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06.記憶の箱

 ――2週間後の朝。冷たい空気が漂う中、真新しいブレザーに(そで)を通した。 「どうっ、かなぁ~?」  緊張の面持ちで全身鏡の前に立つ。爽やかなライトブルーのシャツ。深緑色のゴールドストライプのネクタイ。薄いグレーチェックのズボン。比較的モダンなデザインだ。 「ん~~……やっぱちょっと欲張りすぎたかな?」  ややオーバーサイズ。端的に言えば着こなせていない。だがそれもほんの数か月のことだ。呪文のように唱え、不安を()じ伏せていく。 「あっ! やっば……」  危うく忘れてしまうところだった。鏡の横、白いサイドボードの上に置かれた腕時計を手に取る。軽くて丈夫な時計だ。色は黒。ケースはアルミニウム。ベルトはシリコン。ガラスはサファイアクリスタルで作られている。  アウトドアウォッチと呼ばれる類のもので、日の出・日の入りの時刻や、方角、気圧、温度などの情報も得ることが出来る。撮影対象を自然としているルーカスにとってなくてはならないものだ。 「カメラも持っていけたらなぁ……」  すっかり言い慣れてしまった嘆きを口にしながら、手首に時計を付けていく。  この時計も両親から贈られたものだ。14回目の誕生日プレゼント。それがまさか、母から手渡される最後のプレゼントになるとは夢にも思わなかった。 『14歳かぁ~。早いな~』  そう言って、どこか寂しげに笑っていた母の顔を思い返す。 「母ちゃん、見ててね。オレ頑張るから」  彼女は車に轢かれ、何の前触れもなく命を落とした。その無念さは計り知れない。だからこそ、遺された自分達が彼女の分も悔いのないように生きる。父と立てた誓いを胸に、自宅を後にする。  ――近所の住人に挨拶をしながら歩いていると、次第に傾斜を感じるようになってきた。段野(だんの)は、全国でも有数の河岸段丘(かがんだんきゅう)という地形を有している。簡単に言ってしまえば、階段状の地形だ。  榊川(さかきがわ)を起点に、一段目:ルーカス宅、二段目:駅、三段目:住宅街、四段目:商店街、五段目:高校となっており、生活していくためには段と段の間にある500メートル近い険しい坂を行き来しなければならない。少々不便なところもあるが、その分魅力的な景観を目にすることが叶う。  階段のような地形が天空都市を。長く険しい坂が写真を撮るのに最適なS字のカーブを。故に父はこの地を選んだのだ。今はその選択に心から感謝している。 「混んでる、かな……?」  駅を歩道橋代わりにして上の段を目指していく。線路が東西に向かって長く伸びているためにそうせざるを得ないのだ。その辺りの事情については市も考慮しているらしく、改札やホームといった駅施設は、通路途中の階段の先に配置している。  そんな駅を通り抜け、振り返れば榊川が見えた。目的地の学校はここから三段先、つまりは500メートルもの長さの坂を三つも越えていかなければならない。そのため、駅前には多数の有料バスが用意されているのだが、今日はどのバスも(すし)詰め状態になってしまっている。セレモニースーツ姿の大人達。制服姿の生徒達。中にいる人々のことを気の毒に思いながら歩を進めていく。 「おわっ! 外人だ」  ルーカスの背が小さく跳ねる――。

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