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35.有るもの、無いもの

 すべてが見慣れない。旧家にはなかったものばかりだ。 「ケイの部屋も変わっちゃったのかな?」  以前目にした景介(けいすけ)の部屋は水彩画の技術書や画材で埋め尽くされていた。 「むぅ……っ」  ――気付けば中扉に手をかけていた。廊下には浴室の他、三つの扉があった。一つは手洗い。残り二つは景介、父親・一喜(かずき)の部屋のものだろう。 「……こっちかな?」  浴室の斜め向かいの扉を開けた。見た感じ正解であるようだ。静かに入り、そっと明かりをつける。  広さは10畳ほど。左角には縦置きのセミダブルベッド。右角には勉強机が置かれている。手前はというと左側にはL字型の壁収納。右側には縦2メートル、横1.5メートルほどの大きな本棚があった。  すべてのものがあるべき場所に収められている。彼の几帳面さが伺える部屋だ。その点については段野(だんの)にあったものと同じだが、在るものについてはまるで異なっていた。絵に関するものが一切見当たらない。空手に関するものばかりだ。本も道具も何もかも。 「この分だとオレの写真もない……よね」  台紙を増やせるタイプのアルバムに入れていた。表紙は黄色。引っ越し間際には百科事典並みの厚さにまで成長してしまった。けれど、彼が迷惑がることはなかった。嬉しそうにアルバムを眺めてくれていた。本当に嬉しそうに。 「……また、撮ればいい。撮っていいんだ。ケイのために」  落胆することはない。 「ん……?」  足先に何かが触れた。机の椅子だった。流れるようにデスクワゴンに目を向ける。引き出しは全部で3つ。一番下のものの高さはざっと見30センチ以上。ここにならあの百科事典並みの厚さのアルバムも入る。 「……いや、ないって。絶対にないって……」  守りの姿勢を貫きながらゆっくりと引き出しを開けた。 「っ!!? あっ、……あった……」  馴染みの黄色い表紙。エアメールの束もある。はやる気持ちを胸にアルバムに手を伸ばす。少し()せていたがそれ以外に目立った汚れはない。期待と緊張を胸に表紙を開く。  そこにはルーカスが彼に贈った記念すべき1枚目の写真が収められていた。  ――榊川(さかきがわ)のほとり。夕日が周囲の山や川を照らしている。その一方で光が届いていない手前の川原は暗く、夜の気配を感じさせる。昼と夜の境目を切り取った1枚。  我ながら見事ではあるがこれは完全なるマグレだ。意図して撮ったものではない。ページを捲る度に胸を(くすぐ)られる。気恥ずかしい。だが、どうにも嫌いになれない。とにかく一生懸命なのだ。  ――景介を喜ばせたい。  ――笑顔にしたい、と。  20ページほど眺めたところで、引き出しに手を伸ばした。薄っすらと(ほこり)をかぶったエアメールの束。表面には旧住所からの転送を示すシールが貼られていた。 「これも……これも………………ははっ、1つも開けてない」  予想通りだ。受け取りはしたが開けていなかった。苦笑しつつエアメールの束を床に、再びアルバムへと意識を向けていく。 「あれっ……」  別れる前に贈った入道雲の写真を最後にページが真っ白になった。数日前に贈ったヤカンの写真。あれは収められていないのだろうか。息が詰まるのを感じながらページを捲っていく。 「あったぁ~……」  10ページ近い空白を乗り越えた先にそれはあった。  ――時はまた動き出した。  今ならば自信を持って言える。表紙を一撫でして戻そうとしたところでふと気付く。引き出しの奥に隠すようにして置かれた茶封筒の存在に――。

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