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32.偽り
「あ、あのさ……ケイ、タケちゃんと付き合って――」
「嘘だ」
「嘘?」
「あの人が言ったことは全部」
「そう、なの?」
疑念が色濃く滲 んでいる。我に返り罪悪感から目を伏せた。
「武澤 は、お前の中にいる奴らとは違う」
顔を上げる。黒い瞳と目が合う。その眼差しは息をつくほどにやわらかかった。強張った体をそっと包み込んでいく。
「お前の過去を知って、アイツは怒って……泣いたんだ」
頼人 から借りた黒い折りたたみ傘。手の中で水滴を零すそれを見ている内にルーカスの頬にも雫が伝った。
「許可もなしに話したこと、それについては悪かったと思ってる。けど、その反面話して良かったとも思ってる。……そう思っていいんだよな?」
ルーカスは勢いよく頷 いた。頭に浮かぶ頼人の笑顔。彼らのものとはまるで違う。干したての布団を思わせるような心地のいい優しさに満ち満ちている。にもかかわらず自分は疑ってしまった。信じることが出来なかった。
「ごめん! オレ……っ、オレ……」
「俺はいい。けど、武澤にはきちんと謝れ。いいな?」
ルーカスは再び大きく頷いた。景介 は苦笑を浮かべ、浴室へと続く扉を開ける。
「話は終わりだ。とっと風呂に入れ」
「う、うん! じゃあお言葉に甘えて」
脱衣所に入ると直ぐに扉が閉まった。足音が遠ざかっていく。中扉の奥に消えたのを確認して深く息をついた。
平和的な結末を迎えられた。喜びつつも落胆も隠しきれずにいる。照磨 の話はすべて嘘だった。景介が自分に対し恋慕の情を抱いているという話も含めて。
「~~っ、あ~っ!!! もう!! 止め止めっ!!!」
乱暴に服を脱ぎ捨てていく。胸の中のもやごと身から引き剥 がすように。
――珪藻土 のバスマットの上で蹲 る。最高で最低なバスタイムだった。一つしかないボディタオル、バスチェア、浴槽。周囲のすべてに心乱されこのザマだ。理性を保った自身を褒めつつ着替えを手に取る。
用意されていたのは上下灰色のスウェットに、新品と思わしき青チェックのボクサーパンツだった。感謝しつつ無心を心がけながらそれらを身に纏 っていく。
下着はぴったり。スウェットは袖 と裾 を2回ほど折って捲 り上げた。開いてしまった身長差。悔しさを抱いたのはほんの一瞬だった。端々に付いた毛玉や解 れを前に鼻孔を膨らませる。
「っ! いかんいかん……」
慌てて息を整える。きりがない。一人でいるとどうにもあらぬ方向に思考が傾きがちだ。リビングに向かおう。無理矢理に頭を切り替えて浴室を後にする。
「ケイ! お風呂ありがとう~」
言いながら室内を見回す。扉の直ぐ横には白を基調としたオープンキッチン。そこから二歩ほど離れたところにはダークブラウンの食卓が置かれていた。
景介はというとその更に奥、五歩ほどのところにある紺の布製のカウチソファの上。こちらに背を向けるような恰好でテレビを観ていた。65インチの大画面。映っているのはバラエティ番組だ。女芸人が大口を開けて笑っている。ぼんやりと眺めていると黒く艶やかな髪がひらりと舞った。
「おまっ……。目、いいのか? その内親父も――」
「大丈夫だよ。ケイのお父さんだし」
黒の瞳が大きく見開き、伏せられていく。
「……そうか」
言うなり景介はテレビの方に顔を戻した。鼻先を擽 られているようなそんな気分だ。
「おじさん、帰りは何時ぐらい?」
言いながら景介の隣に腰かける。上下黒のスウェットにふんわりと立つアホ毛。リラックスムード全開のその姿は眼福でもあり、毒でもあった。乾いた唇を食みながら白いフローリングの床に目を向ける。
「さあな。親父の予定はいつも読めないから」
「そっか。おじさん相変わらず忙しいんだね」
「まあな」
返事もそこそこに景介の手が木製のローテーブルに向かって伸びていく。その先にあったのは白い腕時計だった――。
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