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16.宿す願い

「キミ、漢字の読み書きも達者らしいね。そのお手並みも拝見したいな」  眉根を寄せながらも了承し、指定された漢字を写真下のスペースに書き込んでいく。  ――狭山照磨(さやましょうま)  それが彼の名。込められた願いであるらしい。何の感想も抱かない。抱く必要もない。 「普通の筆記体で申し訳ないんですけど、サインなんてしたことないんで、勘弁です」  油性ペンと本を照磨に手渡す。結局、最後の最後まで心が浮き立つことはなかった。彼の目的は十中八九この右目だ。自分のファンなどというのも距離を縮めるための嘘に違いない。そう思えてならなかったからだ。  故に本音を言えば断りたかった。だが、彼は公衆の面前で嫌がる相手に無理矢理キスをするような人間だ。機嫌を損ねて状況を悪化させるよりは、と自身を無理矢理に納得させ、応じた。それだけのことだ。 「へえ? 普段は断ってるとか?」 「いいえ。こうして求められること自体が初めてで」 「そうなの? 見る目ないね~」  彼はそう言って、華やぐような笑みを浮かべた。もういいだろう。静かに立ち上がる。 「ルーカスはラテン語由来の名前だね。意味はたしか……『光をもたらす者』」  息を詰めると、照磨は一層笑みを深めた。 「映画の父とされる兄弟のファミリーネームも光にまつわるものだった。名は体を表すとはよく言ったものだね。キミもそう思わない?」  この人はどこまで自分の心を(えぐ)れば気が済むのだろう。自分が一体何をしたというのだ。怒りと悲しみが込み上げてくる。ひたすらに。止めどなく。 「……すみません。オレにはちょっと」  返しながら歩き、ドアノブに触れる。 「ご両親の思いは想像に難くない」  身動きを止めかけたが、振り切るように全速力で駆け出した。校門を通り抜けたところで後ろを見たが、照磨の姿はどこにもなかった。息をつきながら眼帯に触れる。  心が安らいでいく。情けない。内心で自身を罵倒(ばとう)しながらも、手を退けることは出来なかった――。

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