップにふうふうと息を吹きかけ一口すすれば、くどすぎない甘さがじんわりと口内に広がった。 「ねえ、このままここに住んじゃえば?」  片手で俺の前髪をいじりながら、そんなことを言う。それは魅力的な提案だったが、俺の答えは決まっていた。 「ううん。あそこが……俺の家だから」 「そうか」  ふっと笑う雅の顔が、不意に近くなる。あ、と思ったときには唇に湿ったものを感じていた。 「ん……」  そのまま角度を変えて、もっと深く交わり合う。熱い舌がもぐりこんでくるのを、口を薄く開いて受け入れた。 「ん、ぁ……」  舌と舌がいやらしく絡まってうごめく。上と下を何度も入れ替えて、表面をなぞったり、時折強く吸ったり。戸惑い逃げる俺を執拗に追いかけてくる。翻弄されていると手からカップが取り払われ、テーブルに置かれる。本能のままにその広い肩に腕を回した。 「ん、んん……」  胸と胸が触れあって、どちらのとも分からない鼓動を中心に感じた。舌を絡め合ったままゆっくりとソファに押し倒される。ギプスが取れたとはいえ雅の腕が心配だったが、器用に右腕だけで体を支えながら俺に覆いかぶさってくる。 「ん、う、ふぁ……」  濃厚に混ざり合う唇と唇の隙間から、恥ずかしいのに声が漏れてしまう。まだどこにも触れていないのに、キスひとつでどうしようもなく興奮した。飽きるほどに何度も何度も深く絡まり合い、湿った音を残して、唇と舌が離れていく。すっかり息が上がっていた。  ぼんやりとした瞳で見上げる雅は、いつになく真剣な顔をしていた。少しだけ眉間に皺が寄っている。 「……嫌じゃない?」 「ん。雅がいい……」 「慎也。君が、ほしい」  熱い手が、頬に触れる。そこは電流が走ったように痺れ、甘い疼きを全身にもたらす。手は頬を何度か撫で、顎のラインをつたって首へ、鎖骨のふくらみを指先でなぞられて、くすぐったさに首を竦めると、空いた逆側の首筋を舌が這う。 「んっ……あ……」  首に気をとられている間に、悪戯な手は服の上から、胸を、腹を、極めて繊細に撫でさする。舌の動きと連動するように、微弱なもどかしい刺激をあちこちにもたらした。  いつも心も体も準備ができないままに押さえつけられて無理矢理突っ込まれるだけだった。だからこんな風にじっくりと段階を踏まれると、どうしていいか分からない。体以上に頭が興奮に熱くなって、なんだか色々とあらぬことを口走ってしまいそうだった。 「かわいい声だね」  熱い吐息を首筋に吐きかけながら、低く甘い声が肌を這う。ぞわぞわと鳥肌がたった。格好いいのは顔だけにしてほしい。 「慎也の声、好きだよ。低すぎでもなく、高すぎでもなく。感じているときは少しかすれるのもかわいい」  カ、と頬が熱くなった。 「や、だ、恥ずかしいから……」 「恥ずかしい? 興奮してるんでしょう」 「し、てない」 「嘘。してる」 「あっ」  突然肝心な場所へ走った刺激に背がしなる。いやらしい手つきで、そのふくらみを撫で上げられる。まるで猫の背でも撫でるように、優しく、緩慢に。ス、ス、と布の擦れる音がいやらしい。淫らなことをされているのだと、いやでも実感してしまう。 「そういえばここはあまり構ったことがなかったね」 「え……」  意味深に笑う雅はあえてゆっくりとそこを暴いていく。チャックを下ろし、ベルトを前だけ外し、緩慢に、そしてわざと服とそれが擦れ合うようにズボンを膝まで下ろされた。次いで、下着が取り払われると、そこに男の無遠慮な視線が突き刺さった。もう何度も見られた場所なのに、そんな風にまじまじと見られると、視線という刺激だけで、その硬度を増してしまう。  わずかに反り返って切なげに震えるそこに、雅はふうっとひとつ息を吹きかけると、――先端を舌でひと舐めした。 「ひ、ゃっ」  味わったことのない未知の感覚。手とはまた違う独特の湿った感触だった。 「みや、何……」 「君の味も、知っておきたくて」 「味って、そんな、ふあっ、」  今度はしっかりと、舌の腹がくびれをべろりと舐めあげる。そしてそのまま先端を口に含むと、激しく舌で舐め回した。 「あ、んぁあっ、だ、め、それぇ」  直接的な強い刺激に、一気に体温が上昇する。暴れ狂うような快感はもはや苦しくすらある。目の前の肩にしっかりしがみついて耐えた。 「ん、ん、んっ、んぁ、ああっ」  ぐちゅぐちゅと音をたてて強く吸われれば、ひとたまりもない。隠しようのないほどに膨れ上がったそこは、ぴんと天を衝いていやらしい涙を流していた。  このままでは先にひとりだけ達してしまう、唇を噛んで耐えていると、ようやく雅はそこから口を離した。全身からどっと力が抜ける。全力疾走をしたかのように息が上がっていた。 「もうそんな状態で大丈夫かい? 今からもっといじめるよ?」  そう言って余裕そうに笑う雅だって少し息が切れているし、頬が上気している。二人してどうしようもないほど興奮していた。欲に濡れた視線同士が交錯する。俺はこくりとうなずいて、その首に腕をかけた。 「ぁ、それ、やばい……」  唾液に濡れた指がゆっくりと孔の中を行き来する。  もう二人とも衣服を全て脱ぎ去って、汗ばんだ皮膚を直接触れ合わせていた。