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101.長い夜、その始まり

「あるのですよね? そういった障碍(しょうがい)を持った方をサポートするメガネが」  波多野(はたの)の目が大きく見開く。感心しているのだろう。けれど、それもほんの一瞬。直ぐに(しぼ)んでしまう。 「そういったツールがあるのは事実です。……が、それはあくまで補助的なものであってこれまで通りとはいきません」 「そう……ですか……」  音を立てて崩れていく。『日常』という名の奇跡が。 「あの子から色を奪うなんてね」  狼狽(ろうばい)する頼人(よりと)(なげ)照磨(しょうま)。項垂れる未駆流(みくる)。光が闇に呑まれていく。ただ恨み、悔やむことしか出来ない。代われるものなら代わってやりたい――。 「ルーちゃん」  顔を上げると照磨と目が合った。肩には彼の手も置かれている。ここは――廊下か。いつの間に。ルーカスの唇から乾いた笑みが零れる。 「休むか?」 「それがいい。テキトーに飲み物でも……」  頼人、未駆流も気にかけてくれる。ありがたい。唇を引き締め、首を左右に振る。 「ごめんなさい。大丈夫です」 「謝らないの」 「……はい」  照磨からの温かな叱責に胸を震わす。  ――あの後、波多野は言った。  景介(けいすけ)の具合を見つつ明日明後日にでも検査をすると。受け入れざるを得なくなる。景介も自分も皆も。残酷で無慈悲な現実を。 「んっ? どこ行くんだ……?」 「ごめん! ちょっと……」  目的地は言えなかった。止められるのは目に見えていたから。 「はっ……はっ……」  少し走った後で振り返ってみたが皆の姿はなかった。追わずにおいてくれたようだ。そのことに安堵感と罪悪感を抱きながら廊下を駆けていく。  ――白渡(しらと)景介。  ネームタグに書かれた名を一瞥(いちべつ)し深呼吸をする。気はほとんど紛れなかった。恐ればかりが主張を強めていく。 「……っ、よし」  意を決してノックをした。 「……………あっ、あれ……?」  返事がない。 「うぅ……っ」  痺れを切らしたルーカスは一言断りを入れて扉を開けた。 「ケイ? ……えっ? あっ……えっ? な、何してるの?」  景介は絵を描いていた。使っているのは色鉛筆。描いているのは――夕日であるようだ。利き手ではないため少々(いびつ)ではあったが捉えている色は同じだった。 「ちゃんと赤いよな?」 「えっ? ……あ……っ」  この時になって(ようや)く気付く。  ――景介の右目が眼帯で覆われていることに。 「赤く……ないのか?」  景介の手が止まる。夜空の瞳が絶望に染まっていく。 「あっ! うっ、ううん! 赤いよ! すっごく綺麗!!」  駆け寄りながら肯定する。景介はほっとしたのか深く息をついた。 「やっぱり変なのは右目だけなんだな」  片目だけ。そんなことが。信じがたいが事実なのだろう。 「それで、眼帯……?」 「ああ。覆っちまえばそれで済む。単純な話さ」  ――強い引っかかりを覚える。なぜだ。 「あ……っ」  ガラスの中の自分と目が合う。  ――偽りの青で右目を覆う自分自身と。  なぜ引っかかったのか。否応なしに理解してしまう。 「それなのに……ごめんな。みっともなく動揺したりして」 「そんな……っ! オレの方こそ、ろくなフォローも――」 「もう大丈夫だから」  ルーカスに向けてというよりは自分自身に言い聞かせているようだった。肯定も否定も出来ずに無言のまま(うつむ)く。 「……よし」  景介の手が再び動き始めた。 「っ! だっ、ダメだよ! 安静にしてないと――」 「確かめておきたいんだ。ちゃんと見えてるって」 「……っ」  何も言えなくなる。  ――壊れてしまう。  今ここで無理に止めようものなら。そんな確信にも似た予感がしたから。  ――長い夜が始まる。  そんな言葉と共に例の嘲笑が響き渡った。何をしても何を思っても止まない。景介に頼ることも出来ずただひたすらに堪えた。ただただひたすらに――。

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