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100.代償

「……出て、いって……くれ……っ」  意識が混濁(こんだく)する。景介(けいすけ)を支える。それが自分の使命だ。景介もそれを望んでくれている。だから、この手を握り返してくれた――はずなのに。  あの夏の光景がフラッシュバックする。 「やっ、ヤダ――」 「頼む!! お前の色、……~~っ、忘れたく、ないんだ……っ」  固く閉じられた目から止めどなく涙が零れ落ちる。 「忘れたく……ない……? どういうこと……?」  波多野(はたの)の方を見る。彼には何か心当たりがあるようだ。悲痛に満ちた面持ちで両手を握り締めている。 「一人にしてあげましょう。お辛いでしょうが、今はそれが一番の選択です」  こんな状態の景介を一人に。悩みはしたが「ご説明します」と耳打ちをされ了承することにした。彼の身に何が起きているのか。知らなければ励ますことも慰めることも出来ない。そう判断してのことだった。けれど、嘲笑(ちょうしょう)は止まない。そればかりか一層大きくなっていく。 「君達は……」  病室を出たところで頼人(よりと)照磨(しょうま)未駆流(みくる)と鉢合わせる。頼人は制服にメガネ。照磨はキャメルのライダースジャケットに、ダークな色合いのジーンズ。未駆流は黒のダウンジャケットに、紺色のジーンズを合わせていた。 「…………」 「……っ、……」 「……くそ……っ」  皆一様に哀しげだ。聞こえていたのかもしれない。咄嗟(とっさ)にフォローをしなければと思った。だが、どうすることも出来ない。何を言っても不謹慎で軽薄な言葉になってしまうような気がして。 「場所を変えましょう。ご案内します」  ――向かった先はカンファレンスルームだった。椅子は若葉色の木製で、壁は白く塗られている。いずれも爽やかで明るい色だ。しかし、心癒されることはない。むしろ抱いたのは理不尽な怒りだった。余裕がないのだ。ほんの少しも。 「どうぞおかけください」 「ほらっ、ルーちゃん」 「あっ、……はい」  ルーカスは波多野と向かい合うように一番奥の席へ。その後に頼人、照磨、未駆流が続く。 「先生、あの……景介、どうしちゃったんですか? やっぱ目に何か」  堪りかねた様子で頼人が切り出した。波多野は目を伏せ、(おもむろ)に話し出す。 「言動から察するに、色覚異常……つまりは、特定の色を認知出来なくなってしまったものと考えられます」  心が拒絶する。認められるはずもなかった。  ――景介の世界から色が失われるなど。 「治るん、ですよね……?」  問いかける頼人の声はひどく弱々しいものだった。言わずもがな同じ思いを抱いているのだろう。堪らずポケットに手を突っ込む。そこに時計はない。父が修理に出しているからだ。理解しながらも指をたたむ。 「残念ですが、今の医学では不可能です」 「そんな……」 「メガネ」  声を発したのは未駆流だった。(わら)にも(すが)る思いで彼の方を見る――。

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