指先を軽く動かしながら抜き差しを繰り返すその動きはあまりに緩慢で、それが逆に底の深い快感を煽り立てる。俺の陰茎はふるふると震えてそそり立ち、今にも達してしまいそうだが、まだ奥で雅を受け入れていないのにひとりで絶頂してしまうなんて嫌だった。腕を掴んで訴えると、雅は薄く笑って指を引き抜いた。 「あ……ッ」 「入るよ」  そして雅の怒張したソレの先端が宛がわれる。ぬち、と濡れた音が耳の中でいやらしく響く。入り口は期待するかのようにひくひくと震えた。 「うん……来て」  ゆっくり、ゆっくりと。先端が侵入してくる。頑なな入り口を割り開き、拒む内壁を押し戻して、少しずつ、少しずつ、核心へ近づく。 「んく……ッ」  張り出たえらが通過するときにはわずかな痛みが生じたが、体の下でくしゃくしゃになった衣服を握り締めて耐える。やがてぴったりと、雅の雄芯の全てが俺の体内に収まった。 「ん、あ……っ」  十四年も時を違えて、全然別の場所で生まれてきて。全く違う人生を送り、違うことを考えて生きてきた、絶対的に違う存在。他人とは、そういうものだ。なのに今、俺は雅とひとつになっている。体と体が内部でつながり合い、雅の鼓動は俺の体内で激しく波打っている。俺を見下ろす雅の目には俺しか映っていない。  セックスとは欲を満たすだけの行為なのではなく、他人と他人がひとつの存在になれる唯一の方法なのだと、今更ながら理解した。 「きつくない?」 「大丈夫、動いて……」  ゆっくり、けれど強く突き上げられる。狭いソファの上で、これ以上なく体を密着させ、まるでひとつになってしまうかのように。ギシギシと鳴るソファのスプリングと、結合部が立てる粘着質な音と、みっともないほど上がったふたつの息と。それだけが聴覚を支配し、目を閉じて聞き入れば、ああ、今抱かれているのだと、ひとつになっているのだと強く実感する。雅の体に包まれながら、体の一番深いところで彼を感じた。 「慎也……」  熱っぽく自分の名前を呼ぶこの声が、どうしようもなくいとおしい。もっと求めてほしい。もっと必要とされたい。もっと、乱されたい。 「雅……、っ」  触れ合った肌で熱を感じる。鎖骨にかかる熱い吐息で呼吸を感じる。膝裏を押さえた掌から強さを感じる。繋がったその部位から、欲望を感じる。身体中が雅で埋め尽くされていく。  心の繋がったセックスがこんなにも気持ちいいなんて知らなかった。思考が快感一色で塗り替えられていって、すぐに何も考えられなくなる。 「あ、あァ、ひァ、ん、む……っ」  繋がったままいやらしいキスをする。自ら舌を差し出して、音をたてて絡め合う。理性などかなぐり捨てて雅を貪った。そうだ、こうやって何もかも剥き出しにするほうが俺たちらしい。 「雅、みやびッ、そばに、ア、いてぇ」  両手両脚でその綺麗な体にしがみつく。俺も雅も滑稽なほどに息があがっていた。  滑稽でも良い。惨めでも良い。そこに愛があるかはまだ分からない。けれど、今この瞬間俺は雅に満たされている。なのに、もっと、もっと、と求める欲が内側から次々と湧いてくる。こんなに自分が欲深いなんて知らなかった。 「慎也……ッ」  雅の背がぶるりと震えて、一際深いところで熱が爆ぜた。体内にあるそれは激しく脈打って、少しでも奥にと勢いよく欲を放つ。それがこの体内で何かを結ぶことはないという純然たる事実だけが物悲しいが、流れ込んでくるその熱い粘液を感じたときには、俺も達していた。  はぁはぁとふたり揃って息を荒くしながら、いつまでも深く深くつながっていた。中に放たれた雅の欲が、俺の中に、雅のものに、ねっとりと絡みついて、ふたりの境目をなくしていく。ぐずぐずに溶け合っていく。その感覚が何よりも気持ちよかった。  まるで、ジェットコースターのようなセックスだった。こんな風に飲み込まれていくかのような交わり合いは初めてだった。時間をかけてじわじわと昇りつめ、一気に駆け下りる。その快感は想像以上のものだった。  ややあって、先に息の落ち着いた俺から、その綺麗な形の唇にひとつキスをした。応えるように、雅からも口づけが降ってくる。ついばむような、戯れのようなキスだった。  ちゅ……、と濡れた音を立てて唇が離れていき、雅がふっと息をはく。笑ったのだ、と気づくのには大分かかった。俺の視界の大半は雅のそのどこか色の薄い瞳で占められていたからだ。それだけ、近い距離で見つめ合っていた。 「君は……俺に抱かれるとき、いつもそんなに可愛い顔をしていたんだね」  まだ赤い頬を撫で、柔らかく笑いながら雅が言う。元から赤かった顔に更に熱が走った。 「そんな顔、してな、ン……っ」  反論しかけた口を塞がれる。その唇も舌も、火傷しそうなほどに熱い。そんな風に雅を熱くさせているのが自分なのだと思うと、たまらなく興奮した。  ――足りない。もっと、もっと、雅が欲しい。収まらない熱を孕んだ視線で見上げれば、気づいた雅がいやらしく笑った。  これまですれ違っていた分を埋め合わせるように、頭がいかれてしまうくらいに交わりあった。

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